橘玲による「テクノ・リバタリアン」という本はかなり衝撃的だ。
リバタリアンというのは「自由原理主義者」のことで、道徳的・政治的価値の中で自由を最も重要だと考える。その中で極めて高い論理・数学的知能を持つのがテクノ・リバタリアンで、現代におけるその代表がイーロン・マスクとピーター・ティールだ。
イーロン・マスクは言うまでもない電気自動車のテスラを起業し、ツイッターを買収したことで有名だ。
ピーター・ティールはベンチャー投資家。
この二人に共通するのは、外国生まれのアウトサイダーで、なおかつ数学やコンピューターの天才であることだ。
アメリカは混乱の極に見えるが、才能があると見きわめれば受け入れるというアメリカン・ドリームは健在のようだ。
これがアメリカの強さなのであろう。
一方の日本はどうかというと、(橘玲によると)
歴史的に「個人」よりも「世間」が重視されてきた日本では、自己責任によって自由に生きる個人を基礎とした欧米型のリベラリズムは浸透せず、右も左もその多くは共同体主義者だ。
おそらくこの指摘は当たっている。
子供のころから「自分は自由に生きる」などと言えば、頭をこづかれて黙るケースが大部分だろう。
そんなことは「世間」が許さないという言葉で片づけられる。
「テクノ・リバタリアン」がますます影響力を持つようになる。
この流れに抵抗すれば日本はますます衰退する。
いたずらに恐れたり嫌悪するのではなく、謙虚に堂々と正面から立ち向かうことが求められている。