もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

野党人の限界

2025年03月07日 | 国政・行政
 石破総理の言行不一致や現場無視の姿勢が問われているかのようである。
 予算委員会で共産党の小池議員から、日朝交渉における2件の外交文書(所謂田中文書)紛失問題を問われ、既に紛失を認めた安倍政権の閣議決定を漸くに踏襲する答弁を行った。田中文書に関して石破氏は在野時代に「内閣は良く調査して説明すべき」と安倍氏を繰り返し非難していたことを小池氏からも追及されたとされる。
 施政方針演説では、持論である「アジア版NATO構想」・「日米地位協定改定」・「日朝連絡事務所開設」に触れず首相の公式な施政方針としなかったものの、「アジア版NATO構想」と「日朝連絡事務所開設」に関しては秘密裏に検討を指示したとされている。しかしながら、「アジア版NATO構想」は集団安全保障の中核には核兵器若しくは強大な通常戦力保有国が必要なことに加え、アメリカの不信感を招き日米安保を危殆に曝す危険性が指摘され、国連決議に違反する「日朝連絡事務所開設」は拉致被害者からも反対されている。
 日米首脳会談では、唐突にC17輸送機の導入(購入)をトランプ大統領に約束したが、既に輸送機選定の過程で積載量には優れるも長大な滑走路を必要とするC17は日本での運用には制約が多いことが結論付けられており、在野時代の石破氏持論の空自輸送力の強化には寄与しないとされている。さらには、少数他機種の運用が、ロジスティック全般を圧迫して継戦能力を低下させている現状と装備体系のイロハを御存知なかったようである。
 これらの齟齬や不一致は、長らく党内野党であった石破氏が自分の存在感を示すために現政権に批判的なスタンスを取る必要から生まれたものであろうが、在野の雌伏期間をもう少し有意義に過ごせなかったであろうか。
 野党人は、言行に責任が要求されないために好き勝手ができる。鳩山民主党は、在沖米軍基地を「最低でも県外」・八ッ場ダムを標的に「コンクリートから人へ」と公約して政権を得たが、いざ政権の座に就いて現状を知ると空論はたちまちに瓦解した例もある。
 一連の行為を今様にはブーメランと表現するが、かっては「天ツバ」と略され、「空に向かって唾を吐いても天に届かず、自分の顔を汚すだけの結果にしかならない」意味であるが、石破氏や鳩山氏に代表される野党人が負わなければならない宿命であるように思える。
 「天つば」を勉強した。
 Wikipediaでは原文を《 仏教最初の漢訳経典「四十二章経」にある「悪人の賢者を害するは、猶し天を仰いで而も唾せんに、唾、天を汚さずして、還って己が身を汚し、風に逆らって人に塵くに、塵、彼を汚さずして、還って身に塵するが如し」》と紹介されていた。



トランプ考

2025年03月06日 | アメリカ
 トランプ大統領の施政方針演説の詳細が報じられた。
 内容は、就任以後の大統領令や各国首脳との会談で明らかにされたものの総集編とされ、サプライズは無かったとされている。
 トランプ大統領の名は、トランプ(Trump)であるが、日本でトランプと云えばカード遊び(トランプ::tramp)が連想される。日本でいうトランプは英語では単にカード(cards)と呼ばれているらしい。
 何故にカードをトランプと呼ぶようになったかと云えば、コントラクト・ブリッジ(以下、ブリッジ)でトランプは「切り札」を意味するが、trampを連呼するその遊びを観た通弁が名称と勘違いしたことに由来すると云うのが通説となっている。
 ブリッジでは、戦う若しくは応援するに足る持ち札を貰った時、切り札を特定せずに戦える若しくは切り札を特定できない時に「ノー・トランプ゚」とコールし、ノー・トランプで戦えば獲得できる点数も多い。
 また、trampには「強く踏みつける」「放浪者」という意味があるそうでもある。
 トランプ大統領のこれまでを観る限り、Trumpよりもtrampと書く方が正しいのではないだろうか。アメリカン・ファーストを達成して「アメリカを世界の切り札とする」を皮切りに、意に従わない相手は「強く踏みつけ」、NATO内で「放浪者となることも意に介さない」、と将にtrampまっしぐらであるが、その反面、切り札を特定できない「ノー・トランプ」状態の可能性も無しとしない。
 しかしながらtrampにも弱点がある。ブリッジでは最強のカード♠Aが切り札の指定によってはカード内最弱の♣2に負ける場合がある。
 関税遊び、ウクライナ和平と傍若無人の感あるトランプ大統領であるが、氏に対するtrampを発見したり既に手中にしている列国指導者もいるかもしれない。どーもプーチン氏はtrampの可能性に気付くか既に手中にしている可能性が窺えるが!果たして。

