国会中継は時々見るが概してつまらない。
丁々発止の論戦を期待していると当てが外れる。
恐らく日本人全般に言えることだが、論理的にやり合うということが苦手なのだ。
野党が質問しても、与党の首相や大臣はまともに答えることがない。
官僚の答弁を長々と答えているが、まさに無味乾燥。
官僚のペーパーが無い時は、しどろもどろになるか、関係ない話を長々としゃべる。
子供のころを思い出すとなるほどと思うことがある。
兄弟喧嘩が起きると親は「とにかく喧嘩はやめなさい」と収めようとする。
おさまらなければ「喧嘩両成敗」で二人とも罰せられる。
要するに兄弟のどちらに非があったのかを確かめないのだ。
野党が与党のスキャンダルを攻めるが、
あまり長いことやっていると「もういい加減にしなさい」となる。
もともと日本語は曖昧な言葉だ。
論理を鍛えてこなかった。感情や想いを伝える手段として鍛えてきた。
2000年以上このやり方で来たわけで、国会が出来て120~30年くらいで激しい論戦が磨かれるわけがないのだろう。
最近、日本語は論理はもとより感情や想いを伝える手段としても劣化して来ているのではなかろうか。
(正確とは言えないような英語と耳にしたくないような言葉が多くなった)