相も変わらず、コツコツと書の稽古に励んでおります。楷書、行、草書、隷書、篆書、と5体を順に臨書し、篆刻し、たまに「仮名」も練習する、これをスパイラルのように繰り返して、ゆっくりと階段を上っていくのです。
仮名書きは、漢字とだいぶ感じが違います。使う筆は仮名用小筆、硯でササッと墨を磨り、仮名用半紙に何度もいろはを書写していきます。通常「高野切」という入門書(手本)があり、仮名を学ぶのはこれ一つマスターすれば、なんとかなります。ちなみに、紙は表面を薬品でコーティングしてあり、ほとんど墨が滲まない(吸わない)ようにしています。それで、僅かな数ミリの穂先に含んだ墨で墨継ぎせずに十数文字を書けるのです。
清書や作品作りは、模様や絵、ぼかし、金箔などを施した切継紙とか料紙と言われる小さな紙に、句や短歌などをサラリと書くことになります。僅かな紙の中に、上手に空間をとって書くのが一番の難関です。これによく用いるのが短冊でもあります。
仮名書きの書は、中には条幅、全紙を使った大作もありますが、概ね小さな色紙・短冊にサラサラと書くのでほんの数十秒もあれば書き終わります。もちろん紙の大小、かかった時間で作品の価値が決まるわけではありませんが、先にこのブログでも紹介した「百福寿」などは、ちゃんと書きあがるまで、一瞬と気を抜けない作業で丸二日を要するのです。これを同列に扱われてもなー、というのが書き手側の偽らざる本音であります。
さて、ようやく通常国会が始まりました。総理の所信表明、これを短冊方式というのだそうです。各省庁から上がってきた目玉の政策(見栄えのしそうな施策)を短冊のように並べ、総理がそれぞれ4,5分ずつ順に読み上げるのです。
もともと官僚は「無謬性」=間違いをしないという発想に凝り固まっていて「前例主義」の権化でもあります。その施政に大幅な変更などありようもないのです。おそらく官邸からは、なにか今までと違うものを出せと言われるでしょうから、唐突に局所的な政策を打ち出してきます。カーボンニュートラル・グリーン成長戦略 、デジタル省、はんこ廃止など、目先を変えるだけの小手先の案です。
わずか40分程度の所信演説なので、総花的表面的になるのは当然の帰結です。しかし100年に一度の国家的危機、そして、予算の半分近いものをその対策に費やす「コロナ」であります。国民が注目し最も期待を寄せるのはオリンピックでもデジタル化でもありません。コロナ、その一点に尽きるのです。
40分は既成の短冊を読み上げるのもいいでしょう。今回ばかりは、それとは別に、コロナの過去1年にわたる総括と反省の上に立って、徹底的に封じ込めるための体制を確立したうえで、国民にも負担自粛を要請するという姿勢を出すべきなのではなかろうか、と思いましたね。
Go-toで「延べ2500万人以上が宿泊し、感染が判明したのは数十名 」という根拠のない言い訳を言った時点で、この人の言うことを聞く価値はゼロです。事前にツイッターで内容を暴露されたとか、議員が居眠りしたとかは、演説が、ただの原稿読み上げ以上の何物でもない、お粗末な内容が招いた自然現象と捉えるべきでしょうね。
仮名書きの書を悪く言うつもりはさらさらありません。長年磨いた書芸で、筆先に神経が研ぎ澄まされて書かれた繊細な「かな書」は、息をのむような美しさと趣があります。
しかし、何か月も練習下書きを繰り返し、何十回も書き直して清書した半切・条幅の作品を見るとき、その書家さんの労苦と並々ならぬ研鑽・気概にふれ、その書のすばらしさを感じてしばし見入る、というようなことになりましょう。
一発芸で笑いを取るぽっと出の若手芸人と、1時間かけて「芝浜」を演ずる名人の噺とを一緒くたにできないのが道理というものです。
あんな「短冊」所信表明演説など、なんの価値もありません。ちょっと大声を出していたのがご愛敬でしたが。
凝縮された深い内容、思い入れ・魂を込めて自分自身の言葉で、十分な時間をかけて語りかけてこそ、人の心に響き国を動かす演説となるのです。
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