高校教育無償に思う

2025年03月05日 | 国政・行政
 過半数割れ与党の予算案が、野党のバラマキ政策の歳出化を人柱にして衆院を通過した。
 維新の主張する高校教育の無償化も人柱の一体であるが、素直には頷けない点が多く、3日の衆院予算委員会で自民の山田賢司議員が質した内容もその一つである。
 質問・要望の要旨は、「現地の公立高校に就学する在外邦人は対象外であるのに、日本在留の外国人に無償化が及ぶのは可笑しい。外国人は対象外とすべき」であるが、その通りであると思う。さらに「無償化という言葉を使用するが「税負担化」であって国民の理解が得られない」とも発言されている。
 税金の使途は公平であるべきで、中卒で就職し汗水垂らす人間からは所得税を徴収し、その一部が青春を謳歌するだけの粗悪高校生にまで、高額の私立高校・外国人生徒にまで、支払われるのは著しく公平性に欠けるのではないだろうか。
 高校教育の税負担化については、その他にもいくつかの問題点が指摘されている。
 制度の負の面を過大に予想して徒に”膾を吹く”のは好きではないが、高額な授業料の故に諦めて公立を選んでいた対象者が私立高校に流れ、公立離れが進むだろうとの指摘もある。維新の吉村共同代表は指摘に対して「それはそれで公立高校の少数精鋭化、きめ細かな教育に繋がる」としているが、果たして。
 更には、私立高校が、授業料の値上げに踏み切る可能性も指摘されている。
 人頭定額支給の公費では足りないが、さりとて無償化制度と銘打たれたからには授業料の値上げとは出来ず、〇〇費、XX金の名目で保護者に負担を求めるケースが出てくることは火を観るよりも明らかであるように思える。
 年収の壁引き上げを迫った国民民主党幹事長が、「財源捻出は政府・与党の責任」と云い放ったのは、つい先日である。財源・収支・効果などを度外視して人気取りの人柱を求める野党の姿勢は、高校教育の無償(税負担)化においても政策立案・波及効果の研究・制度設計に対する無能ぶりを如実に示しているように思えるが、果たして。



核バランスの崩壊と核保有論議-2

2025年03月04日 | 防衛
 本朝の新聞を読んで、昨日の「核バランスの崩壊と核保有論議」の続編を書くことにした。
 昨日は、マクロン大統領の「欧州域の防衛にフランスの核を提供する」趣旨の発言を「アメリカ嫌いでフランスの栄光第一」とする国民性かと書いたが、英国とEUの欧州委員会が、ウクライナ支援の継続と戦後復興のためとはいえ、ロシアの脅威に備えるべく「欧州の再軍備」・「有志国連合の結成」を打ち出しているのは注目すべきであるように思える。
 この動きはトランプ大統領による和平斡旋が、ウクライナとEUの主張からは懸け離れた頭越しの米ロ交渉となる可能性から生まれたものであるが、有志国連合が結成されて、その活動が軍事作戦指導にまで及んだ場合、米国主導のNATO軍とは別の規範で行動することとなる。ロシアの戦術核への防御や抑止を有志国連合が判断するとなれば、当然に英仏の核兵器使用も有志国連合が判断することになって、核の発射ボタンは更に拡散してしまう。そうなればアメリカとしても、大統領から片時も離れないフットボールだけでは安心できないことになってしまうだろう。
 現在、英仏を含むG7各国は、大量報復と運搬手段の両面から全てアメリカの核の傘の恩恵・影響下にあるが、英仏独伊が有志連合国の核の傘に入れば、アメリカの核の傘に残るのはカナダ、日本だけとなる。地続きのカナダに対してはアメリカも運命共同体として行動するであろうが、遠く離れた日本に対して安保の条項に沿った支援を継続するかどうかは疑問である。最悪の場合、日米安保の破棄が通告されることも覚悟しておかなければならないように思える。
 以下は、ネット上に飛び交うファクト?情報であるが、某重工業社の経営者が重鎮からの「核弾頭の開発・製造に要する時間は?」の問いに、経営者は4か月と答えたそうである。実験も引金部分だけで爆発実験もシミュレーションでOKとか。

