うれし涙を見るために・・・芽育学院

みんなの《うれし涙》を見るために・・学院長がソウルする!
 《うれし涙》こうして流す。
  《うれし涙》家族で流す。

わいやで!!!!!!!!!

2013-11-20 20:27:01 | 講師から
私が尊敬する政治家の一人に「田中角栄」という人がいる。


君たちにはピンとこないだろうが、君たちのお父さんお母さんなら必ず知っているはずだ。


彼は、新潟の片田舎に生まれ、小学校しか出ていないにも関わらず、会社を起こし、国政選挙に立候補し、落選し、また立候補し、当選し、汚職疑惑により逮捕され、拘置所の中から立候補し、再選し、大臣になり、そして総理大臣にまでなった人物である。


総理大臣退任後はロッキード事件と呼ばれる贈収賄事件で逮捕され、最後は病に倒れこの世を去った。


ドラマの主人公のような人生を歩んだ彼の命日が来月の12月16日、今からちょうど二十年前のことである。




独特な喋り方、類稀なる演説力、人を惹きつけるカリスマ性、圧倒的な大衆人気、「コンピューター付きブルドーザー」とまで呼ばれる知識と実行力、豪快さ、大胆さ・・・


どれをとっても古今東西唯一無二。


「日本列島改造論」を掲げて日本の高度経済成長を促し、日中国交正常化によって日本の戦争の歴史に終止符をうった。


彼はまさしく「平和」「豊かさ」を求めた「戦後」を象徴する政治家であった。


政党の如何を問わず、今の政治家の中にも彼の影響を受けた者は数知れずいるであろう。


一方で、彼には必ずと言っていいほど「カネ」の問題がつきまとった。


政治家がカネに汚い、という現在の政治家像は彼のイメージが影響するところも多々あると思う。


「日本を、とりわけ恵まれない地域を繁栄に導いた人物田中角栄。札束を配って権力を求め、権力から札束を生み出した人物田中角栄。どっちが田中角栄なのか」


これはジャーナリストである早野透の評であるが、私はどちらにせよ、田中角栄には彼なりの「正義」があったのだと思う。




とは言うものの、この「正義」が実に難しい。


「正義」という概念は見方を変えるとエゴ暴力とも見えるものであり、その実は表裏一体と言えるからだ。


「正義」とは自分の信じる道を貫くことか、はたまた自己本位の行動に過ぎないのか。


私の学士論文のタイトルがズバリ『正義について』だったので、人よりはそれについて考える機会も多かったと思うのだが、未だに自分なりの答えを導き出せずにいる。




ただ、今はっきりと言えることは、その中身が何であれ「正義」自体を持ち合わせていない日本人が増えてきているということだ。


念がないと言うべきか、がないというべきか。


いずれにせよ、剛毅果断の田中角栄が生きていたら今の日本人を見て何と言うのだろうか。


いつかあの世で聞いてみたいものである。


koiでした!