もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

防衛費シーリングの先祖返り

2024年03月13日 | 防衛

 令和4年に策定された安保戦略3文書において、防衛装備の抜本的強化に着手し、向こう5年間で総額43兆円の経費を支出することとされた。

 計画策定時の為替レートは1㌦108円内外であったが、現在では150円程度に推移しているので当初計画の装備が調達できるのかと危ぶんでいたところ、木原防衛省が「必要な防衛力強化を(43兆円)範囲内で行うことが防衛省の役割」、鈴木財務相も「政府としてこの水準(43兆円)を超えることは考えていない」とそれぞれに述べていることが報じられた。
 為替レートの変動で円の価値が2/3に下落すればドル建依存度の高い自衛隊装備にあっては調達できる装備も2/3になるのは必定で、200発装備予定の長射程ミサイルも140発しか保有できないことになる。
 かっては、防衛関連予算には「対GDB比〇%以内」というシーリングが金科玉条として存在した。それを墨守しつつ自衛隊の装備を先進国並みに見せ掛けるために何をしたかと云うと、「正面装備は戦闘機〇〇機、イージス艦〇隻、ミサイル発射機○○基を国債で調達・保有するが、一般会計で賄う後方装備の弾薬や部品はシーリングを守るために手当てしない(できない)」というものであった。そのために部隊は苦肉の策として、可動航空機の何幾かを「部品取り専用機」にしたり、実弾訓練の回数を減らして凌がざるを得なかった。例えるならば、高価な車を親から買ってもらったが、自分の給料ではガソリン代が払えないために車は殆ど動かせないというケースに似ている。
 安倍政権下で策定された安保戦略3文書の質疑段階で漸くに装備の「質と量、とりわけ継戦能力や反撃力」まで踏みこんだ議論が交わされるように深化したと思っていたが、今回の木原・鈴木両大臣の発言を見る限りでは、安倍氏のテロ死もあってか円安事態にも拘らず「43兆円という新たなシーリング墨守」に先祖返りしてしまったように思える。

 安保戦略3文書の質疑に関しては、装備の抜本的強化のための量的議論で始まったが、当時の為替レートによって参考的に答弁した43兆円が示されると本来論じられるべき質・量は脇に置かれ、43兆円が独り歩きを始めてしまった。
 曰く《43兆円あれば「教育費を無料にできる」「医療費を減免できる」「脱炭素に転換できる」・・・》という主張が上がってきたが、何れも「日本国家が存在した上で」の前提に立つものである。防衛費支出は、それらの前提である国家存立を全うしようとするものであることを考えれば、経費の使用目的において両者は全く趣を異にするものであることを、国民は今一度考えなければならないように思える。


便益を知る

2024年03月10日 | 防衛

 原価・利潤意識の希薄な職に半生を送ったためであろうか。便益と云う言葉を知らなかった。

 ネットで調べると、「便利で、利益があるようにすること。また、そのさま。(精選版 日本国語大辞典)」、「便宜と利益。都合がよく利益のあること。(Weblio)」とあった。
 今朝の産経新聞「東日本大震災あす13年」の記事中、防潮堤の功罪を論じる一環として東大大学院の学生がある地区の「防潮堤建設計画に関する費用便益分析」という論文を書いて、便益から建設費や失われてしまう景観などの「費用」を差し引いた「純便益」が大きなマイナスになると試算しているとしていた。
 ある事象を数値化することで、損得勘定を定量的に示すので理解しやすい半面、一つの方向性を持たせるために数字を利用することも多いように思うが、今回の論述者は大学院生であるので、色眼鏡でなく真に学術的な手法で考察した末の結論であるように思うものの、便益や景観毀損費用の評価係数を知りたいところである。
 防潮堤で救える可能性の人命を何円の「便益」とし、損なわれる景観を何円の「費用」としているのであろうか。論文の指導教授は公共経済学が専門とされているので、それらについて数値化する手法は既に学会内では確立されているのであれば、是非とも国民の共通認識として広めて欲しいものである。
 自分のように数字や金銭感覚に弱い人間は、定性重視の感覚で「何億円かかろうとも、一人の人間でも救えるならば良し」と考えがちであり、ひいては「それが人類愛である」との独善に陥ってしまうが、公共経済学の立場に立てば「公共(国家)が存続するためには便益も制限すべき」という結論になるように思える。