核バランスの崩壊と核保有論議

2025年03月03日 | 防衛
 フランスのマクロン大統領が欧州の核抑止力として自国の核兵器を提供する可能性を示唆した。
 トランプ政権のウクライナ支援の縮小・停止、紛争(戦争)の停戦斡旋の動きによって引き出されたものであるが、米ロ中の核バランスで一応保たれている世界情勢が一変する可能性を有しているように思う。
 これまでは英仏の保有する核兵器は自国防衛にのみ使用し、欧州全域の防衛はアメリカの核兵器を中核としたNATOが担うこととされてきたために、英仏は核兵器の増産を凍結してきた。
 フランスについては、1949年8月に成立したNATOの原加盟国でありながら、「フランスの栄光」追求として独自の核戦略を掲げたドゴール―ル大統領時の1966年からサルコジ大統領がNATO復帰を宣言する2009年までアメリカの核兵器を中軸に据えたNATOの統合軍事機構から脱退し、公式的な軍事協力関係を控えてきた歴史を有している。
 マクロン大統領の発言に戻れば、フランスの栄光を第一とするラテン気質・国民性が云わせたものと考えることもできるが、停戦・終戦調停の代価としてウクライナのレア・アースを公然と求めるとともに、停戦条件がロシア有利(ウクライナの領土割譲)と観られるアメリカンファーストのトランプ氏への強烈な反旗と観るべきと思う。
 国威・国力の両面からフランス第一、アメリカ第一について考える
 「第一」とは、決して経済・軍事が世界一であることを意味しないように思っている。自由を捨てて金満中国に帰化しようとも思わないし、ドラッグ犯罪に怯えてまでアメリカの市民権を得たいとも思わない。「第一」とは、一番移住したい国であったり、一番尊敬できる国を指しているのではないだろうか。軍事力第一のアメリカが、ウクライナ人のアイデンティティと血の犠牲の対価をレア・アースとするのは、将に人倫の道を外れているもので、自国軍人の犠牲で外貨を得る金正恩氏、領土欲にのみ従う習近平・プーチン両氏に相通じるものである。再選の心配をしないで済むトランプ氏の横暴が、任期中も止むことは無いだろうことを、改めて世界中の指導者は心しておく必要があるように思える。
 NATO域防衛の中核が英仏の核兵器に置き換えられる可能性はあるかもしれないが、極東の場合アメリカの核兵器を度外視しては中ロ朝に対抗できない。
韓国では緊張が増すたび核保有が議論されるが、これまではアメリカが核の傘の強化を約束して世論を宥め終息を図るという図式が繰り返されたと思っている。日本の場合、米軍駐留費の増額要求や日米地位協定の不備露呈があっても、核武装論は起きたことが無い。石破総理の持論である「アジア版NATO構想」や「日米地位協定改定」の前提としては、「日本の核保有」が必然的にあるべきであるがその様子は窺えない。
 核保有の言葉さえ禁句とされて使用できない風土には「唯一の被爆国」という感情が横たわっているが、トランプ氏によって引き起こされた核戦力バランスの崩壊に備えるため、更にはそのことによる「唯一の2度被爆国」にならないための方策として、朝野における核保有議論は重ねる必要があるのではないだろうか。

巻きずしと源田実氏

2025年03月01日 | 自白
 先日の朝食のメインは、パンに代わり前日の夕食の残りの巻きずしであった。
 食卓に載せられていた緑茶を見て、コーヒーではどうだろうかと試したが、バカ舌の自分にはコーヒーの方があっていると感じた。
 過去には紅茶とおにぎりが合うというCMもあったし、握り寿司のお供が緑茶となっているのは、渋みや苦みで口中をリフレッシュするのが目的ではないかと考えると、それがコーヒーの苦みであっても一向に構わないように思える。その時の略茶・コーヒー・紅茶の連鎖で、源田実氏の言葉を思い出した。
 その言葉を自分が聞いたのは昭和50年代で、氏の参議院議員3・4期時代と思うが、眼前の氏は年齢に応じた好々爺の風情ではあったものの眼光は写真で見た鋭さで、戦後30年を経た当時でも歴戦の勇士と呼ぶに相応しいものであった。源田氏「英(紅茶)、米(コーヒー)との歴史的関係を考えると、紅茶を飲んでた時の方が国際関係は安定しているので、自分は今でもコーヒーは飲まずに紅茶を愛飲している」という極めて他愛も無いものであったし、そこには禅問答的な政治的蘊蓄は込められていなかったように思う。
 源田氏は、自分がお会いすることができた最高位(海軍大佐)の海軍軍人と思うので、改めて源田氏の略歴を辿ってみた。映画等に登場する源田中佐は、第1航空艦隊の航空甲参謀としてハワイ・ミッドウエー作戦の指導場面が多いので、氏は指揮官型よりも幕僚型的要素が強いとの世評が持たれているが、真骨頂は紫電改を駆使して本土防空に従事した松山(343)航空隊司令時代の戦闘指揮に示されていると思う。軍歴の早い段階で能力を評価されて上層部に引き抜かれたため戦闘機搭乗員としての実戦経験はないものの、源田司令の巧みな統率力による部隊運用と戦意保持は、長らく幕僚としてデスクに縛り付けられた人物とは到底思えないように思える。戦後に343空のOB会は長い間途絶えることなく続き、源田司令も参加を懇請され続けたとされる。一般的であるが、命令側の将校とそれを受ける兵卒側の垣根は高く、指揮官がお義理程度に呼ばれるケースも多いが、源田司令に対しては将に死線を共にした戦友として迎えられたかのように思える。さらには、三島由紀夫・石原慎太郎氏などから戦功よりも人間的魅力についての言及が多いことからも、理想的な指揮官であったことが窺える。
 源田氏の言は多く残されているが、昭和61(1986)年7月の議員引退時、旧海軍勤務が24年だったことから「これ以上やれば海軍に義理がたたない」という言葉に感銘を受ける。自分を育ててくれた海軍への恩顧・愛着、生死を掛けて奉公したものの国家に勝利を届けられなかった軍人の自責、・・・将に万感を籠めた言葉ではないだろうか。
 最後に、源田氏は広島県の加計町出身であった故か、広島カープの熱心なファンだったとされている。
 また、巻き(握り)寿司とコーヒーの取り合わせ、試していただく勇者はいないだろうか。

