トランプ政権発の関税戦争の行方が目まぐるしい。
各国首脳は相次いでトランプ大統領と電話会談して、何とか自国への打撃を回避・軽減しようと躍起であるし、報復措置を示唆し牽制してもいる。
我が石破総理も電話会談はできないながら「全ての選択肢がある」と述べるものの、選択肢については「手の内を見せる」と沈黙している。
本日の産経抄では、先日の日米首脳会談に同席した人の印象では、総理は「始終「紙」を読んで、会話・会談では無かった」とされ、さらには、外務省高官の話として、「今、総理に話されると不必要な言質を与えかねない」ために、電話会談されないことを期待されているようである。
従来型の外交や首脳会談では、事務方で合意できたことを首脳同士が握手・発表して手打ちを演出する体であったが、ウクライナ・ガザ紛争における停戦・休戦交渉やEUの有志国構想を観ると、トップの意志やトップ間の合意事項を事務方が具現化するという図式に変化しているように思われる。
各国首脳と石破総理の違いは何だろうか。
各国首脳は、政治生命を賭けて「おいそれとはアメリカの軍門に下らぬ決意を以て」行動しているのに対して、石破総理はこれまで同様に官僚の根回し・下交渉に固執しているように思える。今回の関税戦争では、石破氏と同様な手法を以て下交渉では関税の適用除外に半ば成功しかけた国もあるが、トランプ氏の呟き一つで下交渉の合意が露と消え失せた例もある。外交のベースを、外務官僚の下交渉に依存していた日本外交は、下交渉が通じないトランプ外交に対しては、今のところ無力であるように思える。
戦後、日本が国際的にも認知される復興を成し得たのは、スピードには欠けるものの優秀な官僚の存在が大きいのは事実で、政治家は官僚の示した途を歩けば大過なかったであろう。しかしながら外交も軍事と同じく、結果責任を選挙で問われる政治家が行なうことが世界の常識で、これまでの日本の文官(官僚)統制外交は、世界基準には合致しないものであるように思える。
世界は、ヒットラー型とも形容できるトランプ・プーチン・習近平の3氏に蹂躙されている。小粒ながら狂気においては前3者に引けを取らぬ金正恩氏もいる。このトップダウン型の指揮官に立ち向かうためには、時間を掛けて合意を探るボトムアップ外交が力負けすることは避けられないように思える。
出でよ!!高市総理。