コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

旅先からの便り

2024-07-26 | life

講演や研修依頼を受けて遠方へ出かけることが多くなって、もうかれこれ40年にはなるだろう。もっとも輝いていた頃は2泊して3講演、或いは2泊3日連続のワークショップもこなしてきた。
この数年は遠隔地へ行くことは殆どなくなったが。


いつの頃からだろうか。諸連絡などを兼ねて旅先から絵葉書を出すようになった。当時はスマホは勿論、ケータイもまだ無かった。せいぜいポケベルぐらいであった。
それで、常任講師を務める研究会や各種講座の皆さん、或いはクライエントさんたちに一筆認(したた)めることにしたのである。

勿論、書ける枚数には限りがあったが、概ね10数枚は出してきた。それがとても好評で、ある方は私からの絵葉書をアルバムにして持っているという。殆ど走り書きなのでちょっと恥ずかしい気がするが。
その後はガラケからスマホへと便利にはなったが、折々に日頃ご無沙汰の有縁の方々に絵葉書を出すようになった。

今度の伊豆の旅でも7、8枚を投函した。近年は絵葉書そのものが少なくなり売っているところが見当たらないことも多くなった。
幸い下田駅近くの観光案内所を訪ねたら画像のようなものがあったので購入して下田の宿で認めた。絵柄は2、3種だがスケッチ風でいいものだった。

私の旅バッグにはアドレス帳も兼ねた手帳や筆記用具、そして切手シートが入っている。旅先で友の顔を思い浮かべながらペンをとるのもいいものである。
もしかして、このブログをご覧の方の中にもこの絵葉書が届いた方がおられるかも・・・?(w)
                 今宵これにて。


伊豆へ2

2024-07-09 | life
熱海から伊豆急「踊子号」で下田駅ホームに降り立った。
〇十年ぶりだろうか。懐かしい。








まずは予約してある駅近くのレンタカー店に。
宿は白浜のビーチ近くのホテルをとってある。








その昔の朧となりし初恋をふと思い出(い)ず旅の宿かな


(窓を開ければエメラルドブルーの海とも称される美しい海、大島を展望)

この旅の目的は・・・。
ただ旅することのみである。と言えばキザ?
何となく踊り子に会いたくなったというところだろうか。
レンタカーには勿論ナビがついていて頗る便利。


伊豆の踊子の宿 福田家さんへ。









無事、伊豆の踊り子さんにご対面。

天城峠で 会うた日は
絵のように あでやかな
袖が雨に 濡れていた
赤い袖に 白い雨 ♪

月のきれいな 伊豆の宿
紅(べに)いろの 灯(ともしび)に
かざす扇 舞いすがた
細い指の なつかしさ ♪

と 口遊(くちずさ)んでいる私だった。



渓流沿いを散策しているとふと、井伏鱒二の短編「川釣り」を思い出した。
鱒二が伊豆に疎開中に川釣りをする話だ。
  いろいろなこと思い出す初夏の伊豆
旅は人生を振り返るよい機会かもしれない。

今は昔、高校3年の頃のこと。文芸部に所属していた。所属していただけで殆どその活動には参加していなかった。
参加する時間が無かった。当時、生徒会長をしていたので、放課後は生徒会室に入り浸っていた。

ある日のこと。文芸部長のKさんが生徒会室にやってきた。そして、
「会長さん。今日は課題図書の伊豆の踊子を読んでの話し合いをします。たまにはお顔を出して下さいね」と。
それで、少時参加したが、どのような話し合いをしたのかや、なぜこの日に限って私を呼びに来たのかはもう記憶にない。

当時の私は生徒会活動の中心的役割を担っていたのだが、それが楽しくて夢中であった。
役員会、執行部会、各委員会への参加、そして文化祭や運動会等イベントの企画や実行等々。これらの経験はその後の私の人間形成に大きな影響を与えてくれたと思っている。


文芸部で文集なども出していて「伊豆の踊子を読んで」というタイトルで皆が感想文を寄せ合ったが、それはもう残っていない。ガリ版刷りの粗末なものであったのだが。
書庫で探し物をしていた時、当時購入した文庫本の「伊豆の踊子」があった。また、当時の生徒会誌も出てきた。繙いた途端恐ろしいほどの懐かしさが込み上げてきた。そこには、紛れもないあの頃の私がいた。この2冊は今また書斎の書棚に戻っている。

 

