日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ

2015-02-18 | Weblog
  アモス8章 

  11節「見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」(新共同訳)

  1節「主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、一籠の夏の果物(カイツ)があった。主は言われた」。小見出し『第四の幻』。7章からの幻の続き第四である。
  2節「『アモスよ、何が見えるか』。わたしは答えた『一籠の夏の果物です』。主はわたしに言われた。『わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない』」。夏の果物(カイツ)がすぐに熟して地面に落ちるように、イスラエルの最後(ケーツ)は直ぐに来ると告げた。語呂合わせになっている。宮殿には神に撃たれた屍が到るところにあるという(3節)。
  4節「このことを聞け。貧しい者を踏みつけ、苦しむ農民を押さえつける者たちよ」。小見出し『商人の不正』。主は悪徳商人の不正を暴かれる。貧しい者を踏みつけ、農民を抑圧し、新月祭や安息日を表面的に守りながら、それが終わると、分銅や天秤を誤魔化して商売をしている(5節)。
  6節「弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう」。これは律法違反だ(申命記25章13~16節)。主はこの悪事を決して忘れない、必ず罰するといわれる(7節)。大地はナイルの大河が氾濫するように盛り上がり、その日は必ず来る(8節)。
  9節「その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする」。小見出し『終わりの日』。神の審判の日には商人の不正が糾弾され、天変地変が起きる。祭りを悲しみに、喜びの歌を嘆きの歌に変え、民はどの腰にも粗布をまとわせ、どの頭の髪の毛もそり落とさせ、独り子を亡くしたような悲しみを与え、その最期を苦悩に満ちた日とするという(10節)。
  11節「見よ、その日が来ればと主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ」。パンと水が断たれるなら生きて行くことはできない。しかし預言者アモスはこの現実を見据えながら、真に求められるのはパンや水でなく、神の言葉を聞くことに飢え渇くことだと言う。これは矛盾に満ちた言葉で容易に言えることではない。
  12節「人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて主の言葉を探し求めるが見いだすことはできない」。美しいおとめも力強いや若者も渇きのために気を失う(13節)。またダンとベエル・シェバに置かれている偶像は破壊され、これを頼る者らは倒れて起き上がることができない(14節)。
 パンと水は人間のライフラインである。いつの時代でもこれが断たれることは死生を制することである。戦国時代に兵糧攻めがしばしば行われている。昨今の様々な災害で悲惨な状態に救援物資が送られているが、これを実感する。これに対比して、神とのライフラインが問われる。これを求めても得られないとは、神から見放される厳しい審判を示している。ここで新約聖書から二か所が示される。主イエスの四十日間の断食の後の言葉「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4章4節)。十字架上の激しい渇きと苦痛の中で叫ばれた主の言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27章46節)。これは身代わりとなって見放された神の審判である。