行雲流水の如くに

「歎異抄」の世界をかみしめる

「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人おや」

親鸞のこの言葉をどう解釈するか?

素直に受け止めれば良いのではないかと、だんだん思うようになって来た。

善人を自力作善の人と称している。我が勝っている。「すべて捨てろ」ということなのだろう。

確かにそうすれば気が楽になる。

 

秋の気配が色濃い。このところ朝晩は冷えるが温和な日が続いているので黄葉が美しい。

 

「親鸞は弟子一人も持たず候」

「我が”弟子”と申すこと、極めたる荒涼のことなり」

親鸞は「孤独の人」、さらに突き詰めれば「虚無主義者」なのか?

その考えが反転して「他力」に行きついたのだろう。

 

薔薇の二番花が元気に咲いている。冬の訪れを知らぬように。

薔薇(ナエマ)   楚々とした風情だが育てやすく強健だ。


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コメント一覧

megii123
北葛城郡のおっさんさん
親鸞は「煩悩具足の我ら」という言い方もしていますので、自分をもっと見つめよ、ということなのでしょう。
ご指摘の通りだと思います。
北葛城郡のおっさん
自分を悪人と思う人は謙虚な人だから悟りを開きやすいが、善人と思う人は思い込みが強く素直でない、傲慢だから成仏できないという意味だと思います。
megii123
@toyoho16 歎異抄は本当に味わいがありますね。
年と共に受け取り方が変わってきます。
ご教授ありがとうございます。
toyoho16
歎異抄を繙かれましたか。いいですね。
「善人なおもって往生をとぐ、いわんや悪人をや」歎異抄の第三条の
「悪人正機」ですね。
長年、機会あるごとに歎異抄を講じてきましたが、この言葉には驚か
れる方が多いです。この悪人とは、
いわゆる「世間一般の善悪」ではなく、この自分を悪人と思う心の人
とでも申しましょうか。
私たち浄土真宗では師や弟子と申しますより、皆「御同行」「御同朋」
なんですねぇ。失礼致しました。仏教者の端くれyo-サンでした。称名
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