 防衛力の整備に関しても、迎撃ミサイル1基の値段や装備数に関して甲論乙駁である。識者も「武力侵略劈頭における国民の犠牲を局限するための必要数」としか述べ得ないが、公共経済学の手法をもってすれば「〇〇人の犠牲で済むための所要数」を定量的に示すことができるのかも知れない。
 そうなれば、〇〇人の犠牲数を巡っての攻防は新たに起きるだろうが、少なくとも理性的な考察による質疑に変化し定性的な反論・金切り声は聞かなくて済むようになるのではないだろうか。
 最後に、本文は、出発点となる公共経済学を理解していないために起きた愚文であるかも知れないことを付言します。


老衰の復活

2024年03月07日 | 憲法

 メディアが伝える訃報で、再び”老衰”という言葉に接する機会が増えたように思う。

 昭和末期までは確たる死因が特定できない高齢者の訃報は”老衰”とされていたが、平成以降は”多臓器不全”と報じられていたように思う。
 両者の字面を自分としては、”多臓器不全”はボロボロの体でありながらも未練と執着を捨てきれない末期と感じるが、”老衰”からは「高僧の入定もかくや」の生き切った穏やか最期のように感じる。
 閑話休題
 人体・生命の不思議を最先端の研究者が披露しコメンテータが話を広げるNHKBSの「ヒューマニエンス」を良く視聴する。先日のテーマは”老衰”で、臨床研究者が高齢者施設生活者のデータを元に、興味ある仮説・意見を述べていた。研究者によると、施設から提供される1200kCal/日の食事を摂り続けても、個人差はあるものの多くの場合死の略5年前から体重(BMI)は減少し始めるそうである。
 体重変化と死期の関係について研究者は、科学的には立証されていないものの一つの事実・データとして更に研究を進めると慎重であったが、コメンテータは、脳・臓器の何処からか「もう、栄養は要らない」との信号が出されている可能性があるのでは?と応じ自分も同感である。

 一世を風靡した感のある”多臓器不全”を押しのけて”老衰”が復活した背景には、このような医学上の変化があったのだろうか、それとも、字面に対して自分と同様に反応する遺族や関係者の要求があったのだろうかは不明であるが、訃報において「死因」は大して意味を持たないことをメディアが漸くに理解した所為ではないだろうか。肉親以外の訃報に接して自分は、船村徹氏では「なみだ船」「男の友情」を、八代亜紀さんからは「なみだ恋」を、と反射的にその人の最も華やかだった場面を思い死因は読み飛ばすのが常である。

 自分自身、食欲も細り食事を作る妻の労力に報いるべく半ば義務的に完食しているが、なにやら体重が落ちてきた気配濃厚な昨今である。入定とはいかないまでも、老衰死との表現が相応しい死へのソフトランディングを目指して生きて行こう。


モルヒネの思い出

2024年03月06日 | 防衛

 昨日は防衛省(自衛隊)が全血型血液製剤を独自に製造・備蓄する計画に賛意を表したが、更に保有・備蓄を検討して貰いたいものがある。

 その前に、新兵教育後に配属されたのは米海軍貸与(後に供与)のPF(パトロール・フリゲート)であったが、当該艦は昭和17年建造後に一時ソ連に貸与されたもので、自分が乗り組んだ時点でも主機回転計の前後進表示はキリル文字で書かれていた。
 乗り組んで2年後、艦は退役・廃艦となるために乗員は搭載物品の整理に明け暮れていた時、艦の最後尾にある舵機室のビーム(桁)裏の目立たない箇所で防水紙に包まれた不審な2個の包みを発見した。開けてみると内部に液体が封入されたビー玉大のガラス容器12個(計24個)が収められており、同梱の使用説明書は「モルヒネ」と読め、イラストの使用法も添えられていた。推察するに、不良米兵が搭載品のモルヒネを掠めて隠したものであろうが、取り出す機会を失って、以後ソ連兵・自衛隊員にも発見されないままに20数年が経過したもののようである。班長・機械員長に報告する前に、世故に長け信頼できる海士長に相談したら「素行不良の俺とお前が見つけたとなると2箱以上あったに違いないと勘繰られるのは必定。黙って海に捨てろ」と云われ、成る程!!と思い、浮かび上がらぬようにワイヤーで鉄板に縛り付けて母港の海に捨てた。今はどうなっているのだろうか。水圧で割れただろうか?ワイヤーが朽ちてどこかに行っただろうか?それとも今も眠っているのだろうか・・

