わが国の民主主義は戦後アメリカに与えられたものだが、国民はいまだにその意味が分からないままだ。
「民主主義とは何ぞや」と問うた時に、選挙でも町内会の会合でも多数決で物事が決められることを民主主義と理解している。
しからばその選挙が極めてゆがめられた形で行われていた場合でも、多数決で決まりとするのだろうか?
ここに、今の日本が抱えている大きな問題がある。
統一教会問題がクローズアップされて浮き彫りになったのが、自民党は反日団体とも思われる「統一教会」とズブズブの関係だったということだ。
自民党は創価学会だけでは物足りず統一教会にまで「票欲しさに」魂を売っていた。
国民の半分が選挙に行かないから、有権者の四分の一を抑えればこの国を支配できる。
一番堅いのが宗教団体票ということだ。
まさに宗教団体にこの国が乗っ取られかかっている。
ジェームズ・ガルブレイスが言うところの「プレデター国家」(少数の捕食者にのっとられた国)
デモクラシーの言葉の中味を分析すると、
「デーモス」は、ギリシア語で民衆を意味する。
「オクロス」は、衆愚を意味する。
民衆が愚かなら(あるいは情報操作されていれば)すぐにデモクラシーは衆愚政治に転落する。
この数十年の自民党政治は、明らかに自らの「自立と自尊」を捨てて情報操作による「衆愚政治」を目指していたと言ってよい。
投票に行かなかった人を含めて有権者は「空気を読まない鈍感力」と
「何が事実かを見極める敏感力」を鍛えるべきだろう。