今も面影は残っているだろうか・・・・。
自分史の一コマとしてアップしておこう。乞うご笑覧。




伊豆へ

2024-07-07 | life

若き日の淡き想ひ出辿り行く伊豆の下田の夏の陽眩し 筆者拙詠 下田街道にて

忘れぬうちにupしておこう。

6月初旬 伊豆に行ってきた。熱海に1泊、次いで下田に1泊であった。伊豆行きは10年ぶり。前回は畏友鈴木さんのワークショップに伊豆稲取 (クリックOK)へ行って以来である。

北陸新幹線が敦賀まで延伸したのでまずは新幹線で敦賀へ。「越前たけふ」駅より「つるぎ」に乗車。一駅12分あっと言う間に敦賀着。実は「越前たけふ」駅には無料の駐車場がある。この駅は新幹線のための新設駅で市街地から離れた山側にあり、北陸道の「武生IC」からほんの数分で目と鼻の先である。私宅から北陸道「丸岡IC」も5分とかからない。高速道所要時間20分。

さて、敦賀から特急「しらさぎ」で米原へ。鉄道系ユーチューブ等でも悪評高い敦賀乗り換えである。延伸前は「しらさぎ」は金沢から米原或いは名古屋へ直通だった。所要時間は僅かの短縮で乗車券はぐんと高くなり敦賀止まり。関西や中京方面の往来は不便以外の何ものでもない。

取り敢えずは往路(乗車券のみ往復)の切符でこの枚数。勿論それは私の好きな列車に乗りたいこともあるのだが。北陸新幹線は東京直行ならば早くて便利だが米原経由での東海道沿線駅へは不便になった。

私は所謂ツアー等の団体旅行は性に合わない。自ら行きたいところへ行く。それは「旅」だから。行程を調べて切符を買う。のんびりと車窓から沿線の風景を眺めるのは格別。パソコンもスマホも無かった頃は毎年全国版の列車時間表や旅雑誌を買って楽しんでいた。仕事の講演でも前泊・後泊しながら旅した。

生来人と群れるのは好きではない。勿論、これまで数多くの集団のリーダーを務め、多くの人間関係の中でそれをこなしてきたつもり。なので第一線を退いた今は自分ファーストでと思っている。

ツアーは宿は勿論、行程など全てお任せなので楽で便利だが、団体旅行なんては高校の修学旅行で十分。何事も自分で考え判断、行動することを旨としている。それはまたボケ防止にもなる。人間、頭は使わないとダメになるばかりだ。

ひとり旅だからこそ自分自身、人生についてマジ向き合えるのが醍醐味である。旅には三つの楽しみがあると言われる。
行く前の計画や準備。
次いで旅・道中そのもの。
そして帰ってからの旅の思い出 である。

久々の熱海だ。到着時間帯にホテルからのお迎えの車が待っている。ネットで一番口コミの良いホテルを選んだ。お部屋から相模湾を一望。

静かに夜の帳が下りる。港の町の灯が旅情を唆る。お部屋からベランダへ出ると海を渡ってくる夜風が快い。床に就くのが惜しいようなひととき。明日はこの旅の本命下田に向かう。 今宵これにて。


束の間の休日

2024-05-26 | Weblog

北近江メタセコイアの並木道三度(みたび)訪ひきて過ぎし日想ふ 筆者拙詠

 

つひに5月も下旬。矢の如く時は・ときは・過ぎて行く。

保育園保護者向け講演、仏教講話、読書会での助言者としてゲスト参加、そして相談員研修講義等を無事終えた。もう往年のパワーはないが、カウンセリング研修は気合が入る。雀百まで何とやら・・・。

自分へのご褒美などと言えないが老馬の休日。もう何年ぶりだろうか。愛車を駆って奥琵琶湖・北近江路を束の間の旅をしてきた。以前、常任講師を務める「実践カウンセリング研究会萌え木」のワークショップ「しなやかに女の時間 IN OKUBIWAKO (クリックOKです)をした。その折の宿泊会場であった奥琵琶湖の公共の宿は数年前に閉業したので、メタセコイア並木にほど近い琵琶湖畔のリゾートに宿を取った。我ながら久々の非日常を満喫した。

窓をあければ琵琶湖が見える・・・♪

と言う訳で今宵これにて。


米沢豊穂 近況・心境 

2024-05-08 | life

 季節はもうすっかり春。昨晩秋の銀杏の枯れ葉が舞う並木道も眩いばかりの新緑となり、空は青く白い雲が行く。(画像は福井県あわら市)

待ち侘びた春の筈なのだが何かと慌ただしく時は過ぎてゆく。福井は新幹線フイバーだが、それに乗って行くところもない私。コロナも落ち着いたので久々に愛車を駆って琵琶湖やメタセコイア並木に会いたいと思っているこの頃。

 あののカウンセリング学習会は小人数ながら和気藹々と。今年度は一度原点に還ろうとロジャーズ全集を繙きながらその神髄に迫る。

カール・ロジャーズ博士のカウンセリング場面のビデオも視聴。皆さん、異口同音に「ロジャーズって凄い」、「さすが」と感嘆することしきり。

 

 ロジャーズ理論を身をもっての迫力!

