日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

わき腹をつつく天使

2010-09-17 | Weblog
  使徒言行録第12章 
 
   7節「主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた」(新共同訳)

   これまでの迫害はユダヤ教社会からの宗教的信仰的なものだったが、ここでは政治的社会的な迫害という深刻な事態となる。
  「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(1節)。このヘロデは、イエス誕生の時の「大ヘロデ」の孫でヘロデ・アグリッパ1世。彼は失われたヘロデ家名誉挽回を計ってユダヤ教徒たちへの親和政策を取る。これはユダヤ人を喜ばす手段だった。その反応を見て第2弾としてペトロを逮捕し過越祭の後で民衆の前に引き出し処刑しようとした(4節)。
   権力を乱用し自己の地位保全を図る不正は権力者の常套手段で祖父へロデと同じだ。ヤコブ受難はイエスが予告しておられた(マルコ10章38節)。牢内の警護は異常なほどに厳しく4人1組で4交替体制で監視していた。牢獄脱出の不思議な前例を知っていたからか(5章)。
   この時「教会では彼のために熱心な祈りが紳に捧げられていた」(5節)。この教会は「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリヤの家」である(12節)。この危機の中、イエスの名が崇められよう、大勢の者が真夜中集まり祈っていた。
   牢獄では何が起きたか。夜半に二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていたペトロのわき腹を天使がつついて起こした(6~7節)。わき腹をつつかれて目を覚ましたペトロは、非常事態にも熟睡できた。殉教の死を受容するペトロである。鎖が解け靴をはき上着を着て、第一第二の門を抜けて町に出た時、彼は我にかえり主の救いの業を知る(8~10節)。
   家の教会に姿を現わしたペトロの声を聞いた取り次ぎの女中ロダは喜びのあまり門を開けないで家に駆けこみ告げた。すると「あなたは気が変になっているのだ」と言い、本当だと言い張ると「それはペトロを守る天使だろう」と応えました。信じられない出来事が起きたからである(12~15節)。
   ここに苦難を恐れない信仰が示される。苦難を排除しない、苦難を通し、苦難の只中で主の聖名を賛美する信仰である。
   原始キリスト教会の歴史は迫害の中を潜ってきた。これは「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然と崇められるようにと切に願い、希望する」(フィリピ1章20節)という基本的な生き方である。

   この後ペトロは「この事をヤコブと兄弟たちに伝えなさい」(17節)と伝えて、公の席から姿を消している。初代教会の指導者は主イエスの兄弟ヤコブに替わり、15章「使徒会議」の時に出るだけで、使徒言行録ではこれ以降彼の名前はない。伝説ではアンティオキア説とローマ説がある。歴史的経緯からすれば、ペトロの解放は紀元64年皇帝ネロの迫害の時まで延期されたことになる。神がその時を定めていた。

   キリスト者は苦難にどう対応するかを学ぶ。聖書が示している真実の解放は、苦難からではなく、苦難の中での解放だった。

わき腹をつつく天使

2010-09-17 | Weblog
  使徒言行録第12章 
 
   7節「主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた」(新共同訳)

   これまでの迫害はユダヤ教社会からの宗教的信仰的なものだったが、ここでは政治的社会的な迫害という深刻な事態となる。
  「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」(1節)。このヘロデは、イエス誕生の時の「大ヘロデ」の孫でヘロデ・アグリッパ1世。彼は失われたヘロデ家名誉挽回を計ってユダヤ教徒たちへの親和政策を取る。これはユダヤ人を喜ばす手段だった。その反応を見て第2弾としてペトロを逮捕し過越祭の後で民衆の前に引き出し処刑しようとした(4節)。
   権力を乱用し自己の地位保全を図る不正は権力者の常套手段で祖父へロデと同じだ。ヤコブ受難はイエスが予告しておられた(マルコ10章38節)。牢内の警護は異常なほどに厳しく4人1組で4交替体制で監視していた。前の牢獄脱出の不思議な前例を知っていたからか(5章)。
   この時「教会では彼のために熱心な祈りが紳に捧げられていた」(5節)。この教会は「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリヤの家」である(12節)。この危機の中、イエスの名が崇められよう、大勢の者が真夜中集まり祈っていた。
   牢獄では何が起きたか。夜半に二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていたペトロのわき腹を天使がつついて起こした(6~7節)。わき腹をつつかれて目を覚ましたペトロは、非常事態にも熟睡できた。殉教の死を受容するペトロである。鎖が解け靴をはき上着を着て、第一第二の門を抜けて町に出た時、彼は我にかえり主の救いの業を知る(8~10節)。
   家の教会に姿を現わしたペトロの声を聞いた取り次ぎの女中ロダは喜びのあまり門を開けないで家に駆けこみ告げた。すると「あなたは気が変になっているのだ」と言い、本当だと言い張ると「それはペトロを守る天使だろう」と応えました。信じられない出来事が起きたからである(12~15節)。
   ここに苦難を恐れない信仰が示される。苦難を排除しない、苦難を通し、苦難の只中で主の聖名を賛美する信仰である。
   原始キリスト教会の歴史は迫害の中を潜ってきた。これは「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然と崇められるようにと切に願い、希望する」(フィリピ1章20節)という基本的な生き方である。

   この後ペトロは「この事をヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と伝えて、公の席から姿を消している。初代教会の指導者は主イエスの兄弟ヤコブに替わり、15章「使徒会議」の時に出るだけで、使徒言行録ではこれ以降彼の名前はない。伝説ではアンティオキア説とローマ説がある。歴史的経緯からすれば、ペトロの解放は紀元64年皇帝ネロの迫害の時まで延期されたことになる。神がその時を定めていた。

   キリスト者は苦難にどう対応するかを学ぶ。聖書が示している真実の解放は、苦難からではなく、苦難の中での解放だった。