祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

倉持功さんと二上洋一さんと私

2009-03-13 19:02:20 | 「少女まんがの系譜」と「少年小説の系譜」追悼!二上洋一先生
1月16日、倉持功さんが脳出血により急逝された。享年71歳。集英社の名編集者として知られ、数多くの少女まんが家を育ててきた功績はあまりにも大きい。通夜・告別式は、親族と故人の人柄を偲ぶ人たちの間で行われた。
私にとっての出会いは、倉持功さんではなく、文芸評論家二上洋一としてである。各社新聞の訃報記事でも二上洋一として追悼されることとなった。
少年小説の系譜(幻影城・1978年刊)により少年小説研究の第一人者として一躍知られることになった二上洋一は、推理小説にも造詣が深く、私家版推理小説三十五年私史(ウェルテ・2006年刊)を残されており、蔵書の一部となる推理小説約一万冊は、先年成蹊大学へ寄贈されている。
少女まんがについては、現場の編集者としての体験と視点からなる、少女まんがの系譜(ぺんぎん書房・2005年刊)があるのだが、出版後すぐに版元が倒産したため、一般にはあまり流通しなかったのが残念だ。
鮎川哲也監修芦辺拓編集長による、少年探偵王(光文社文庫・2002年刊)での解説が縁となり、その後は日本出版美術研究会( 弥生美術館)での会合の後、根津の駅周辺の店で二上先生と一緒にお酒を飲むことは、私のささやかな幸せの時であった。
私は、二上洋一としてだけでなく人間倉持功さんの人柄に魅了され、色々な話を聞きたくて、弟子入り志願した矢先に突然この訃報が舞い込んだ。
これじゃあ、あの時と同じじゃないか!
悔やんでも悔やみきれない悲しみと後悔の念が私の心から離れない。
ほとんど大学へ進学出来る者がない高校ですら、ケンカのため停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私にとって、無償の思い遣りと優しさで接してくれた人は、肉親以外では二上先生が初めてであり、他には誰もいない。
お酒が大好きだった父と1つ違いで、父と同じくお酒好きの二上先生の姿の中にいつも父の面影を重ね会わせていた。
今はもう、二上先生もお父ちゃんがいる遠い所へいってしまったんですね。先生には、不良少年時代の話はしましたが、このことは照れ臭くって最期まで話すことができなかったことが心残りです。
最後に二上先生の言葉を記しておきたい。
推理小説は面白い。時代小説も面白い。考えてみたら、私の人生は本を読むことで始まり、本を読みながら終わることになるのかもしれない。(前出私家版の、おわりに、より)

この文章は、free paper Dio(ディオ)vol.6 2009.3.1に掲載したものを一部改訂し転載しました。今回のディオは3月7日の午前に横浜の自宅に届きましたので、これから関係各機関などで入手出来るかと思います。太宰治生誕100年!! を特集し、三鷹市 太宰文学サロンの案内や、三鷹市山本有三記念館、弥生美術館( 3月29日までは、江戸川乱歩の怪人二十面相や、小松崎茂の師匠としても知られる 夭折の挿絵画家 小林秀恒展。4月3日からは、詩とメルヘンからアンパンマンまで、と題して メルヘンの王様 やなせたかし展)などのexhibition を掲載しております。
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一万人が選ぶ人気アニメの名場面

2009-03-13 19:01:22 | since1997、メトロポリス漫画総合研究所とチクマ秀版社
いま、1万人に徹底調査!超人気アニメ第1話&最終回ぜんぶ見せます感動の名珍場面50連発を見ました。
みなしごハッチの第一話を覚えていました。他にも、最終回近くにいつもハッチを狙っていたカマキリのおじさんが命をかけてスズメ蜂からハッチを守って死んでしまったのを覚えています。
アルプスの少女ハイジは、第一話から最終回までずっと見ていたので、フランダースの犬が始まった時、ネロのジェハンじいさんは、ハイジのおじいさんにくらべて少し頼りなく、ネロもアロアと遊んでばかりで、甘ったるい始まり方に思えてハイジが終わってしまったことが残念だったのを覚えています。
けれども、いま子供の頃からの事をふりかえってみると、ハイジはただ懐かしいだけですが、フランダースの犬が私の人生に与えた影響にははかり知れないものがあります。
8年ほど前にフランダースの犬を途中から見直す機会がありました。いつも最終回ばかりが取り上げられるフランダースの犬ですが、ネロに対するおじいさんの無償の愛と優しさにくらべ、多くの他人である大人達のネロに対する言われなき偏見と冷たさ、絵に対する情熱や才能だけではどうすることも出来ないネロの境遇。原作や実写化された映画にくらべても(パトラッシュのリアルな姿に驚きます。危うく映画の画面に向かってお前は本当のパトラッシュなんかじゃない!!と叫びそうになりました。)最初のアニメの素晴らしさは、そのストーリー構成や、森やすじさんのキャラクターデザインの素晴らしさにも、魅力が溢れています。
後年、他の局で再度アニメ化されたものを見た時、いかにも悲しげな画面やストーリーの展開に、嫌気がさしあまり続けて見る気が起こりませんでした。
放映当時、8才の私にとって、ジェハンじいさんの死は衝撃的であり、大人達のネロに対する冷たさは許せないものでした。けれども、大人達がどんなにネロに冷たくあたっても、神がジェハンじいさんの命や、ミルク運びの仕事すらをも奪っても、たったひとつだけ、どうしても奪うことが出来ないものがありました。それは、どうしても画家になりたいと願うネロの夢です。
自分の描いた大好きなおじいさんとパトラッシュの絵がきっとコンクールで入賞出来ると信じるネロと同じく、8才の私もテレビの前でネロの絵が入賞出来ると信じて応援していたのです。
けれども、現実はそうではありません。
いくら才能があろうとも、絵の具が買えなくて、色のついた絵をかくことが出来ないネロの絵では入賞することは出来なかったのです。さらに住む家さえも無くしたネロの身を案ずる大人達が少なくその対応の遅いこと。
正に世の中の現実を反映しています。
けれども、そんな大人達に対して、誰を恨む事なく最期にどうしても観たかったルーベンスの絵をみれたことに感謝して終わるラストシーン。
いまの世の中は、金や学歴が全ての価値基準となり、利益重視、法に触れさえしなければ何をしても構わない。禁煙場所で喫煙しているのを注意したり、電車内での他人への配慮がまるでない着信音の後での会話を注意すると逆に何が悪いとすごむ卑劣な奴ら。
いまこそ、誰もが子供の頃に持っていた人としての良心を思い出さなければいけない時が来ているのではないのでしょうか?
次に始まった母をたずねて三千里は、フランダースの犬のショックの後で、最初から始まった悲しい展開のため、あまり見ることが出来なくなったのを覚えています。
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