ヨエル1章
2節「老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にもこのようなことがあっただろうか」(新共同訳)
1節「ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉」。預言者活躍の時代は諸説がある。小見出し「いなごによる荒廃」。
2節「老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ、あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも このようなことがあっただろうか」。誰も経験したことのない未曾有の出来事が起きる。
4節「噛み食らういなごの残したものを 移住するいなごが食らい 移住するいなごの残したものを 若いいなごが食らい 若いいなごの残したものを 食い荒らすいなごが食らった」。いなごの大群が襲来し作物や果樹を食い荒らす災害を描く(出エジプト記10章see)。これは砂漠とびバッタで、大きな羽音を響かせ、黒雲のような大群で飛来し原野を食いちぎって丸裸にする。
5節「酔いしれる者よ、目を覚ませ、泣け。酒におぼれる者よ、皆泣き叫べ。泡立つ酒はお前たちの口から断たれた」。酔いを醒まして、襲い来る危機に泣き叫べと告げる。それは、一つ強大で数知れない民が国に攻め上って来る。敵の大軍襲来が、大群の飛蝗(とびばった)として黙示的に描かれる。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙である。ぶどうの木、いちじくの木を食い荒らして投げ捨てられた(7節)。
9節「献げ物の穀物とぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司は嘆く」。穀物とぶどう酒が無くなることを描きながら、預言者はイスラエルの形式的な祭儀に批判の矛先を向ける。(10~12節)
13節「祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはや あなたたちの神の宮にもたらされることはない」。預言者ヨエルの本心は、祭司らが聖会を招集し断食を布告し、主に向って嘆きの叫びをあげることである(14節)。
15節「ああ、恐るべき日よ、主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る」。ここで敵国の襲来は、アッシリアとエジプトの間に位置するイスラエルが、度重なる両国の攻防に翻弄され、主体的な主なる神への信頼を失い滅亡の危機に直面する紀元前6~3世紀の歴史的状況が想定される。
16節「わたしたちの目の前から食べ物は断たれ、わたしたちの神の宮からは、喜びも踊ることもなくなったではないか」。ここでは預言者ヨエルは「わたしたちの神」と呼んで民の厳しい状況に身を置いて国の荒廃を嘆く。
19節「主よ、わたしはあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし、炎が野の木をなめ尽くしたからです」。火と炎で焼き尽くされる荒廃に、助け求めることができるのは「あなただけ」、野の獣も叫んでいると語る(20節)。
これを現代の地球環境破壊の状況に置き替えて読むことができよう。その元凶は「わたしたち」にあることをヨエルは知らせる。
ローマ人への手紙8章21~22節に万物の嘆きと呻きが告げられている「…被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている」(口語訳)。昨今の気象異常が地球温暖化によって世界各地で起きていることを知らされている。人間の罪深さ高慢さを知らされる出来事ではないか。
2節「老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にもこのようなことがあっただろうか」(新共同訳)
1節「ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉」。預言者活躍の時代は諸説がある。小見出し「いなごによる荒廃」。
2節「老人たちよ、これを聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ、あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも このようなことがあっただろうか」。誰も経験したことのない未曾有の出来事が起きる。
4節「噛み食らういなごの残したものを 移住するいなごが食らい 移住するいなごの残したものを 若いいなごが食らい 若いいなごの残したものを 食い荒らすいなごが食らった」。いなごの大群が襲来し作物や果樹を食い荒らす災害を描く(出エジプト記10章see)。これは砂漠とびバッタで、大きな羽音を響かせ、黒雲のような大群で飛来し原野を食いちぎって丸裸にする。
5節「酔いしれる者よ、目を覚ませ、泣け。酒におぼれる者よ、皆泣き叫べ。泡立つ酒はお前たちの口から断たれた」。酔いを醒まして、襲い来る危機に泣き叫べと告げる。それは、一つ強大で数知れない民が国に攻め上って来る。敵の大軍襲来が、大群の飛蝗(とびばった)として黙示的に描かれる。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙である。ぶどうの木、いちじくの木を食い荒らして投げ捨てられた(7節)。
9節「献げ物の穀物とぶどう酒は主の宮から断たれ、主に仕える祭司は嘆く」。穀物とぶどう酒が無くなることを描きながら、預言者はイスラエルの形式的な祭儀に批判の矛先を向ける。(10~12節)
13節「祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはや あなたたちの神の宮にもたらされることはない」。預言者ヨエルの本心は、祭司らが聖会を招集し断食を布告し、主に向って嘆きの叫びをあげることである(14節)。
15節「ああ、恐るべき日よ、主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る」。ここで敵国の襲来は、アッシリアとエジプトの間に位置するイスラエルが、度重なる両国の攻防に翻弄され、主体的な主なる神への信頼を失い滅亡の危機に直面する紀元前6~3世紀の歴史的状況が想定される。
16節「わたしたちの目の前から食べ物は断たれ、わたしたちの神の宮からは、喜びも踊ることもなくなったではないか」。ここでは預言者ヨエルは「わたしたちの神」と呼んで民の厳しい状況に身を置いて国の荒廃を嘆く。
19節「主よ、わたしはあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし、炎が野の木をなめ尽くしたからです」。火と炎で焼き尽くされる荒廃に、助け求めることができるのは「あなただけ」、野の獣も叫んでいると語る(20節)。
これを現代の地球環境破壊の状況に置き替えて読むことができよう。その元凶は「わたしたち」にあることをヨエルは知らせる。
ローマ人への手紙8章21~22節に万物の嘆きと呻きが告げられている「…被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている」(口語訳)。昨今の気象異常が地球温暖化によって世界各地で起きていることを知らされている。人間の罪深さ高慢さを知らされる出来事ではないか。