まずは相手に対して真実・リアルである。つまり隠し事なく透明であること。

次に相手をひとりの人間として尊重し無条件で受け入れる。

そして更には相手の内的な世界を共に理解する努力。 

                                              これらのことは拙著で縷々述べてきた。

今年度も福祉をはじめ各分野の研修に招かれている。私自身も今一度原点回帰。拙著を読み返してみて、初出版以来年月を経たとはいえその内容は今なお色褪せてはいないと自負している。これぞ自画自賛。

 

                                              大手の社会福祉法人さんの職員研修を仰せつかってかれこれ30年余、その原点
とも言うべきはロジャーズ・カウンセリングと、この1冊「福祉の思想」糸賀一雄先生の名著である。                                                                           私をして言わしむれば「本書を読まずして福祉や教育を語るなかれ」と。

それでは今宵これにて。ごきげんよう。

 


福井県で最も注目されている街 ランキング1位は!?

2024-04-01 | Weblog

「福井県で最も注目されている街」ランキング1位は?【2024年2月版/生活ガイド.com】配信より転載。

●第2位:越前市

●第1位:坂井市

坂井市は我が市 画像は私の住む坂井市丸岡町のシンボル丸岡城です。
ちょうど今、春爛漫、桜も満開です。ぜひ頂きますれば頂きますれば
ご一報頂けますればyo-サンがご案内をさせて頂きます。
 

如月のことども 2 お涅槃に寄せて

2024-02-16 | life

四弘誓願

衆生無辺誓願度 (しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無数誓願断 (ぼんのうむしゅせいがんだん)
法門無尽誓願学 (ほうもんむじんせいがんがく)
仏道無上誓願成 (ぶつどうむじょうせいがんじょう)

2月15日はお涅槃でした。ひとりで涅槃会を勤めました。もし、 お釈迦様が世にお出まし無かりせば、私たちは仏教に出遇うことはありませんでした。仏教徒でしたら、今日の日は釈尊80年のご生涯に思いをいたしたいものです。

まずは四弘誓願を独唱?しました。これは仏教徒の誓いなんですが、私はお釈迦様のお誓い・発願だと思っております。形ばかり、お坊さんの資格のある私ごときには果てしなき道のりです。

ふつうはご法事などの最後にお唱えします。でも、私はこの願文と厳かな曲が好きなので一番最初にしました。特に今日は私ひとりなので音楽礼拝にしました。いつもは漢字ばかりのお経を読むのですが、今日は全てをお歌で歌いました。とても気分がやわらかく清々しいひと時でした。

たくさんの仏讃歌がありますが、お涅槃にはやはりこのお歌です。お涅槃に相応しく心に沁みて涙が頬を伝いました。

泥洹思慕 (ないおんしぼ)と読みます。

如月の夕間暮れ 木々に鳴る風 落ちて黒々と 物皆に悲しびはあふれたり

南無釈迦牟尼仏 みほとけよわれらまた この森に集いたり 

こたびこそ涙なく経を誦しまいらせん ああ、かくて阿羅漢よ

三千年を経てぞなお みほとけは滅度なく 常しえに説きたもう

泥洹とはサンスクリット語のニルヴァーナ(nirvāṇa)の音写です。涅槃と同じ意味です。悟りを得た、知恵が完成した、煩悩が消え去った状態等を言いますが、一般にはお釈迦様の入滅(亡くなられたこと)を指します。

釈尊最後のご説法はあの「自灯明・法灯明」の教えでしたね。自らを灯明とし、自らをより処とし、他のものをより処としない。法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処としない。ということです。勿論、自らを支えているのは仏法である訳ですね。

仏縁に繋がる方々との交信に感謝申して今宵これにて。釈豊照こと 米沢豊穂


如月のことども 1

2024-02-14 | Weblog

 

   春は名のみの風の寒さや 

   谷の鶯 歌は思えど

   時にあらずと 声も立てず

   時にあらずと 声も立てず ・・・♪

   早春賦の歌詞そのもののこの頃、

   こちら北陸路の春は もう少し

   先のようです。

   あのの ニュースレターを発送

   致しました。

   