 冒頭に書いた「保有・備蓄」を検討して欲しいのは、戦傷者の苦痛を軽減するための「モルヒネ」である。戦争映画では、衛生兵が戦傷者にモルヒネ入りガラス玉を押し付ける(叩きつける)場面が描かれるが、ガラス玉であれば衛生兵がいない場面でも戦傷者の苦痛を軽減させてやることができる。
 モルヒネ=ヘロインであるので、保管・管理についてクリアーしなければならない事項も多いだろうし、素人が使用すればモルヒネの過剰摂取で傷者を死なせてしまう恐れもあるが、戦う・戦える自衛隊になるためには、戦闘に付随する傷者処置も世界基準にしなければならないように思う。


「全血」血液製剤を知る

2024年03月05日 | 防衛

 防衛省が、戦傷兵に対する迅速な救急救命のために、血液型に拘わらずに輸血できる「全血対応型血液製剤を独自に製造・備蓄する方針であることが報じられた。

 独自開発には、戦死の多くが失血死であること、令和4年の防衛力整備計画で「血液製剤を自衛隊が自律的に確保・備蓄する体制の構築」が定められていることが背景として挙げられているが、混乱した戦場で一刻を争う救命のためにも、是非とも実現させて欲しいものである。
 具体的には、血液製剤製造の原材料は自衛隊員からの献血で賄うものの、2~4℃の低温状態での保存期間が3週間程度であることから、製造の始期や製造量は今後検討するとされている。
 報道によると、日本では同種の血液製剤は薬事承認されていないそうであるが、これまで災害大国の日本で不必要とされていたのだろうか、さらに医療現場からの要求は無かったのであろうか、との疑念は捨てきれない。自衛隊員であれば、認識票に血液型を刻印しておけば対象者の意識の有無に拘わらずに血液型を知ることができるが、不特定多数の負傷者が殺到し、輸血用血液も払底し、中には意識の混濁した傷者もいるだろう災害現場を考えれば、医療の現場、特に救急救命士などからは全血型血液製剤の欲求はあったのではないだろうか。

 今回の血液製剤の製造・備蓄に関しては、防衛省の例外的運用を厚労省と協議するとなっているが、自衛隊の行動や運用に当っては法律の例外規定とされたものが多く、更には、有事にあっては必要と認識されている行為にあっても例外規定が制定されていないことも多い。これは、有事における自衛隊(軍隊)の任務・行動が如何に一般社会から隔絶したものであるかを物語っているように思える。
 有事法制と聞くと、直ちに集団的自衛権、日米安保の片務性の解消、敵基地攻撃能力の整備が脳裏をよぎるが、今回の血液製剤に関する薬事法の例外規定のように整備しなければならない法律が山ほどあるように思える。
 不勉強の所為で正解は分からないが、敵が国立公園内に橋頭堡を作った場合に陸上自衛隊は、樹木を折っても良いのだろうか?戦車の轍で現状を損なっても良いのだろうか?。


集合住宅作法

2024年02月26日 | 世相・世論

 集合住宅での生活を修行中である。

 これまでは、狭いために1戸建てならぬ半戸建てと自虐していたが、それでも両隣に対してあまり気を遣うことも無く生活していた。
 また、集合住宅での生活経験は、官舎が漸くに整備された昭和末期に2回経験しただけで、それとても入居者は全て同業者、少ない予算で建てられたための薄い壁床を通して隣接の生活音は筒抜け、更に夜勤明けで帰宅する者、早朝に出勤する者、警急呼集で深夜に出勤する者、また居住者の大半が子持ちで特に幼児が部屋を運動場代わりに走り回る音、等々、いわゆる騒音は常であった。しかしながら「相見互い」「明日は我が身」との認識共有の故に騒音(生活音)に関するトラブルはなかった。
 今回の転居で実質的には初めて集合住宅で生活することとなったが、生活音による軋轢は相当なものであるようである。エレベータや掲示板には生活音に対する注意が張られ、隣家への挨拶時には「子供が小さいので床に防音対策しているのですが・・・」、「子供の部活の都合で22時以降に洗濯するのですが・・・」、「夜勤なので・・・」と、全て生活音に対する陳謝・要望が添えられた。
 自分にも、集合住宅住まいに慣れた娘から、「ソット歩くこと」「靴下/スリッパを履くこと」・・・の注意が宣告され、椅子などの諸々の足には靴下?を装着、・・・と全て生活音局限のための措置が要求された。
 現在、忍び歩きの習慣を会得すべく、急がず/すり足移動を修行中であるが、まるで盗人の初等教育もかくあるかとの思い、第一鉄板の上を走り回る生活が長かったために一朝一夕に「忍び歩き」は会得できそうもない。

