日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

世界中に騒動を起こす疫病のような人

2010-09-29 | Weblog
  使徒言行録第24章 
           
  5節「実はこの男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります」(新共同訳)

  五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロを連れて来て、総督にパウロを告訴した(1節)。その訴状が3~8節にある。
  最初の挨拶は歯の浮くような賛辞になっている。「私どもは十分に平和を享受しております」(3節)とあるが、事実と反対で彼のパレスチナ統治は強奪、残虐、抑圧の限りを尽くしユダヤ人反乱の要因を作った人物と言われている。4節は語り手(当人)に好感を持たせる演説の常套句である。
  告発する人物とは「…疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引起こしている者『ナザレ人の分派』の首謀者であります」と言った(5節)。
   それに対するパウロの弁明が10~21節にある。12日しかたっていないのに論争したり群衆を扇動したりする者は誰もいないと反論する(12節)。「疫病」(ロイモス)とは言い得て妙、ユダヤ教徒たちには適切だったろう。英訳はpestilence、新改訳でも「ペスト」となっている。民に最も恐れられ、荒野の旅で疫病は四回も出てくる(民数記11章33、14章37、17章12、25章9節)。一夜にアッシリヤ軍の兵士18万5千人が死んだのもペストであろうと言われている(列王記下19章35節)。
   次に『ナザレ人の分派』の首謀者と言われたが、確かに「彼らが『分派』と呼んでいるこの道にしたがって、先祖の神を礼拝し、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じて」いることはこの訴えている人と同じだと答えた(14節)。『ナザレ人の分派』とはユダヤ人キリスト者伝道の批判で、福音宣教がユダヤ教の分派としてしか理解されていなかったのである。この「分派」は「仲間割れ」(第一コリント11章1節)とか「異端」(第二ペトロ2章1節)と訳されている。

  キリスト教が異端として歴史上に浮かび上がるのは、ユダヤ戦争(66年)以降で、エルサレム陥落によりローマ直轄領となった紀元70年から90年頃に一層明確な形で表われる。90年ヤムニヤ会議が開かれ、ユダヤ教社会では「ナザレ派と異端者が、一瞬にして滅ぶように。彼らが生命の書から消されて、正しい人々と共に書き入れられないように」という呪いの祈りとなった(コンチェルマン著「原始キリスト教史」参照)。

   この答弁は訴え出た原告団には文句の付けようのないものであった。フェリクスが「この道に付いてかなり詳しく知っていた」(22節)というのは、24節にあるユダヤ人の妻ドルシラからの情報であったろうと思われる。彼はローマ市民であるパウロをユダヤの宗教議会に渡すことは出来ないし、宗教上のことだからと言って無罪放免をするとユダヤの権力者から反感を買うばかりか、彼の失政を指摘され訴訟を起こされる危険もあり、千人隊長リシヤが来るまで裁判を延期することになった。