私が店長をしているショッピングサイトがあります。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
今日の画像は、JR水道橋駅近くにある老舗の漫画出版社のひとつ、少年画報社のショーケースに飾られている私が監修した『少年画報大全』だ。
昭和30年代にラジオ、映画、テレビと日本中の子供たちに空前の大ブームを巻き起こした武内つなよし先生の「赤胴鈴之助」や河島光広先生の『ビリーパック』、桑田次郎先生の『まぼろし探偵』は、皆『少年画報』(少年画報社)に連載されており、昭和30年代前半を代表する月刊少年雑誌だったのである。
ラジオドラマ「赤胴鈴之助」の小百合役でデビューしたのが、日本を代表する女優・吉永小百合であり、テレビ「赤胴鈴之助」にも出演している。
その後、『まぼろし探偵』のテレビ化の際にも引き続き出演したことは、広く世間に知られた事実である。
私の少年時代には、「週刊少年マガジン」、「週刊少年サンデー」に次ぐ第三の週刊少年雑誌として昭和38年に創刊された「週刊少年キング」(少年画報社)という雑誌があった。
「週刊少年キング」に連載され、私の少年時代にテレビアニメ、劇場用アニメ映画となり大ヒットしたのが松本零士先生の『銀河鉄道999』である。
日曜日のNHK深夜、
『私が子供だった頃』
にて、松本零士先生の少年時代がドラマ化された。
私は、少年時代に少年画報社を訪ねたことがある。
悲運の天才漫画家、河島光広先生の探偵漫画『ビリーパック』の復刻版に感激してのことだった。
いつの日にか、この漫画を広く世に知らしめたいと考えたその日から20数年後の2000年秋、私は再び少年画報社を訪れることになる・・・。
【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
よろしくです。
今日の画像は、JR水道橋駅近くにある老舗の漫画出版社のひとつ、少年画報社のショーケースに飾られている私が監修した『少年画報大全』だ。
昭和30年代にラジオ、映画、テレビと日本中の子供たちに空前の大ブームを巻き起こした武内つなよし先生の「赤胴鈴之助」や河島光広先生の『ビリーパック』、桑田次郎先生の『まぼろし探偵』は、皆『少年画報』(少年画報社)に連載されており、昭和30年代前半を代表する月刊少年雑誌だったのである。
ラジオドラマ「赤胴鈴之助」の小百合役でデビューしたのが、日本を代表する女優・吉永小百合であり、テレビ「赤胴鈴之助」にも出演している。
その後、『まぼろし探偵』のテレビ化の際にも引き続き出演したことは、広く世間に知られた事実である。
私の少年時代には、「週刊少年マガジン」、「週刊少年サンデー」に次ぐ第三の週刊少年雑誌として昭和38年に創刊された「週刊少年キング」(少年画報社)という雑誌があった。
「週刊少年キング」に連載され、私の少年時代にテレビアニメ、劇場用アニメ映画となり大ヒットしたのが松本零士先生の『銀河鉄道999』である。
日曜日のNHK深夜、
『私が子供だった頃』
にて、松本零士先生の少年時代がドラマ化された。
私は、少年時代に少年画報社を訪ねたことがある。
悲運の天才漫画家、河島光広先生の探偵漫画『ビリーパック』の復刻版に感激してのことだった。
いつの日にか、この漫画を広く世に知らしめたいと考えたその日から20数年後の2000年秋、私は再び少年画報社を訪れることになる・・・。