 階上から子供の駆ける音が聞こえても「元気だな。頑張れ!!」、深夜のドア音にも「これから仕事?大変だな!!」と受け取っていた自分、通風機の音、外板に当る波の音、エンジン音の中で生活し眠ることが常であった自分は、やはり世間様とは別の空間に生きていたもののようである。
 ともあれ、隣家との騒音トラブルを回避するために一日も早く集合住宅の作法に慣れる必要に迫られているが、寝巻のまま新聞を取りに行くことができた朝は、再び帰ってこないだろう。


妬み、嫉み、僻み

2024年02月25日 | 世相・世論

 産経抄子が野坂昭如氏の名言を紹介している。

 敬愛する野坂氏は《コラムを3つの「み」で書く。妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、僻み(ひがみ)だ》と喝破されているそうである。
 コラムとは呼べない拙文であるが、振り返ってみると、公憤・提言の体を装ってはいるものの、将に3つの「み」のオンパレードである。
 恐らくであるが、テレビに代表されるマスメディアにあっても、識者・コメンテータの発する起床転結や思考過程の説明を要しない短いコメントの裏側には、3要素が潜んでいる可能性も有るように思える。
 アジアカップ 準々決勝の対イラン戦敗戦の原因が、性加害訴訟で伊東純也選手が代表を外れた穴を埋められなかったとの指摘・分析に対して、「所詮、球蹴り遊びだろ。女性の人権の方が大事」とコメントした人がいるそうであるが、彼の真意と発言の裏側は、女性擁護発言は真の女性人権擁護者である故なのか?・サッカー代表戦を「球蹴り遊び」と一蹴する背景には、もしかしてJ-リーグを目指しながらも挫折した少年期の嫉みがあるのではないか?・運動能力に秀でた人に対する僻みが言わせていないか?。等々、斜に見る必要なしとしないように思える。

 SNSが無く市井の個人が意見を述べることが困難な時代には、3つの「み」は自分の耳目の届く範囲に限られていたが、SNSの普及で縁もゆかりもない人への中傷や誹謗という形で際限もなく範囲を拡大している。
 3つの「み」は、通常《頑張れば自分も肩を並べられる(だろう)・手が届く(だろう)》と思える対象に向けられるもので、容姿・体躯・金銭・知的能力・運動能力・・・全ての点で非の打ち所が無く常人とは懸け離れた大谷翔平選手に対しては、誰しも3つの「み」を感じていないように思える。

 わが半生(既に全生ともいうべきか?)を振り返っても、全ての行動は「3つの「み」に衝き起こされていたように思える。いや、大半の人がそうであり、社会・文明の進歩の原点が「み」を出発点とした競争によって生み出されたといっても良いのではないだろうか。その証拠にソ連のコルホーズ政策は競争の原点である不平等、言い換えれば3つの「み」を根絶する究極の政策と喧伝されたが、惨憺たる結果に終わった。
 3つの「み」は人間の業であり表に出すのは慎まなければならない反面、内心に押し隠した「み」こそ、文明発展の原点であると結論して「終演」