コレクション考

2025年02月26日 | 自白
 先日亡くなられた森永卓郎氏のコレクター哲学を知った。
 森永氏のコレクションは、少年時代に父親から貰ったミニカーが原点であるらしいが、傍から見れば脈絡・一貫性のないもの、所謂ガラクタと聞いている、
 後年、TV露出の機会を得た森永氏は、機会・人脈を頼りに有名・著名人にサインを頼み、こけしにビート・たけし氏のサインを貰って「ビートこけし」と駄洒落、森永キャラメルの箱にされたキャメロン・ディアスは「キャラメル・ディアス」とご満悦の様子であった。
 コレクションの中には重複した物も多いようで、インタビューアーが「同じ物を複数個持つ不思議さ」を問い質したら、森永氏は「コレクターの心を解ってないネ。本当のコレクターは、集めることが好きなんだよ」と述べておられる。成る程!!。目的は「集めること」だけで、収集品の価値・希少性・一貫性には頓着しないのがコレクターの神髄なのかと合点できる部分がある。そんな氏の哲学の故か、収集品は天文学的な数に及び、遂には1億円以上も掛けて展示室を兼ねた博物館開設を迫られる結果になった。
 森永氏は、ガラクタコレクター人生を全うされて旅立たれたが、収蔵・所蔵品に対する遺族の対応については、よそ事ながら興味を持っている。
 というのも、自分も楽曲コレクターで、収集・収録曲を24時間不眠不休で聴いても1年以上はかかる程になる。楽曲も、演歌に始まりポップス・ロック・ジャズ・レゲエ・ファド・歌謡曲・軍歌・民謡、クラシック・果てには浪曲まで網羅されている。将に森永氏と同様に「手当たり次第に集めることだけが」目的化していたのは疑いも無いところである。
 自分の遺品整理の場を想像すると、先ず処分されるのは絵、次いでCD/楽曲であろう。遺品整理動画のエンドロールが流れる直前のシーンは、粗大ごみ業者を前にして「目ぼしい物は無かったネェ~」という家族の言葉がテロップで大写しされるのは確実である。

給食費の無料化

2025年02月25日 | 国政・行政
 義務教育における給食費無料化が実現するようである。
 無料化によって、これまで問題視されていた給食費を払えない世帯・児童、物価高による献立の貧弱化、地方自治体の赤字などの救済・健全化に多くの改善が図られることだろう。唯一、癪に触るのは「十分な余力がありながら払わなかった下種ども」の行為を追認する形にもなることであるが。
 昨日、連休逗留中で少食の孫との食事中の会話。
爺「来年度から給食費が無料になるかも知れない」
孫「ヤッタァ!!」
爺「そうか、子供心にも親の財布を気にしていたのか」
孫「ううん。お母さんからの”給食費を払っているのだから、残さずに食べなさい”というプレッシャーから解放される」
爺「それなら、ここの食事を有料にして、お母さんの遣り方が続けられるようにしなければなぁ」
孫「止めてよ。折角光を感じたのに」
 ともあれ、スナック菓子、清涼飲料水、ジャンクフードの偏った食生活で、健全な発育が危惧される発育期の児童・生徒に、1日に1食とはいえ栄養バランスのある食事を提供することには、税金を使う価値があるように思える。

