意外にも、森田健作先輩の話題がブログにまで多いのには驚いた。
我が明治学院大学は、文系が主流のいまひとつマイナーな学校であり、卒業生及び在校生の数も非常に少ない。
OBで政治家や作家などになった者はあまりいないので、人脈作りは大変である。そんな中での森田健作先輩の孤軍奮闘ぶりを見ていると、思わず応援したくなってしまう。
本当の意味でのTV版おれは男だ!の完結編といえるような県知事になって欲しいと切に願わずにはいられない。
さて、今日の写真は昨日のアルバムの裏面に使用されている剣道部の勇姿である。
笠智衆のお祖父さんがこのドラマに深みを与えていた。
私の母方の祖父にどこかしら面影が似ていると私は一人、勝手に思い込んでいる。
私の父方の祖父は、戦後直ぐ父が10歳の頃に亡くなってしまったため、私にとってのお祖父さんのイメージは、母方の祖父のイメージとなってしまう。
小津安二郎監督の東京物語に出てくる笠智衆の姿と、太めの妻の姿。
妻に先立たれて一人ションボリとしている笠智衆の姿が、同じく妻に先立たれたため、急に体調を崩し、2年後に後を追うように亡くなってしまった祖父の姿とどうしても重なる。
原節子が笠智衆に接したように、私の父だけが祖父に対して常に敬意を持って接していたのは、実の父を早くに亡くし、一番上の17歳年上の兄が父親代わりとなって育てられた私の父にとって、母と結婚してやっと手に入れることが出来た大事な義父だから、他の母の兄弟姉妹、誰よりも私の父だけが祖父のことを人一倍大切にしていたのだろう。
私の子供の頃は、両親共に共働きだったため、一人で家に留守番していることが多い鍵っ子で、夕方TVで再放送されているおれは男だ!を一人夢中になって見ていた。
そして、私の周りといえば母の田舎に行けば大好きなおじいちゃんもおばあちゃんもいて、冬になれば雪深い山形県庄内地方から父方のおばあちゃんが幼い私の世話をするために春までの間、毎年来てくれていた。
父もまだ元気な頃で、私は、誰よりも幸せな少年時代を過ごしていたのだ。
私が、昭和の匂いがする、特に昭和50年頃までの時代に特別の思い入れがあるのは、いまから思えば、少年時代のほんのわずかな間の幸せな頃への思いが人一倍強いからなのかもしれない。
学歴やお金さえあれば何をしても構わない。
そんな政治家が多い中、森田健作先輩だけは、正直で働き者な人達こそが報われる、そんな政治を行ってもらいたい。
人と人とが信じあえる、そんな時代が再び来て欲しいものである。
我が明治学院大学は、文系が主流のいまひとつマイナーな学校であり、卒業生及び在校生の数も非常に少ない。
OBで政治家や作家などになった者はあまりいないので、人脈作りは大変である。そんな中での森田健作先輩の孤軍奮闘ぶりを見ていると、思わず応援したくなってしまう。
本当の意味でのTV版おれは男だ!の完結編といえるような県知事になって欲しいと切に願わずにはいられない。
さて、今日の写真は昨日のアルバムの裏面に使用されている剣道部の勇姿である。
笠智衆のお祖父さんがこのドラマに深みを与えていた。
私の母方の祖父にどこかしら面影が似ていると私は一人、勝手に思い込んでいる。
私の父方の祖父は、戦後直ぐ父が10歳の頃に亡くなってしまったため、私にとってのお祖父さんのイメージは、母方の祖父のイメージとなってしまう。
小津安二郎監督の東京物語に出てくる笠智衆の姿と、太めの妻の姿。
妻に先立たれて一人ションボリとしている笠智衆の姿が、同じく妻に先立たれたため、急に体調を崩し、2年後に後を追うように亡くなってしまった祖父の姿とどうしても重なる。
原節子が笠智衆に接したように、私の父だけが祖父に対して常に敬意を持って接していたのは、実の父を早くに亡くし、一番上の17歳年上の兄が父親代わりとなって育てられた私の父にとって、母と結婚してやっと手に入れることが出来た大事な義父だから、他の母の兄弟姉妹、誰よりも私の父だけが祖父のことを人一倍大切にしていたのだろう。
私の子供の頃は、両親共に共働きだったため、一人で家に留守番していることが多い鍵っ子で、夕方TVで再放送されているおれは男だ!を一人夢中になって見ていた。
そして、私の周りといえば母の田舎に行けば大好きなおじいちゃんもおばあちゃんもいて、冬になれば雪深い山形県庄内地方から父方のおばあちゃんが幼い私の世話をするために春までの間、毎年来てくれていた。
父もまだ元気な頃で、私は、誰よりも幸せな少年時代を過ごしていたのだ。
私が、昭和の匂いがする、特に昭和50年頃までの時代に特別の思い入れがあるのは、いまから思えば、少年時代のほんのわずかな間の幸せな頃への思いが人一倍強いからなのかもしれない。
学歴やお金さえあれば何をしても構わない。
そんな政治家が多い中、森田健作先輩だけは、正直で働き者な人達こそが報われる、そんな政治を行ってもらいたい。
人と人とが信じあえる、そんな時代が再び来て欲しいものである。