ガラパゴスとシーラカンス

2024年02月24日 | 世相・世論

 転居を機に更新した家電製品に驚いた。

 若き日の艦艇電機員時代。初等の電機員教育修了後に配属されたのは、大東亜戦争で活躍し海自に貸与(後に供与)されたフレッチャー型駆逐艦であった。2年後に当時の最新鋭護(4次防艦)に配属替えされたが、建艦思想と装備機器の40年近い進歩・変化を短時日で理解・習得するのに苦闘した経験がある。
 今回、更新のために廃棄した家電製品の多くは何れも30年以上前のもので、洗濯機を例にとれば複雑な機能も無く、押し釦も数個あるだけで価格も数万円であったが、更新した洗濯機には機能満載で価格も30万円弱と云う代物である。先ず洗濯を始めようとした老妻は、これまでの経験のみで洗濯機を操作しようとしたが数分で降参した。次いで自分が取説片手に参戦したが、思うようにいかず洗濯開始までに相当な時間が必要であった。洗濯機設置後、既に1週間が経過し複数回の洗濯機会があったが、おそらく搭載された機能の10%も使用していないだろう。言い換えれば、その10%の機能で通常の洗濯には十分で残りの90%の機能は不要とも極言できる。数年間隔で洗濯機を更新するならば、機能の変化を容易に理解して使いこなすことも可能であろうが、拙宅の様な状況では30年の技術革新と変化を一足飛びに理解しなければならない。また取説も、ユーザーが数年間隔で更新するものと思ってい書かれているのか1世代前の機能からの変化を重点に解説しているようで不親切この上ない様に感じられる。

 これが、日本の白物家電が国際競争力を失った「ガラパゴス現象」かと理解したが、拙宅のようなシーラカンス、洗濯の出来上がりに拘泥しない人、況や初めて洗濯機を購入する人が、必要最小限の機能を搭載した安価な韓国製品に流れるのは致し方ないように思える。自分も徴用工・慰安婦問題さえ無ければ安価な韓国製品を勧めたであろうものの、エアコン以外には発言権を認めて貰えないために、使用しない90%の付加機能のために泣く泣く大枚(?)を支払った。
 現在、他県に出向中の娘が同居するようになったら機能の利用率も50%くらいまで上がることを内心で願っている。


男と女

2024年02月23日 | 芸能

 ブログ中断中に芸人・松本人志さんとサッカー・伊東純也両氏の性加害問題がある。本日は「男尊女卑の石器人」とのお叱りを受けるであろうことは覚悟している。

 松本人志氏は全ての芸能活動を休止し、伊東純也選手は日本代表から去らざるを得なかった。
 男女間の秘め事であるので真相は当然に藪の中であるが、既にメディアでは週刊誌報道が真実として一人歩きし、当初「松本人志さん」とされていたものが昨今では呼び捨てにまで変化している。
 両氏の対応は、松本氏が名誉棄損で民事訴訟を起こしたのみであるのに対し、伊東氏は損害賠償の民事訴訟に加え偽証容疑で刑事告発している。
 最終的には司法が判断するもので我々はその結果を待つ以外にないが、自分としては男女ともに「ドッチもドッチ」であるように思っている。
 二つのケースともに報じられた限りでは暴力的な手段を伴うものではなく、女性が強く断れば一線を越えることは無かったかのように思える。宇崎竜童氏「港のヨウコ横浜・横須賀」を借りれば、「・・・初心なネンネじゃあるまいし・・・」的に、20歳過ぎれば「そのような誘いには、何らかの危険が付き物」とは当然に予知していたであろうし、それを置いてでも場に出向いた・居合わせたには何らかの期待や打算が有ったと思われても仕方がない様に思えるし、そのような状況を多くの男は「OKサイン」と受け取るだろう。
 更には、申し立てまでに、ある程度の時間が経過しているのも不可解で、訴訟は他者や弁護士の入れ知恵によるものかとの疑念も捨てきれない。

 女性の申し立てを真実と看做す現在の風潮は、女性からの一方的な痴漢被害申し立てによって多くの冤罪者を出した時期に似通っているように思える。
 そんな中にあって、伊東選手の所属するフランス1部のスタッド・ランスが彼を先発出場させたことに対して「推定無罪の原則に依っている」とし、広島東洋カープの松田オーナーが「松本さんをCMに起用したい」とそれぞれ述べているのは、ヒステリックなメディアと世論に嫌気がさしたものであろうし、多くの似非女権支持者の心底にも自分と同じ気持ちがいくらかは有るのではと思っている。


ガザ地区の戦闘報道や論説に思う

2024年02月21日 | 軍事

 ガザ地区の戦闘は、昨年の10月7日早朝にハマスがガザ地区からの2000発以上の大規模なロケット攻撃でイスラエル側の民間人約1200人を殺害するとともに、フェンスを突破したゲリラ攻撃で婦女子約240人を人質に取ったことで始まった。そして、その後イスラエルの報復攻撃が継続中で、現在までの死者は双方で4万人に近いと報じられている。