日本学術会議改組法案に思う

2025年02月24日 | 科学
 日本学術会議改革のための日本学術会議法案の内容が報じられた。
 改組の目玉は、2026年に政府の機関から「特殊法人」に移行、業務を監査し会員らの不正行為を首相へ報告する「監事」を、活動の評価方法などについて意見する「評価委員会」を設置、監事と評価委員は会員以外から首相が任命する、であるらしい。
 新会員の選出についても、前任者による後任者指名制度から会員の互選とし、候補者に関しても局外者による品定めが行なわれるようで、活動の透明化によって真の国立アカデミーとしての再出発が期待できるように感じられるとともに左翼伏魔殿からの脱却も期待できるように感じた。
 この改組案に対して、歴代の会長6人が「政府の干渉強化によって学問の独自性が損なわれる」と法案反対を表明したようであるが、彼等が自浄作用の無いぬるま湯組織存続の元凶であれば、負け犬の遠吠えに過ぎない様である。
 日本学術会議が、日本の先端科学を以て国家施策・国民福利に貢献はされているのだろうが、HPに記載されている最近の提言等を一覧(項目のみ)すると、学術会議の存続に関する事項が目立ち、本来の目的よりもお家の存続・既得権益の維持に注力されていたの感は否めない。
 中国コロナのパンデミックから4年後の2023年に「高リスク感染症流行予防対策を進める必要がある」と提言しているが、水際防御の限界、防疫(組織・装備)体制の脆弱性、ワクチン開発の遅れ等の場面で、散々に言い古された内容に近いものではと思っている。何より、コロナパンミック対処で列国の後塵を拝したのは、細菌研究が生物兵器開発に繋がる懸念があるとした学術会議の積弊が関係しているように思っているので、「4年も経って何を今更」と感じられる。
 国際的に評価の高い研究者が、かって「学術会議に入りたいとも思わないし、声が掛ることも無いだろう」とのコメントを読んだ覚えがあり、真の学識者からは、現行の学術会議は「窮屈・偏屈なイデオロギー集団」というレッテルが張られているのは間違いのない所と思っている。

ブリッジと第6級賞詞

2025年02月23日 | 自白
 自分は、第6級賞詞受賞という輝かしい?経歴を有している。
 時間的制約を受ける艦内娯楽の代表はトランプであり、士官室ではコントラクトブリッジ(以後。、コントラ)が行なわれる場合が多い。
 かっては海軍士官のたしなみと半強制されたコントラも、現役の最後頃には見かけることも少なくなっていた。幹部昇任後に初めて乗艦した護衛艦では、コントラ好きの艦長のもと多くの幹部が競技していた。乗艦早々の昼休みに召集され、ほんの数分間のルール説明の後、実戦での特訓が始まった。全く要領を得ない自分には、叱責の声雨アラレで昼休みどころか昼地獄の有様が数日間続いた。しかしながら記憶力に難あるのか、一向に上達することは無かったが、それでも相手からは全幅の信頼は得られないものの、協議参加が認められる程度にまではなったと思っている。こんな叱責満載の地獄絵図が若年幹部から嫌われるのか、歳を追うごとにコントラは士官室から姿を消したようにも思われる。閑話休題。
 夕食後は暇が多い補給艦では、幸いにしてコントラができる者が多く、派米訓練やカンボディアPKO時には楽しむことができたが、金を賭けないこともあって、ギャンブル好きの自分には今一つ充足感が無いし、戦績を誇れる物証も無い。そんな訳で「第6級賞詞」の創設を試みた。
 自衛隊には1級~5級までの賞詞があり、それぞれに十干の甲・乙・丙・丁・戊を冠した識別番号が付されているので、6級賞詞は己(き)を付して尤もらしく装い、賞詞には表彰者の職印が押印されるが、流石に艦長職印の使用は憚られるので箔をつけるために艦長の私印を押させて貰うことに漕ぎつけた。
 受賞条件は、コントラ通算でグランドスラム10回&スモールスラム20回獲得とした。13組の札を取りあうコントラでは13組全部獲得のグランドスラム、相手に1組しか与えないスモールスラム(何故か海自では”リットン”と呼ぶ)であれば、滅多にはできないもので、受賞条件を2年程度の乗艦期間でクリアするのは相当に困難なものである。また、表彰はコントラと全く関係の無い幹部まで士官室に呼び集めて表彰式を執り行った。自分の在任中、6級賞詞を獲得したのは、艦長と自分だけであったが、その後は・今はどうなっているのだろうか。
 引っ越しのどさくさと終活の結果、自己満足の域を出ない6級賞詞賞状は保存の対象とは認められずに泣く泣く破棄したが、悔いの残る出来事であった。
 自分が練った表彰状文言「貴殿の透徹した戦術眼と旺盛な敢闘精神は他の隊員の範とするに足るものと認め 茲に表彰する」・・コントラよ、永遠に。


