1月16日、倉持功さんが脳出血により急逝された。享年71歳。集英社の名編集者として知られ、数多くの少女まんが家を育ててきた功績はあまりにも大きい。通夜・告別式は、親族と故人の人柄を偲ぶ人たちの間で行われた。
私にとっての出会いは、倉持功さんではなく、文芸評論家二上洋一としてである。各社新聞の訃報記事でも二上洋一として追悼されることとなった。
少年小説の系譜(幻影城・1978年刊)により少年小説研究の第一人者として一躍知られることになった二上洋一は、推理小説にも造詣が深く、私家版推理小説三十五年私史(ウェルテ・2006年刊)を残されており、蔵書の一部となる推理小説約一万冊は、先年成蹊大学へ寄贈されている。
少女まんがについては、現場の編集者としての体験と視点からなる、少女まんがの系譜(ぺんぎん書房・2005年刊)があるのだが、出版後すぐに版元が倒産したため、一般にはあまり流通しなかったのが残念だ。
鮎川哲也監修芦辺拓編集長による、少年探偵王(光文社文庫・2002年刊)での解説が縁となり、その後は日本出版美術研究会( 弥生美術館)での会合の後、根津の駅周辺の店で二上先生と一緒にお酒を飲むことは、私のささやかな幸せの時であった。
私は、二上洋一としてだけでなく人間倉持功さんの人柄に魅了され、色々な話を聞きたくて、弟子入り志願した矢先に突然この訃報が舞い込んだ。
これじゃあ、あの時と同じじゃないか!
悔やんでも悔やみきれない悲しみと後悔の念が私の心から離れない。
ほとんど大学へ進学出来る者がない高校ですら、ケンカのため停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私にとって、無償の思い遣りと優しさで接してくれた人は、肉親以外では二上先生が初めてであり、他には誰もいない。
お酒が大好きだった父と1つ違いで、父と同じくお酒好きの二上先生の姿の中にいつも父の面影を重ね会わせていた。
今はもう、二上先生もお父ちゃんがいる遠い所へいってしまったんですね。先生には、不良少年時代の話はしましたが、このことは照れ臭くって最期まで話すことができなかったことが心残りです。
最後に二上先生の言葉を記しておきたい。
推理小説は面白い。時代小説も面白い。考えてみたら、私の人生は本を読むことで始まり、本を読みながら終わることになるのかもしれない。(前出私家版の、おわりに、より)
この文章は、free paper Dio(ディオ)vol.6 2009.3.1に掲載したものを一部改訂し転載しました。今回のディオは3月7日の午前に横浜の自宅に届きましたので、これから関係各機関などで入手出来るかと思います。太宰治生誕100年!! を特集し、三鷹市 太宰文学サロンの案内や、三鷹市山本有三記念館、弥生美術館( 3月29日までは、江戸川乱歩の怪人二十面相や、小松崎茂の師匠としても知られる 夭折の挿絵画家 小林秀恒展。4月3日からは、詩とメルヘンからアンパンマンまで、と題して メルヘンの王様 やなせたかし展)などのexhibition を掲載しております。
私にとっての出会いは、倉持功さんではなく、文芸評論家二上洋一としてである。各社新聞の訃報記事でも二上洋一として追悼されることとなった。
少年小説の系譜(幻影城・1978年刊)により少年小説研究の第一人者として一躍知られることになった二上洋一は、推理小説にも造詣が深く、私家版推理小説三十五年私史(ウェルテ・2006年刊)を残されており、蔵書の一部となる推理小説約一万冊は、先年成蹊大学へ寄贈されている。
少女まんがについては、現場の編集者としての体験と視点からなる、少女まんがの系譜(ぺんぎん書房・2005年刊)があるのだが、出版後すぐに版元が倒産したため、一般にはあまり流通しなかったのが残念だ。
鮎川哲也監修芦辺拓編集長による、少年探偵王(光文社文庫・2002年刊)での解説が縁となり、その後は日本出版美術研究会( 弥生美術館)での会合の後、根津の駅周辺の店で二上先生と一緒にお酒を飲むことは、私のささやかな幸せの時であった。
私は、二上洋一としてだけでなく人間倉持功さんの人柄に魅了され、色々な話を聞きたくて、弟子入り志願した矢先に突然この訃報が舞い込んだ。
これじゃあ、あの時と同じじゃないか!
悔やんでも悔やみきれない悲しみと後悔の念が私の心から離れない。
ほとんど大学へ進学出来る者がない高校ですら、ケンカのため停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私にとって、無償の思い遣りと優しさで接してくれた人は、肉親以外では二上先生が初めてであり、他には誰もいない。
お酒が大好きだった父と1つ違いで、父と同じくお酒好きの二上先生の姿の中にいつも父の面影を重ね会わせていた。
今はもう、二上先生もお父ちゃんがいる遠い所へいってしまったんですね。先生には、不良少年時代の話はしましたが、このことは照れ臭くって最期まで話すことができなかったことが心残りです。
最後に二上先生の言葉を記しておきたい。
推理小説は面白い。時代小説も面白い。考えてみたら、私の人生は本を読むことで始まり、本を読みながら終わることになるのかもしれない。(前出私家版の、おわりに、より)
この文章は、free paper Dio(ディオ)vol.6 2009.3.1に掲載したものを一部改訂し転載しました。今回のディオは3月7日の午前に横浜の自宅に届きましたので、これから関係各機関などで入手出来るかと思います。太宰治生誕100年!! を特集し、三鷹市 太宰文学サロンの案内や、三鷹市山本有三記念館、弥生美術館( 3月29日までは、江戸川乱歩の怪人二十面相や、小松崎茂の師匠としても知られる 夭折の挿絵画家 小林秀恒展。4月3日からは、詩とメルヘンからアンパンマンまで、と題して メルヘンの王様 やなせたかし展)などのexhibition を掲載しております。