使徒言行録第21章
14節「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」(新共同訳)
「パウロ達は」とあるが、20章36~38節の別れの状況からすれば、「人々に別れを告げて船出し~」(1節)で、著者ルカが「彼らから引き裂かれることが起きて」(ギリシャ語本文)としたのも肯けよう。再び会うことのない訣別だったからだ。コス島からロドス島、パタラに渡り、キプロス島を左に通り過ぎて五日後、ティルスの港に着いた。出航準備が整うまでの七日間その町のキリスト者の群れを訪ねる。ステパノ殉教に際し散らされて行った信徒たちにより生れた教会である。そこで預言の霊感の賜物を持つ人がいて、「…エルサレムに行かないようにと、パウロに繰り返し言った」(4節)とある。パウロも既に聖霊に告げられて(20章22~23節)強い決心を持っていたので、それを留めることは出来ず、共に浜辺にひざまずいて祈り別れの挨拶を交わした(5節)。
ティルスからプトレマイオス(アッコ)に寄港、一日の停泊中主にある兄弟らと過ごし、翌日出港しカイサリアに着いた。そこで旧友フィリポの家に行き泊った(8節)彼は「福音宣教者」(エバンゼリスト)と呼ばれている。
カイサリアはローマ総督府があり、パウロが囚人として二年間幽閉されることになる。この町にかつてエルサレムの飢饉を預言したアガボ(11章27~28節)が来て、パウロの身の上に起きる出来事を彼の象徴的行為で、エルサレムでの逮捕と投獄の預言をした(11節)。ここでも彼の忠告を退け、「…主イエスの名のためならば、…死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」(13節)と応えた。結局パウロを取巻く弟子たちは「主の御心が行われますように」と言って口をつぐんだ(14節)。
神の御旨を知ることと、神の御旨がなるようにという全幅の信頼は違う。ティルスの信徒たちも(4節)、預言者アガボも(11節)御旨は示されたが、パウロの「御旨がなるように」とは告げなかったのである。
パウロたちはエルサレムに到着すると、予め手筈してあったキプロス出身のムナソンの家に迎えられた(16~17節)。翌日エルサレム教会を訪ね「自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した」(19節)。そこで人々は皆神を賛美したのである(20節)。
この時諸教会から集めた飢饉に対する義援金を手渡した筈である(24章17節)。イエスの救いの御業と、それに応答する愛の働きを示す(ガラテヤ5章6節)。
続いてパウロの予想していた通り、誤解と非難に就いての話題が提出された。ここで使徒たちから今エルサレムにナジル人の誓願を立てた四人がいるので、その者らの頭を剃る費用を援助するということだった。この提案を受け入れ、彼も同行することになった。
七日間の誓願が終わろうとした時、境内にいたユダヤ人達が群衆を扇動して彼を捕え、ギリシャ人を境内に連れ込んだといって騒動が起きた(27~30節)。「エルサレム中が混乱状態に陥った」(31節)とある。予期しない事態になり、結局ローマの千人隊長によって兵営に連れて行かれることになる。
14節「パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」(新共同訳)
「パウロ達は」とあるが、20章36~38節の別れの状況からすれば、「人々に別れを告げて船出し~」(1節)で、著者ルカが「彼らから引き裂かれることが起きて」(ギリシャ語本文)としたのも肯けよう。再び会うことのない訣別だったからだ。コス島からロドス島、パタラに渡り、キプロス島を左に通り過ぎて五日後、ティルスの港に着いた。出航準備が整うまでの七日間その町のキリスト者の群れを訪ねる。ステパノ殉教に際し散らされて行った信徒たちにより生れた教会である。そこで預言の霊感の賜物を持つ人がいて、「…エルサレムに行かないようにと、パウロに繰り返し言った」(4節)とある。パウロも既に聖霊に告げられて(20章22~23節)強い決心を持っていたので、それを留めることは出来ず、共に浜辺にひざまずいて祈り別れの挨拶を交わした(5節)。
ティルスからプトレマイオス(アッコ)に寄港、一日の停泊中主にある兄弟らと過ごし、翌日出港しカイサリアに着いた。そこで旧友フィリポの家に行き泊った(8節)彼は「福音宣教者」(エバンゼリスト)と呼ばれている。
カイサリアはローマ総督府があり、パウロが囚人として二年間幽閉されることになる。この町にかつてエルサレムの飢饉を預言したアガボ(11章27~28節)が来て、パウロの身の上に起きる出来事を彼の象徴的行為で、エルサレムでの逮捕と投獄の預言をした(11節)。ここでも彼の忠告を退け、「…主イエスの名のためならば、…死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」(13節)と応えた。結局パウロを取巻く弟子たちは「主の御心が行われますように」と言って口をつぐんだ(14節)。
神の御旨を知ることと、神の御旨がなるようにという全幅の信頼は違う。ティルスの信徒たちも(4節)、預言者アガボも(11節)御旨は示されたが、パウロの「御旨がなるように」とは告げなかったのである。
パウロたちはエルサレムに到着すると、予め手筈してあったキプロス出身のムナソンの家に迎えられた(16~17節)。翌日エルサレム教会を訪ね「自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した」(19節)。そこで人々は皆神を賛美したのである(20節)。
この時諸教会から集めた飢饉に対する義援金を手渡した筈である(24章17節)。イエスの救いの御業と、それに応答する愛の働きを示す(ガラテヤ5章6節)。
続いてパウロの予想していた通り、誤解と非難に就いての話題が提出された。ここで使徒たちから今エルサレムにナジル人の誓願を立てた四人がいるので、その者らの頭を剃る費用を援助するということだった。この提案を受け入れ、彼も同行することになった。
七日間の誓願が終わろうとした時、境内にいたユダヤ人達が群衆を扇動して彼を捕え、ギリシャ人を境内に連れ込んだといって騒動が起きた(27~30節)。「エルサレム中が混乱状態に陥った」(31節)とある。予期しない事態になり、結局ローマの千人隊長によって兵営に連れて行かれることになる。