岸田前襲撃犯の量刑に思う

2025年02月20日 | 裁判
 総選挙遊説中の岸田前総理襲撃犯に対する裁判員裁判で、和歌山地裁が懲役10年の判決を下した。
 裁判における最大の争点は殺意の有無であったが、判決では殺意を含む全ての訴因で有罪と認めた。
 量刑については、殺意を持った一般的な殺人未遂事件と同程度とされるが、産経新聞の社説では、一般的な殺人未遂とテロ行為のそれが同じで良いのだろうかとの疑問を投げかけている。
 被害者の社会的地位に応じて量刑を加減するのは中韓では良く耳にするが、他の先進国ではあまり聞かないものの、テロ行為には別の規定を設けている国も多いのではないだろうか。
 アメリカでは、殺意・計画性の下に行われたり放火・誘拐・強姦・強盗などの過程での殺人を第1級殺人罪(最高刑は死刑)、 殺意はあったが計画性は無かった殺人や 暴力・レイプ等の過程で結果的に起きた殺人を第2級殺人(最高刑は終身刑)としている。更に今回知ったことであるが、フロリダなど3つの州では上記の何れにも該当しない殺人を第3級殺人としているそうである。このように、量刑に対しては被害者の数や社会的地位は考慮しない建前であるが、9.11テロ実行者の裁判が未だ始まらないことを観ると、テロによる大量殺人に対する対処には苦慮していることが窺える。
 被害者の地位や重要度に斟酌しなかった例として、大津事件が挙げられると思う。1891(明治24)年5月11日、大津市訪問中のロシア帝国皇太子(後の皇帝ニコライ2世)を、警邏中の津田巡査がサーベルで負傷させた暗殺未遂事件である。大国ロシアに怯えた政府は大津巡査を極刑に付してロシアに謝罪しようと司法に圧力をかけたが、時の大審院院長(最高裁判所長官)の児島惟謙は「法治国家として法は遵守されなければならない。刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力を黙殺して、事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪を適用して津田巡査を無期徒刑(無期懲役)とした。この司法独立の姿勢は列国から高く評価され、新生日本帝国の認知と後の不平等約改訂に大きく貢献したとされている。
 岸田前総理襲撃事件裁判の経緯を観ると、弁護活動に些かの違和感を持つ。殺意の有無について弁護側は無かったと主張したが、爆発物に殺傷力を高めるためにナット等を入れた時点でアウトであろう。襲撃の動機についても公判の課程で供述を翻す等、弁護士が裁判に有利に途ぶくために策を弄した可能性が見え隠れする。光市の母子殺人事件でも、弁護団に弘中氏が加入した時点から唐突に「ドラえもんがリセットしてくれると思った」等の荒唐無稽な陳述を始めたこともある。
 重大な事件が起きるたびに識者は「裁判で動機を解明し、真実を明らかにして欲しい」と判を押したようにコメントするのが例であるが、今回に事件など現実の裁判を観ると弁護活動(弁護士の教唆・入れ知恵)が真実解明の最大の阻害要因となっているようさえ思える。