米沢豊穂 近況・心境

2024-02-02 | Weblog

遅ればせながら、まずは震災お見舞いのメッセージやお手紙を頂戴致しまして誠にどうも有難うございました。心より厚く御礼を申し上げます。久々の大揺れには驚きましたが、私宅は棚から牡丹餅じゃなくて、物が落ちた程度で無事過ごしております。

しかしながら、能登各地には知人友人もあり心痛むこの頃です。私も嘗ての福井大震災を経験しておりますので、その過酷な状況は筆舌に尽くし難いものがあります。1日も早い復旧を念じることしきりのこの頃です。

さて、身辺あれこれとあって本通信も書きかけては中断する有様でした。昨年は殊の外残暑が厳しく、秋らしい季節感がないままに冬を迎えてしまいました。少しばかり近況・心境を。

季(とき)は徐に移りて。

銀杏並木の枯れ葉が散ると、北陸路は間もなく雪に見舞われる。

今冬は暖冬の予報だったが、地域的には警報級の降雪とのことである。

近年、概ね天気予報が当たる。師走も半ば頃、夜半の冷え込みに目覚めて窓の障子を開けると粉雪が舞っていた。翌朝は案の定、降り積もっていた。

 雪は道路を一変させる。

日々の生活は何かと不自由になる。公共交通が便利ではないので、一軒当たりの自家用車の所有台数は全国一の土地柄。道路の除雪、或いは渋滞は通勤、買い物、医療受診等に支障を来す。

されど人々は誰も小言を言うこともなく、譲り合い、助け合いながら暮らしている。只管春の訪れを待ちながら。

冬来たりなば春遠からじ を心に。

これは、イギリスの詩人シェリーの詩の「西風に寄せる歌」の一節 If Winter comes, can Spring be far behind ? その翻訳の妙に感じ入る。

年明けて2、3度の雪かきはしたが、降雪は続かず道路の雪は消えて、白山に連なる山々は美しく輝き、時折の日差しが心を和ませる。でも、昔から2月の降雪は多い。耳を澄ましても春の女神の足音は聞こえてこない。如月は衣更着(きさらぎ)の異名も。寒いから更に着る。つまり重ね着の月。

  

お陰様にて体調不良も克服?無事前線復帰しました。勝負服は紺のセミダブルのブレザーです。3着目になりますが、もうこれでラストには違いありません。(恥ずかしながらyoーサンの近影です。病み上がりかしら?)

取り敢えずの更新でした。それでは今宵これにて。ごきげんよう。


カウンセリング研究会あのの 関係の皆様へ

2023-07-12 | はじめに。

カウンセリング研究会あのの 関係の皆様へ

本会関係以外の方はスルーされたし)

この度 NPO法人を解散致しました。

本会は昭和53年(西暦1978)2月に創立、その後平成13年(西暦2001年)にNPO(特定非営利活動法人)認証を受けました。

創立以来45年間(NPO法人として22年間)に亘り活動を致して参りましたが、この度、NPOを解散致しました。

NPOではなくなりましたが、カウンセリング研究会あのの は無くなりません。言わば会社から個人経営になったようなものです。NPOは所轄官庁への書類提出等が煩瑣なうえ、専従の事務職員もいないので、コロナ以来、活動が困難になった小規模な組織では荷が重くなりました。

また、創立以来事務局(福井市内のお家)を提供して頂いた会員さんが高齢になり退会され、代表世話人さんも病気退会となりました。そして何よりも私自身高齢となり、常任講師&理事長もしんどくなりました。創立以来、常任講師でしたが創立者で初代理事長が公職に就かれ退かれましたので、行きがかり上理事長をさせて頂きました。

当然のことながら理事長以下、副理事長、理事、監事等の役員も退任となった次第です。

今後の会につきましては、私の体調が回復致しましたら、ゆっくり考えたいと思っております。勿論、私自身はこの秋には講演や研修等の依頼を受けておりますので、養生第一にと思うこの頃です。

NPO解散の手続きは、NPOの法令等について熟知され経験豊かな行政書士さんとのご縁で恙なく終えることが出来ました。

アクロス行政書士事務所 渡邊所長様に深甚の感謝の意を表します。誠にどうも有難うございました。心より厚く御礼を申し上げます。

6月12日付の官報にも公告しており、8月にはNPOに関しましては全てが終了となります。改めまして拙通信(印刷版)をお送り申し上げます。まずは本頁より関係の皆様へのご報告まで。