祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

続・おれは男だ!森田健作県知事

2009-03-30 22:46:02 | 映画「銀河鉄道999・愛と誠・同棲時代」脚本家石森史郎の「新宿伝説」(論創社)
意外にも、森田健作先輩の話題がブログにまで多いのには驚いた。
我が明治学院大学は、文系が主流のいまひとつマイナーな学校であり、卒業生及び在校生の数も非常に少ない。
OBで政治家や作家などになった者はあまりいないので、人脈作りは大変である。そんな中での森田健作先輩の孤軍奮闘ぶりを見ていると、思わず応援したくなってしまう。
本当の意味でのTV版おれは男だ!の完結編といえるような県知事になって欲しいと切に願わずにはいられない。

さて、今日の写真は昨日のアルバムの裏面に使用されている剣道部の勇姿である。
笠智衆のお祖父さんがこのドラマに深みを与えていた。
私の母方の祖父にどこかしら面影が似ていると私は一人、勝手に思い込んでいる。
私の父方の祖父は、戦後直ぐ父が10歳の頃に亡くなってしまったため、私にとってのお祖父さんのイメージは、母方の祖父のイメージとなってしまう。
小津安二郎監督の東京物語に出てくる笠智衆の姿と、太めの妻の姿。
妻に先立たれて一人ションボリとしている笠智衆の姿が、同じく妻に先立たれたため、急に体調を崩し、2年後に後を追うように亡くなってしまった祖父の姿とどうしても重なる。
原節子が笠智衆に接したように、私の父だけが祖父に対して常に敬意を持って接していたのは、実の父を早くに亡くし、一番上の17歳年上の兄が父親代わりとなって育てられた私の父にとって、母と結婚してやっと手に入れることが出来た大事な義父だから、他の母の兄弟姉妹、誰よりも私の父だけが祖父のことを人一倍大切にしていたのだろう。
私の子供の頃は、両親共に共働きだったため、一人で家に留守番していることが多い鍵っ子で、夕方TVで再放送されているおれは男だ!を一人夢中になって見ていた。
そして、私の周りといえば母の田舎に行けば大好きなおじいちゃんもおばあちゃんもいて、冬になれば雪深い山形県庄内地方から父方のおばあちゃんが幼い私の世話をするために春までの間、毎年来てくれていた。
父もまだ元気な頃で、私は、誰よりも幸せな少年時代を過ごしていたのだ。

私が、昭和の匂いがする、特に昭和50年頃までの時代に特別の思い入れがあるのは、いまから思えば、少年時代のほんのわずかな間の幸せな頃への思いが人一倍強いからなのかもしれない。

学歴やお金さえあれば何をしても構わない。
そんな政治家が多い中、森田健作先輩だけは、正直で働き者な人達こそが報われる、そんな政治を行ってもらいたい。
人と人とが信じあえる、そんな時代が再び来て欲しいものである。
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漫画家赤塚不二夫先生とトキワ荘

2009-03-30 02:01:06 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
昨日の朝、ゲゲゲの鬼太郎のアニメが終了し、夜には津雲むつみ先生原作の少女漫画(おれは男だ!)に主演した我が母校の先輩森田健作が千葉県知事となる。
そしていま、NHK教育での ETV特集(全身漫画家ー真説・赤塚不二夫論)が放映されるなど昨日は、昭和の漫画好き世代にとって大忙しの一日であった。
昨夜の赤塚先生の特集番組については、丸山昭さんから事前に聞いていた。
青梅に赤塚先生の記念館が出来た時は、真知子さんが丸山さんに招待券を送ってくれたので、私は、丸山さんと少女クラブ時代の後輩になる新井善久さんにくっついて行って三人で一緒に見学をした。
真知子さんは、2001年から毎年年賀状を送ってくれた。
先日、漫画家協会の会報で赤塚不二夫先生への追悼文を発表したのだが、赤塚先生に二度目に逢った時のことを中心にもっと詳しく話してみたい。
TBSテレビのおはようクジラという朝の情報番組の中継を当時私が経営していた池袋の漫画喫茶メトロポリスから行うことになり、その前日赤塚先生のコメントのVTR撮影のため小林豊アナウンサー達と一緒にフジオ・プロを訪ねたのである。
二度目となるフジオ・プロ2Fのリビングで赤塚先生や真知子さん、その時偶然来ていた元チーフアシスタントの安達勉先生(あだち充先生の実兄)と助手の人に囲まれて、嬉しくなってつい
(赤塚先生、僕はたいした学歴はないけれど、いつの日にか漫画史の研究者になりたいんです。)
と少年の日からの夢を打ち明けた。すると赤塚先生は、
(俺で良かったら応援するよ。うん。応援する。)
と言ってくれた。
当時から、今でも漫画の研究書を出したり、大学で講師をしているのは、有名大学や大学院を出た人達がほとんどである。
私の学歴は、華麗なるギャッツビーと似たようなものだ。
安達勉先生は、
(弟に逢ったことはありますか?なければいつでも紹介しますよ。)
と言ってくれた。
真知子さんからは、
(貴方は、随分漫画に詳しいみたいだから、そのうち私達のほうが御世話になる時が来るかもしれないからその時は協力してね。)
と言われた。
まだズブの素人だった私に対して、三人のあのやさしさにあふれた笑顔が今も眼に焼き付いてます。
(赤塚先生!!僕は2003年春に漫画家協会の正会員になれたんですよ。)

安達勉先生が亡くなられたのは2004年6月18日。
真知子さんが亡くなられたのが2006年7月12日である。
昨年放映された(古畑中学生)では、おそ松くんなどの資料協力を、杉並アニメーションミュージアムの追悼展では赤塚先生からいただいた色紙の展示協力をさせていただいた。
2010年4月からは、某博物館に赤塚作品の常設展示がされる。
その下働きの手伝いをいまやっている。
先日の東京国際アニメフェアでは、鈴木伸一館長と、りえ子さんとフジオ・プロのスタッフと私の4人で追悼展示ブースを見学し、パーティ会場へも御一緒させてもらった。
あだち充先生とは、先日の少年サンデー&少年マガジン50周年大同窓会のパーティの席上で初めてお逢いすることができた。
その際、安達勉先生との話を充先生に直接話しすることが出来た。
いまの私なら、きっと少しぐらいは赤塚先生や真知子さん、安達勉先生3人のお役に立つことが出来るのになぁ。

追伸
4月4日にトキワ荘記念碑のセレモニーがあります。
詳しくは、私の前のブログ水野英子先生とトキワ荘記念碑を御覧下さい。
今回の写真は、東京国際アニメフェアでの赤塚先生追悼展示ブースで撮影したものです。
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