戦後80年談話の行方

2025年02月19日 | 与党
 石破総理とその周辺が、戦後80年首相談話の発出に十分な色気を持っているらしいことが報じられた。
 首相の戦後談話は、戦後50年に村山首相、同60年は小泉首相が、70年は安倍首相がそれぞれに発出した。村山・小泉談話は、日韓・日中関係改善を目途として発出されたが、中韓からは朝鮮併合、慰安婦強制連行・南京虐殺等について日本政府が公式に誤りを認めたと受け取られ、却って反日思想の火に油を注ぐ結果にしかならなかったと理解している。特に村山談話に関しては、前の宮沢内閣の官房長官であった河野洋平氏の談話、所謂「河野談話」を追認するものと受け取られたので猶更であったように思える。70年談話は反省を込めながらも「児孫にまで謝罪の責任を負わせることはできない」と謝罪外交への訣別を宣言し、中韓以外からは歓迎された戦後談話の最終形と思っていた。
 石破総理の胸中は計り知れないが、過去の発言を観る限りでは心底からの自虐史観であり、土下座行脚・土下座外交も已む無しとされているようにも感じられる。識見・指導力において「月とスッポン」ほどの差がありながら、安倍氏を政敵と捉えていることに、5回の落選にも拘わらず総裁選に立候補した粘着力が加われば、何が何でも韓国風の積弊清算にも似た反安倍色を出そうとするのは避けられないように悲観している。閑話休題。
 石破総理は、早い時期の日中首脳会談で米中の橋渡しを期しているとも伝えられるが、米中双方に仲介を期待する動きも無く、特にトランプ大統領は直接対話で事態を解決するディール信奉者であれば日本の仲介申し出など何の意味も持たないように感じられる。かって、韓国の文大統領が米朝会談の橋渡しを買って舞い上がったが、結果的には米朝から梯子を外されて全くのピエロと化したことがある。
 今に至っては詮無いことながら、激動の時代に力量不足の指揮官を選んだ自民党議員諸氏の定見の無さが悔やまれる。総裁選の当初から石破氏に与していた議員はともかく、決選投票で石破氏に乗り換えた議員は何を望んだのだろうか。論功行賞か、媚中総理誕生か、ポスト石破に有利か・・・、おそらく彼の識見・力量が総理としての資質を備え、かつ日本の百年に貢献することよりも、政局重視や自己保身で石破氏に票を投じたに違いない。そんな彼等でも、今になって臍を噛み、石破おろしに走ってくれれば、未だ救われるのだが。

コンプライアンスを学ぶ

2025年02月18日 | 社会・政治問題
. 中居正広氏の事案では、社員が食事会の設定に関与したと誤報されたことによって、フジテレビ社のコンプライアンスに疑義ありと経営陣の引責辞任にまで発展した。
 コンプライアンスは法令遵守と和訳されているので、フジテレビの場合では例え社員による食事会設定が事実であったとしても、会社のコンプライアンスを問うのは如何なものかと思い、コンプライアンスを勉強した。
 ネットで観て自分なりにシックリ感じるのは、《ラテン語のcomplere(空所を満たして一杯にする)が英語のcomplete(完成)に繋がり、complianceはcomply(何かに従うこと)という動詞の名詞形である。complianceは、単に何かに従うことを指しており、その「何か」は特定されていないが、和訳の際に、我々が従う「何か」は法令に違いない」と誤訳され誤解が広まった》という主張である。
 日本では、当初は和訳の通り狭義の「法令遵守」であったが、現在では解釈が広がって、法令遵守はもとより、個人・企業の倫理感及び社会規範の遵守にまで及ぶ概念とされている。
 成る程!!と思う反面で些かに奇異に感じるのは、何故に法令ができた、法令を作る必要があったのかと考えれば、長い年月で人口が増え、貧富の差が生じ、宗教が現れ、権力が生じて、それまでの小さな共同体では機能していた社会規範が機能しなくなったことを補完するためでは無かったであろうか。
 近代的法律が無く、社会通念が大勢を決した時代には多種・多様な価値観から、首狩りが生まれ、カースト制が生まれ、選民思想・民族蔑視が生まれ、日本でも穢多・非人差別、村八分の風習、等が思い出される。
 これらの社会規範・通念を悪弊として禁止したのが法令であると考えれば、現在のようにコンプライアンスに各人で振れ幅の大きい社会規範の遵守まで入れ込むのは如何なものであろうか。キリスト・イスラム教国では、法令の他に聖書・コーランという文字規範があるために各個人の振れ幅も小さく・違反事案の制裁共有も容易であるが、それとても「神の御心解釈」次第によっては悪行を正当化さえできるように思う。ましてや、成文規範の無い日本で社会通念・規範を過度に重視するのは、大きい声がコンプライアンス自体のゴールを動かしかねない。現に、フジテレビの記者会見でも、長広舌に自論のコンプライアンス概念賛同を強制する善意を気取った記者が多かったとされる。
 現在、少数派の活躍の場を増やして社会の活性を図るというDEIが、逆差別を生む・競争原理を否定することで社会の活性化を阻害するとして、欧米では廃止・縮小の方向に向かっている。
 それと同様に、各個人の尺度が異なるコンプライアンス・ハラスメントが大手を振る社会は、人類が追い求めてきた社会とは異なるように思える。自国の社会通念と規範を世界に敷衍・普及しようとする、プーチン氏や習近平氏を観ると、その危険性が容易に理解できるように思う。
 そのうち日本にも、独特の規範を正とする小プーチン、小近平が現れるかもしれない。