 転居のどさくさで戦闘の推移を連続してウオッチできなかったが、紛争・戦闘に関する報道(主としてTVコメンタータ)の論旨が変化していることには考えさせられる部分が多い。
 戦闘開始直後にはハマスの暴挙を糾弾する声が高かったが、戦闘が長期化し更にはイスラエルの本格戦闘開始以降は言外にイスラエルの一方的な戦闘終結を望む論調が増えている。
 4000年に及ぶ領土・民族・宗教紛争であるので、双方に正義とする部分があり正邪は即断できないが、イスラエル建国以来の和平努力でフェンスで囲まれているとはいえパレスチナ自治区の設立で一応の棲み分け(1国2制度)ができていたように思う。そう考えれば、今回の紛争と人的被害の原因の全ては「力による現状変更」を企図したハマスが負うべきで、イスラエルの執った報復・ハマス絶滅の軍事行動は国家として正当な行動と考えるべきではないだろうか。そう考えれば一部識者の云う「ジェノサイド行為、イスラエルからの一方的停戦」は、原因を作ったハマスのテロ攻撃を容認することに他ならないと思う。
 戦後80年戦争被害を経験していない日本人であれば、イスラエル非難にはガザ地区の人的被害が想像を絶することに加え判官贔屓の国民性によるものであるだろうが、イスラエル国民は自国民の被害に対して加害者に懲罰を与えてくれる国家・政権であることを幸せに思っているのではないだろうか。国の体面を損なう外威に対しても遺憾砲を打つだけの日本、果たしてどちらが国家として正しいのだろうか。

 ハマスの越境テロ攻撃にUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の職員12人が関与したことも報じられた。
 旧聞に属するが、韓国人の国連事務総長の潘基文氏が現職中に中国の抗日戦勝利記念行事に参列した際、「国連(事務総長)は公正であっても中立である必要は無い」と述べたことがある。
 未だ日本では国連神話が根強く残っているが、尖閣・台湾有事の際に果たして国連は如何なる対応をするのだろうか。


ブログ再開までの軌跡

2024年02月19日 | 世相・世論

 本日から、ブログを再開できることになりました。

 昨年の9月29の投稿を最後に約5か月間休載していたので、大方の人は「論旨・文体・年恰好から見て、多分・・・」と思われていたに違いない。
 実は、「齢80にして」というよりも「齢80になったから」、「終の棲家の再設定」を行った次第です。海自在職中は20回近い転勤・うち9回は引っ越しを伴うものであったために、1個所には最大で5年しか留まれなかった。そして最終勤務地の横須賀で再就職先を得たために住居を設定し、以後25年間にわたって該地を終の棲家と思い定めていましたが、老妻の「アンタが死んだ後は・・・」の言葉に尻を叩かれて娘の住む九州北部に転居した次第であります。
 今回の転居で、自分のこれまでは「自衛官と云う身分に最大限守られていた」ということを思い知りました。借家入居時には不動産屋を含む大家さんから二つ返事でOKを貰い、自宅購入時も銀行に1回出向いただけで済んだが、余命の付きかけた老人では複数回不動産屋と銀行に呼び出され、その際も「可能な限り娘同伴」を強いられたが、80歳の高価な買い物であれば、果たして正常な判断によるものか不安に駆られるのは当なのでしょう。
 ともあれ、何とか前住居の売却と引っ越しを終えることができ新しい環境に慣れるトレーニングが始まりますが、まだ新聞屋も見つかっていない状況では焦らずに進むしかないと思っております。

 このような背景で、休載をしてまいりましたが、明日から拙文の投稿を再開したいと思っています。まだ諸手続きが完了していない状況では不定期にならざるを得ないと思っていますが、時折のご訪問をお願いいたします。


台湾潜水艦の進水に思う

2023年09月29日 | 中国

 台湾の新型潜水艦進水式が報じられた。

 艦名は「海鯤(かいこん)」で、全長70m・潜没時排水量3千トン・通常動力型と報じられている。
 「海鯤」はアメリカの技術支援を得た武器システムの他は自主開発とされているが、2016年に計画、2020年に起工、2023年進水との工程を見る限り、武器システム以外にも西側の技術支援があったかのようにも思える。
 主として予算と保有隻数の制約下であるとは言え日本の潜水艦の建造ペース(5-6年/1隻)から見ても、初めての自主開発潜水艦を7年間で進水させたのは台湾の対中姿勢の本気度を示すものであろうか。台湾海軍の在来潜水艦を含めた更新計画では4隻体制を維持しつつ最終的には同型艦8隻体制とするとしている。
 潜水艦の建造後進に対しては、香港型統一を標榜する国民党などは自前潜水艦の建造自体に反対しており、建造容認派でも強大な中国海軍に通常型潜水艦8隻では抑止力として不十分との意見もあるとされるので、政権の推移によっては建艦・配備計画が大きく変更される可能性を残しているようにも思える。

