行雲流水の如くに

晩年をどう生きるかーー森喜朗発言問題について考える

森喜朗会長の発言問題がなかなか収まらない。

森さんが弱弱しそうにしていれば、高齢でもあるし、それなりに同情論も起こる所だ。

ところが元気いっぱい、若手の記者の質問に切れて見せる。

バッシングはしばらく収まらないだろう。

 

「還暦」を過ぎたあたりから、現役をリタイアして毎日ゴロゴロする生活にあこがれていた。

いわゆる「隠居」というやつだ。

都会でごろごろしていたら、某政治家のようにネオン街をさまようから、田舎に引っ込んだ。

幸いなことに庭仕事が好きだったので、田舎暮らしは苦にならない。

 

瀬戸内寂聴さんは次のように述べる、

そんな心配や取り越し苦労をするよりも、今ここにいる、この瞬間を精一杯、生ききることが大切なんですね。洗濯でも料理でも読書でもそうです。この本を読んでいる時はただ懸命に読む。人生の充実はこれに尽きると思います。

「寂聴97歳の遺言」

 

年を取ると人間が丸くなる、というのはのどかな時代の話だ。

体力が衰えるから自然とそうなる。

しかし最近の高齢者は概して元気だ。

元気なせいか、「自分のミスを認めることが大嫌い」

ところが「物忘れ」だけは確実に激しくなる。

 

しかし年寄りは少し「ボーツと」しているほうが良いのかもしれない。

現役をはなれてからもピリピリと神経が鋭く、寸分の隙も無いというのはちょっと気味が悪い。

悠然として南山を見る

山気 日夕に佳く

飛鳥相ともに還る

此の中に真意あり

弁ぜんと欲すれば すでに言を忘る    東晋 陶潜


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