京大教授の遅刻

2025年02月16日 | 世相・世論
 他人の失敗・不幸を喜ぶ気持ちは毛頭ないことを念頭に置いて頂きたい。
 TV番組に出演予定の京大教授が2週連続で番組を遅刻・欠席した。
 1回目は、京都からTV局のある大阪まで新幹線で移動する際に誤って上りの新幹線に乗ったそうである。乗車して直ぐに気付いたものか番組スタッフ宛第一報に「只今米原付近を名古屋に向け走行中」とメール報告されたらしい。
 不案内の在来線駅での乗り換えに失敗した経験は幾度も有る自分でも、流石に新幹線の上下を間違えたことは無いので、可笑しさを通り越してしまった。しかしながら、自分であれば慌てふためくとともに、くどくどと謝りの言葉を入れ込むであろう第一報を、悠揚迫ることない文面で状況を端的に表現したメールを観て「流石に大学教授」と感服した。日本海海戦を前に秋山真之参謀が付け加えたとされる「本日天気晴朗なれど波高し」を彷彿させるものである。
 1週間後の2回目は教授が出張先から大阪直行のために乗車した伯備線の急行列車が、折からの寒波で徐行運転を余儀なくされ、挙句の果てに列車故障で名も無い駅に放り出されことに依っている。流石に教授も今回は状況をつぶさに伝えられたそうであるが「ここは何処の駅だろう」と付け加えておられるらしい。番組に迷惑をかけることもさりながら、自分ではどうにもならぬ状況に対して全く途方に暮れたた状況・心情を余すことなく伝えるに相応しい表現に思える。
 番組のMCは、達者な芸人で「駅で見かけたらアホと伝えて下さい」と笑いを取ったそうであるが、若し真に受けた視聴者が教授にアホと伝えたら、教授の素晴らしい切り返しの後日談が生まれたことだろう。
 教授のますますの活躍を祈って終演。

立民の財源探しに注目

2025年02月15日 | 野党
 立憲民主党が来年度予算に約4兆円の修正(歳出増)を求めることが報じられた。
 今回の修正案では、修正の前提である財源確保の方策も併せて示されていることが特色で、民主党政権時の「財源を考慮しないコンクリートから人へ」の失敗反省が図られている。さらに、政局的には国民民主が絵図を描いた年収の壁で「財源は政府・与党が」の無責任さを強調する色合いも有るように感じられる。
 歳出の修正事項は給食費の無償化、年収の壁引上げ高額医療費負担額の低減などで評価できるものの、財源確保については年金等の政府基金取り崩しや予備費の圧縮などで手当てし、国債の発行はしないとされているが、とても継続事業を支える恒久的な財源確保とは呼べないものである。政府基金の取り崩しにあっては数年でギブアップであろうし、災害対策が主眼の予備費を圧縮することは小規模な災害対策でも補正予算が必要となって時宜適切な対処や復旧に支障を来すであろう。中国コロナ禍に際して、東京都が国に先行して手厚い支援や対策が採れたのは、石原知事が蓄積した積立金であったとされることを思い出す必要があるのではないだろうか。
 更には、ガソリン税の廃止も主張しているので、実現すれば歳入不足⇒国債の乱発の出来も見え見えである以上に、高度経済成長期に建設した高速道路などの老朽化不安が叫ばれる現状から、果たして適当であろうか。となれば新税も視野の片隅に現れ、主としてガソリン税という受益者負担の変形であった道路行政も広く国民が負担することになるだろう。
 蛸は、飢えて獲物が採れない場合は、自分の足を食って生き延びるという。
 与党の過半数割れと云う事態で出来した、腐肉を争うハイエナのごとき野党の姿、更にはそれに快哉を叫ぶメディアの姿を目の当たりにすると、まさに蛸足状態に見えるが、他山の石としてイギリスのトラス内閣を思い出すべきである。
 人心一新として2022年9月6日に政権を握ったトラス内閣は、矢継ぎ早に大型減税、エネルギー価格高騰対策、所得税率の撤廃、法人税引き上げの中止等を打ち出した。この「歳入減と歳出増が国家財政を危うくする」蛸足的経済政策では多くの国民が余慶に預かるであろうことが期待されたが、世論調査の政権支持率では支持7%、不支持77%と惨憺たるものであった。この惨状からトラス政権は成立後わずか44日後の10月25日に瓦解した。思うにイギリス国民とメディアは、一時的余慶に惑わされることなく国家百年の存続を選択したものであろう。
 ガソリン税を含む石油税については、道路行政や温暖化対策のためにも必要であり、物流を担うトラック用軽油の減税は有としても、ガソリン税は暫定措置ではなく恒久税として存続させるべきであり、マイカー保有者も”お国のためと我慢しましょう”と締め括って終演。