 数隻の潜水艦では強大な中国に不十分という意見は尤もであるが、1隻の潜水艦の存在が戦局に大きく影響する可能性を示す好例は、米重巡インディアナポリスの撃沈である。
 インディアナポリスは、広島と長崎に投下された原子爆弾を本国からテニアン島に輸送したが、輸送完了後にレイテ島沖で日本海軍の伊58潜水艦(艦長:橋本以行少佐)によって撃沈された。アメリカ首脳は、インディアナポリスの喪失を嘆く以上に、撃沈が原爆輸送完了後であったことに安堵したとされる。もし、撃沈がテニアン島到着前であったならば、広島・長崎の悲劇は防げた可能性がある一方で、日本のポツダム宣言受諾も遅れて熾烈な本土決戦に至った可能性も考えられる。
 もし「海鯤」が、台湾侵攻軍の「山東」でも撃沈したならば、中国の台湾侵攻作戦を挫く要因ともなりかねない。
 ともあれ、近代化された台湾潜水艦の将来に栄光あれ。


塗り絵からの脱却

2023年09月27日 | 美術

 今年に描いたものを並べてみて、だんだんと孫の塗り絵に近づいていることを思い知った。

 塗り絵としても不出来・不十分との叱責は甘受するとしても、居間や絵画教室での存在感を増すためにも何等かの修正・変更が必要では?と考えるようになった。
 という訳で、「筆跡(タッチ)を残すこと」と「常識的でない色使い」を模索するとの大上段で、取り組んでみたが、思いの外に難しいことが分かった。
 試みて分かったところでは、画家が人肌に自分には見えない緑色や青色を使用できるのは、実際の対象に「その混色の塩梅」を認識しているからであろうし、タッチを残せるのは表現したい形を確実にイメージしているからに違いない。
 掲載する習作は以上の意図をもって描き始めたものであるが、取ってつけたような色遣い、迷い満載のタッチ、日曜画家への道のりは遥かで、余命との競争・二人三脚となるようである。


習作「アイドル」(F6)


チャンドラ・ボース氏の遺骨

2023年09月26日 | 歴史

 今も未だチャンドラ・ボース氏の遺骨が日本にあることを知った。

 インド独立の英雄としてガンディー氏と功を二分するボース氏の遺骨であれば、当然に帰国しているであろうと思い込んでいたので、ボース氏のその後についてWikipediaで勉強した。
 ボース氏は、英国を駆逐するためには日本と結ぶのが得策と判断し、自由インド臨時政府軍を率いてインパール作戦に従事するなどインドの武力解放に奔走したが、日本の敗戦に伴って新たな支援・同盟先としてソ連を想定し、2045年8月18日に台北の松山飛行場から日本軍の九七式爆撃機で大連へ向かおうとして離陸に失敗して火傷を負って死亡したとされる。
 ボース氏の遺体は8月20日に荼毘・法要が営まれた後、9月5日に日本に移送、9月18日に杉並区の日蓮宗蓮光寺で葬儀が行われたとなっている。
 ボース氏の遺骨が未だ日本に留め置かれているのは、独立当時の指導者が暗殺されたガンディー氏と行を共にしたインド国民会議派のネール氏であったことも大きい様であるが、日本がボース氏の死亡を公表した際には、死亡は独立運動継続のカバーストリーで、偽名で生存しており遺骨もボース氏ではないと云うのが大方の見立てであったことも大きい様である。
 さらに、ガンジー(ネール)の非暴力不服従路線と違い、ボース氏が多くの犠牲を出した点や、日本やドイツと手を組み、更にはソ連とさえ結ぼうとしたことなどから、活動自体に否定的な見方も存在するようである。

