日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

今こそ、心からわたしに立ち帰れ

2015-02-08 | Weblog
 ヨエル2章 

  12節「主は言われる。「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食し、泣き悲しんで」(新共同訳)。

  1節「シオンで角笛を吹き、わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく」。1章に続いて飛蝗を黙示的に描きながら、外敵の襲来を主の怒りの日として語る。暗黒の雲が覆うように飛来し、これまで起こったことにないような事態である(2節)。燎原の火が燃え広がって、滅びの荒れ野となる(3節)。
  5節「戦車のような響きをたてて山の頂を駆け巡り、わらを焼く炎のような音をたてる。これは戦いの備えをした強大な民の姿だ」。ここでは戦車を飛蝗になぞらえている。戦士が城壁をよじ登り(7節)、町中を駆け巡り、盗人のように窓から入り込む(9節)。地はおおのき、天は震え、太陽も月も、星も光を失う(10節)。
  11節「主はその軍勢の前で声をとどろかされる。その陣営は甚だ大きい。御言葉を実現される方は力強い。主の日は大いなる日で、甚だ恐ろしい。誰がその日に耐ええよう」。地は暗くなり雷鳴が響く有様と、蝗の襲来と重ね合わせ、主の怒りの日を伝えている。一節で繰り返された「主の日」がここでも描かれている。
  12節「主は言われる『今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し泣き悲しんで』」小見出し『主の慈しみ』。国の存亡を告げる角笛が、同時に心を裂いて悔改めを告げる角笛となる。衣を裂くのではなく、心を引き裂き、立ち帰るなら、主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、下した災いを主は思い直されるのである(13~14節)。
  16節「民を呼び集め、会衆を聖別し、長老を集合させよ、幼子、乳飲み子を呼び集め。花嫁を祝いの部屋から呼び出せ」。主の赦しと憐れみを求めて、会衆はすべて、長老も幼児、乳飲み子、花婿花嫁までも招集される。
  18節「その時、主は御自分の国を強く愛し、その民を深く憐れまれた」。悔改めて神に立ち帰る時、主の慈愛と憐れみが注がれる。
  21節「大地よ、恐れるな、喜び躍れ。主は偉大な御業を成し遂げられた」。荒廃した大地は豊かな稔りを得る地となる(22~24節)。飛蝗で示された災禍は消える(25節)。
  26節「お前たちは豊かに食べて飽き足り、驚くべきことを、お前たちの為に成し遂げられた主 お前たちの主なる神の御名をほめたたえるであろう」。主に立ち帰る時、主が豊かに慈愛を注がれたことを知る。それは荒廃した大地が豊かな収穫を得るようになるからである。そして主の御名は周囲の国々で褒め称えられるようになる(27節)。
  3月イスラエル旅行をした時、エルサレム北側の小高い丘から東南に広がるユダの平原を眺望すると春の雨で緑に変化していた。これが間もなく来る夏になると全く茶色の荒地に変わると案内して頂いた方が話していた。ユダの地は乾期の荒野と雨期の緑地が際立って描かれる大地だ。「大地よ、喜び躍れ」とは、この光景を描いているように思われる。イザヤ35章1~2、6~7節にもある。
 四年前の東日本地震・津波で被災した時の映像をテレビで何度も見るが、それは荒廃した瓦礫の大地であった。アラビヤ半島で今繰り広げられている戦禍の映像も悲惨極まらないもので、家屋の残骸と土地と、住む家を失った難民の有り様である。この地獄絵蒔きはいつ終わるのか。新しい天と地を希求して止まない。