アモス1章
2節「彼は言った。主はシオンから吠えたけり、エルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は乾き カルメルの頂は枯れる」(新共同訳)
1節「テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである」。アモスは「牧者」で農村出身であった。祭司の出身イザヤ、エゼキエルとは異なる。ヤロブアム二世の北イスラエルが繁栄した時代に国の不正と欺瞞を糾弾した義の預言者で、ウジヤ(紀元前792~740年)、ヤロブアム二世(同787~740年)の時代になる。地震は760年頃と言われる(ゼカリヤ書14章5節see)。
2節「彼は言った。主はシオンから吠えたけり、エルサレムから声をとどろかされる。羊飼の牧草地は乾き カルメルの頂は枯れる」。小見出し『諸国民に対する審判』。主の声は獅子の雄叫びのように雷鳴の響きのように民に審判を告知される。
3節「主はこう言われる。ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らが鉄の打穀板を用い ギレアドを踏みにじったからだ」。ダマスコはシリアの首都である。「三つの罪、四つの罪」とは「再三再四」と同じ強調表現。残虐な行為を指摘し、ダマスコの宮殿を焼き、城郭を壊して民はアッシリアに捕え移される(4~5節)。
6節「主はこう言われる。ガザの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らがとりこにした者をすべて エドムに引き渡したからだ」。ガザはペリシテ)。主はガザの城壁に火を放ち、城郭をなめつくす(7節)。アッシリアの攻略により首都は征服される(紀元前734年)。
9節「主はこう言われる。ティルスの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らがとりこをすべてエドムに引き渡し 兄弟の契りを心に留めなかったからだ」。ティルスはフェニキアの首都。同盟関係を破り、エドムと奴隷売買をした罪。売られた対象は必ずしもイスラエルではない。
11節「主はこう言われる。エドムの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らが剣で兄弟を追い 憐れみの情を捨て いつまでも怒りを燃やし長く憤りを抱き続けたからだ」。エドムへの託宣。口語訳「…全くあわれみの情を断ち、常に怒って、人をかき裂き園、ながくその憤りを保ったからである」。新改訳では「肉親の情を損ない」で、イスラエルとエドムは同じ子孫であるが、憎悪と争いを繰り返してきた歴史に対する鋭い非難である。バビロン軍がユダを侵略してきた時、それに乗じてエドムはユダに攻め入り住み着いた(イザヤ書34章、エゼキエル書25章12節、35章10節以下)。
13節「主はこう言われる。アンモンの人々の三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らはギレアドの妊婦を引き裂き 領土を広げようとしたからだ」。アンモンとは同じロトの子孫である。妊婦を引き裂いたという事件は列王記下8章12節にある。ダマスコの残虐、ペリシテの無慈悲、ティルスの違約、エドムの非情、アンモンは残虐な欲望を預言者は取り上げている。これは2章に続く。
アモスの預言が、イスラエルに限定しないのは、神の義の普遍性を表す為である。神の言葉が民族と国境、時代を超えて伝えられることが示される。21世紀を迎え人類は世界の平和と一致をどこに求めていくかが問われている。その基盤を聖書に表された神の義に据えるべきである。
2節「彼は言った。主はシオンから吠えたけり、エルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は乾き カルメルの頂は枯れる」(新共同訳)
1節「テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである」。アモスは「牧者」で農村出身であった。祭司の出身イザヤ、エゼキエルとは異なる。ヤロブアム二世の北イスラエルが繁栄した時代に国の不正と欺瞞を糾弾した義の預言者で、ウジヤ(紀元前792~740年)、ヤロブアム二世(同787~740年)の時代になる。地震は760年頃と言われる(ゼカリヤ書14章5節see)。
2節「彼は言った。主はシオンから吠えたけり、エルサレムから声をとどろかされる。羊飼の牧草地は乾き カルメルの頂は枯れる」。小見出し『諸国民に対する審判』。主の声は獅子の雄叫びのように雷鳴の響きのように民に審判を告知される。
3節「主はこう言われる。ダマスコの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らが鉄の打穀板を用い ギレアドを踏みにじったからだ」。ダマスコはシリアの首都である。「三つの罪、四つの罪」とは「再三再四」と同じ強調表現。残虐な行為を指摘し、ダマスコの宮殿を焼き、城郭を壊して民はアッシリアに捕え移される(4~5節)。
6節「主はこう言われる。ガザの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らがとりこにした者をすべて エドムに引き渡したからだ」。ガザはペリシテ)。主はガザの城壁に火を放ち、城郭をなめつくす(7節)。アッシリアの攻略により首都は征服される(紀元前734年)。
9節「主はこう言われる。ティルスの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らがとりこをすべてエドムに引き渡し 兄弟の契りを心に留めなかったからだ」。ティルスはフェニキアの首都。同盟関係を破り、エドムと奴隷売買をした罪。売られた対象は必ずしもイスラエルではない。
11節「主はこう言われる。エドムの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らが剣で兄弟を追い 憐れみの情を捨て いつまでも怒りを燃やし長く憤りを抱き続けたからだ」。エドムへの託宣。口語訳「…全くあわれみの情を断ち、常に怒って、人をかき裂き園、ながくその憤りを保ったからである」。新改訳では「肉親の情を損ない」で、イスラエルとエドムは同じ子孫であるが、憎悪と争いを繰り返してきた歴史に対する鋭い非難である。バビロン軍がユダを侵略してきた時、それに乗じてエドムはユダに攻め入り住み着いた(イザヤ書34章、エゼキエル書25章12節、35章10節以下)。
13節「主はこう言われる。アンモンの人々の三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。彼らはギレアドの妊婦を引き裂き 領土を広げようとしたからだ」。アンモンとは同じロトの子孫である。妊婦を引き裂いたという事件は列王記下8章12節にある。ダマスコの残虐、ペリシテの無慈悲、ティルスの違約、エドムの非情、アンモンは残虐な欲望を預言者は取り上げている。これは2章に続く。
アモスの預言が、イスラエルに限定しないのは、神の義の普遍性を表す為である。神の言葉が民族と国境、時代を超えて伝えられることが示される。21世紀を迎え人類は世界の平和と一致をどこに求めていくかが問われている。その基盤を聖書に表された神の義に据えるべきである。