美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その12)

2019年07月09日 18時37分03秒 | 経済

*けっこう間が空いてしまいました。コンスタントに発表できるよう心がけます。

さあ、一から始める、ある国家の通貨を造りましょう。新しくアナウンスされた通貨を伴った新国家を想像してみるのですね。いまのところだれもその通貨を持っていません。そこで政府は、たとえば、適正な税があると宣言します。では、どうやってその税金は支払われるのでしょうか。政府が財政支出をしてはじめて、それが可能になります。政府がその新しい通貨を支出した後にはじめて、人々は税金を支払う元手をゲットするのです。

繰り返します。税金を支払うための元手は、政府の財政支出(かもしくは貸し出し)からもたらされます。ほかのどこからもたらされるというのでしょうか。注2)

*以下の注2)は、読み飛ばしていただいてけっこうです。訳もあまり良い出来ではありませんし。

注2) 市中銀行が中央銀行のFRBに設けている準備金勘定を理解する人々のために申し上げるのですが、FRBは、準備金の追加なしにいわゆる準備金の流出を実現することはできない点に留意していただきたい。で、財務省の残高が増えたとき、FRBは決済日に何をするのでしょうか。

*次の「It does repos」のなかの「repos」の適切な訳が浮かびません。

財務省証券を買わなければならないという銀行制度につぎ込まれるべき基金を追加するのです。さもなければ基金が、財務省証券を買うためにそこに存在することはないでしょう。そして市中銀行は、彼らの準備金勘定に当座借越を有することになってしまうでしょう。FRBにとって、当座借越とはいったい何でしょうか。当座借越とは、機能面からすれば政府からの借金です。ゆえに基金は、いずれにせよ、政府それ自体に由来する財務省証券を買うために使われることになります。税金を支払ったり国債を買ったりするための元手は、政府の財政支出からもたらされます。政府がまず支出し、その後税金を集めたり借り入れたりすると考えるのがベストです。(以上 注2 )

話を戻しましょう。税金を支払うための基金は、政府の財政支出(かもしくは貸し出し)からもたらされる、ということは、政府はまず最初に財政支出をしなければならないということを意味します。そうして、財政支出は、結局のところ、私たち民間部門に、税金を支払うための基金を供給するのです。この場合、政府は、あの両親、すなわち、子どもたち実際にクーポンを集めはじめることがでできるようにする前に、まずクーポンを配らなければならないあの両親によく似ています。そうして、政府も両親もともに、彼らが支出した額より彼ら自身の通貨をより多く集めることはできません。そんなお金がほかのどこからもたらされるというのでしょうか。注3)

*次の注3)も読み飛ばしていただいてけっこうです。

注3)銀行制度の内側で、いま述べたことはどのようにうまく働いているのか書き留めておきましょう。あなたが連邦政府に対して小切手を切って税金を支払うとき、その税額は、FRBの準備金のなかのあなたの銀行の準備金口座の借り方に記入されます。もちろん、FRBの準備金は連邦政府からもたらされます。民間部門は、準備金を生み出すことができません。もしあなたの銀行が準備金口座にお金がまったくなかったら、あなたが切った小切手は、その銀行の準備金口座の当座借越になります。当座借越は、連邦政府からの借り入れです。だから、どんな場合でも、連邦政府への支払いをする元手は、連邦政府だけによってもたらされるのです。(以上 注3)

だから、われらが政治家さんたちは、政府は、彼らが財政支出をするためには、徴税か借り入れによって国民のドルを手に入れることが必要であると固く信じているのではあるのですが、真実は以下の通りです。

私たちは、私たちが税金を支払うのに必要な元手を得るために連邦政府の支出を必要とする。

私たちは、連邦政府(やボーリング場やアメフトのスタジアム)がそうするようには、自分たちの数字を変えることができません。注4)

注4)ちょっと留意していただきたいことがあります。州と地方政府は、USドルの使い手であって、発行者ではありません。そこは連邦政府とは異なります。実際、合衆国の州政府は、私たち民間人とよく似た位置にいます。州政府も私たち民間人も小切手を切る前に、銀行口座にお金を入れる必要があります。さもないと、小切手は不渡りになります。親子のアナロジーのなかで、私たちと州政府は子どもたちとほとんど同じ立場にいます、与えるためにはまず得る必要があるという点において。(以上 注4)

ちょうど、子どもたちがクーポンの支払いをするために、稼いだりどうにかクーポンを手に入れたりしなければならないように、私たち国民は、税金の支払いをするためにUSドルを稼いだり、どうにかして手に入れたりしなければなりません。そうして、いまや読者のみなさんがお分かりのとおり、国民経済全般で起こっていることは、それぞれ独自のクーポンを発行するそれぞれの家計において起こっていることと基本同じです。子どもたちが両親に支払うのに必要なクーポンは、両親からもたらされなければならないのです。

そうして以前述べたように、財政支出はどんな場合においても運用上収入(すなわち、税収と借り入れ)によって制限を受けていません。はい、議会が設けたところの、“自分に課した”財政支出に対する制限はありうるし、また実際にもありますよ。しかし、それはまったくの別問題です。これには、債務上限ルールや財務当座借越ルールや連邦政府が財務証券を買う場合の諸制限が含まれます。それらはすべて、貨幣制度についてのまともな知識を持っていない議会によって課されたものです。私たちの現代貨幣論からすれば、それらの自ら課した制限はすべて、公益の増進に対して逆効果をもたらすものです。

それらはすべて、なくもがなの、貨幣の供給にとっての障害物にほかなりません。そうしてそれらは、(それらがなければ起こるはずのない)諸問題を惹起します。事実、それらのいくつかは最近財政危機をもたらし、現実経済に悪影響を与え不況をもたらしました。

政府の財政支出はどんな場合でも運用上収入の制限を受けていない、という事実は、

支払い能力のリスクなどというものはまったくない

ということを意味します。言葉を換えれば、連邦政府は、自国通貨によってあらゆる支払いをなしうるのです。むろん、財政赤字がどれほど膨大であろうと、もしくは、税収がどれほど少なかろうとも。


しかしながら、だからといって私は、政府は前後の見境もなしに欲するすべての支出をすることができる、放漫な支出をせよ、とそそのかしているわけではありません。過大な財政支出は、物価の上昇をもたらし、インフレを惹起してしまいうるのです。

*MMTへのステロタイプの批判のひとつに「MMTは、ハイパーインフレをもたらす野放図な財政支出を是とするとんでもない理論である」というのがありますが、それがいかに的外れか、上の2文から即座に分かります。
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