アモス9章
11節「その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す」(新共同訳)。
1節「わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。『柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。生き残った者は、わたしが剣で殺す。彼らのうちに逃れうる者はない。逃れて生きのびる者はひとりもいない』」。小見出し『第五の幻』。7章から続く幻の五番目。ここでは祭壇の傍らに裁きを行おうとして立つ主を見る。主が地を揺るがせ、剣に掛け、たとえ陰府に潜り込んでも、天に昇っても(2節)、たとえカルメルの頂きに身を隠し、あるいは海の底に隠れても(3節)、たとえ捕えられて敵の前に連れていかれても、主から逃れうる場所は決してないのである(4節)。
5節「万軍の神なる主。主が大地に触れられると、地は揺れ動き、そこに住む者は皆、嘆き悲しむ。大地はことごとくナイル川のように盛り上がり エジプトの大河のように沈む」。その日には大地が揺れ動き、滅びをもたらす力を表わされる。天も地も海も支配される主である(6節)。
7節「イスラエルの人々よ。わたしにとってお前たちは、クシュの人々と変わりないではないかと 主は言われる。わたしはイスラエルをエジプトの地から ペリシテ人をカフトルから アラム人をキルから、導き上ったではないか」。小見出し『全世界の神』。クシュ人だけでなく、ペリシテ人、アラム人に対しても主である。
8節「見よ、主なる神は罪に染まった王国に目を向け、これを地の面から絶たれる。ただし、わたしはヤコブの家を全滅させはしないと、主は言われる」。イスラエルは変わりないが、主なる神はイスラエル同様に罪に染まった王国を裁かれる。イスラエルを全滅させはしない。諸国民の間でふるいにかけ、罪ある者は皆、滅ぼされ、逃れる者はいない(9~10節)。
11節「その日には、わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し、その破れを修復し、廃虚を復興して、昔の日のように建て直す」。小見出し『後の日の回復』。「その日」とはイスラエル滅亡の後に来る新しい時代を 指す。審判による滅びから逃れた人々に対して復興と繁栄が約束される。
13節「見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き、ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる」。これは紀元前587年南ユダが滅亡した後のことで、アモス預言活動から遙か200~250年も後の事柄になる。
14節「わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒らされた町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる」。彼らはその土地に植え付けられ、再び引き抜かれることは決してないと神なる主は言われるのである(15節)。
義の預言者アモスは神の厳しい審判とその滅びを預言したが、それに終わっていないことを改めて知る。つまり聖書の終末預言は世界の破局で締め括っていないということである。ここでは、「破れを修復し、廃墟を建て直す」(11節)ということである。
11節「その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し その破れを修復し、廃虚を復興して 昔の日のように建て直す」(新共同訳)。
1節「わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。『柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。生き残った者は、わたしが剣で殺す。彼らのうちに逃れうる者はない。逃れて生きのびる者はひとりもいない』」。小見出し『第五の幻』。7章から続く幻の五番目。ここでは祭壇の傍らに裁きを行おうとして立つ主を見る。主が地を揺るがせ、剣に掛け、たとえ陰府に潜り込んでも、天に昇っても(2節)、たとえカルメルの頂きに身を隠し、あるいは海の底に隠れても(3節)、たとえ捕えられて敵の前に連れていかれても、主から逃れうる場所は決してないのである(4節)。
5節「万軍の神なる主。主が大地に触れられると、地は揺れ動き、そこに住む者は皆、嘆き悲しむ。大地はことごとくナイル川のように盛り上がり エジプトの大河のように沈む」。その日には大地が揺れ動き、滅びをもたらす力を表わされる。天も地も海も支配される主である(6節)。
7節「イスラエルの人々よ。わたしにとってお前たちは、クシュの人々と変わりないではないかと 主は言われる。わたしはイスラエルをエジプトの地から ペリシテ人をカフトルから アラム人をキルから、導き上ったではないか」。小見出し『全世界の神』。クシュ人だけでなく、ペリシテ人、アラム人に対しても主である。
8節「見よ、主なる神は罪に染まった王国に目を向け、これを地の面から絶たれる。ただし、わたしはヤコブの家を全滅させはしないと、主は言われる」。イスラエルは変わりないが、主なる神はイスラエル同様に罪に染まった王国を裁かれる。イスラエルを全滅させはしない。諸国民の間でふるいにかけ、罪ある者は皆、滅ぼされ、逃れる者はいない(9~10節)。
11節「その日には、わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し、その破れを修復し、廃虚を復興して、昔の日のように建て直す」。小見出し『後の日の回復』。「その日」とはイスラエル滅亡の後に来る新しい時代を 指す。審判による滅びから逃れた人々に対して復興と繁栄が約束される。
13節「見よ、その日が来れば、と主は言われる。耕す者は、刈り入れる者に続き、ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。山々はぶどうの汁を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる」。これは紀元前587年南ユダが滅亡した後のことで、アモス預言活動から遙か200~250年も後の事柄になる。
14節「わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒らされた町を建て直して住み ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み 園を造って、実りを食べる」。彼らはその土地に植え付けられ、再び引き抜かれることは決してないと神なる主は言われるのである(15節)。
義の預言者アモスは神の厳しい審判とその滅びを預言したが、それに終わっていないことを改めて知る。つまり聖書の終末預言は世界の破局で締め括っていないということである。ここでは、「破れを修復し、廃墟を建て直す」(11節)ということである。