 独立後のインドを主導したネルーは、10年以上ボースの話題を口にせず、ラジオでも極力報道しないよう指導し、国会議事堂の中央大ホールにもガンディー、ネール両氏の肖像画のみ掲げていたが、1978年にはそれに並んでボース氏の肖像画も掲げられるようになったとされるので、ネール氏の呪縛から解放されて以降は、ボース氏も正当に名誉回復・復権を果たしているように思える。
 一方で、遺骨の引き取りについては、インド政府が設けた3回の公式の調査委員会でも「遺骨については別人」と結論付けているので、遺骨の帰国は絶望的であるように思える。
 遺骨が安置されている蓮光寺では毎年供養の法要を行っており、在来日インド人の参列も多いとされるが、在日公館関係者の参列は無いとされる。

 自分は、独立後のインドを長年率いた首相を「ネール」と覚えていたが、Wikipediaなどでは「ネルー」と表記されている。何時から変わったのかは不明であるが、また「取り残され感」が一つ増えた思いがする。


休眠宗教法人の課税

2023年09月25日 | 社会・政治問題

 世界平和統一家庭連合(以下、統一教会)に対する解散命令が話題になって久しいが、休眠状態にある宗教法人への税制優遇措置に関しても問題があるらしい。

 宗教法人は、固定資産税や所得税について減免されるが、宗教活動を休止した休眠状態法人に対する税の優遇措置については各自治体で温度差があると報じられた。
 報道では、調査(質問)した東京都と20政令都市での対応は、非課税維持・個別判断・課税と対応が分かれており、原因は休眠法人の徴税に対する法の未整備と宗教法人を所管する国と知事の情報が徴税を主管する市町村長に通報されていないことであるらしい。税負担の公平性という観点から早急に改善して欲しいところであるが、自分では宗教法人について調べて幾ばくかのことを知ることができた(といって、何ら役に立つとは思えないが)。
 1は、文化庁が「宗教年鑑」を編纂・公表していることである。令和4年版によると、全国の宗教法人は179,558法人で、文科省の所管は469団体(172,337法人)、都道府県知事の所管は7,221法人となっている。報道では、休眠法人は約3,000法人となっていたが、宗教年鑑では具体的な数字は無く、所管する469団体中75団体の宗教活動実態が掴めないとされていた。
 2は、文科省に「宗教法人審議会」が設置されていることである。統一教会の解散命令のニュースで見たようにも思うが、今回改めて調べても審議する事項なども不明で、開催記録・議事録も2020年5月を最後に更新されていないところを見ると、毒にも薬にもならないものであるように思えるので、次回の事業仕分けの格好の材料・対象であるかもしれない。
 3は、日本の宗教人口が総人口を上回ることである。このことは都市伝説として聞いてはいたが、Wikipediaでは《令和3年度の文化庁「宗教年鑑」で、神道系8,792万人(48.5%)、仏教系8,397万人(46.4%)、キリスト教系192万人(1.1%)、諸教(その他)734万5572人(4.0%)、合計1億8115万人で、日本の総人口(約1億2,600万人)の1.5倍にあたる。一方で国民へのアンケート調査では、「何らかの信仰・信心を持っている」人は2割から3割という結果が出ることが多い。》とされている。地域神社の氏子であるとともに檀寺も持っているのが一般的であることを思えば、当然の結果であると思うが、仏教渡来後に宗教対立を避ける神仏融合の便法を講じ、慶事は神社・仏事は寺院と棲み分けて両立を図った後遺症であって、外国人特に一神教徒からは永遠に理解されない日本の神秘であろう。

 「宗教法人」の所轄は原則として都道府県知事にあるが、宗教施設が複数の都道府県に至る場合は文科相となっている。
 昭和26年制定の宗教法人法が抜本的に改正されることなく現在も生き続けているのは、戦後に規定された信教の自由保証順守の良き面を持つ一方、宗教に対する行政の関与制限規定に及び腰とならざるを得ない必然の結果でもあるように思える。
 宗教法人法では、実態はともかく書面で設立要件(能動的な活動、団体固有の教師保有、公衆的礼拝施設、永続性、団体運営能力)を満たしていれば、申請後30日以内に認可しなければならないと解釈されるので、そもそも宗教家に悪人はいない前提で認可した宗教法人の悪事、尻拭いをさせられる文科相・県知事と矢面に立つ徴税官には同情を禁じ得ない。