幸喜幸齢 生きがい日記
75歳からの狂い咲き 🤣
75歳からの夢ノート
人生最幸のつくり方(7)R.
<My 74 ~ 80 Y.>
’24.4.24 の当Blogのカテゴリー<75歳からの狂い咲き>からRewrite 再掲載
最後にお伝えしたい。
人にはそれぞれの人生があり、様々な条件や事情もあります。私とて全く同じでした。だから一律に押し付けるつもり等は毛頭ありません。街道歩き4000㎞や列車旅で出会った多くのシニアの方々との会話から、女性より男性がまさに私が体験した74歳までの状態でした。
ただ自分の人生は自分でしか変えることが出来ません。それは75歳からでも遅すぎる事はありません。
私の小さなできごとが、悩み苦しみ諦めの方々の少しでも参考になれば幸いです。
(7)75歳から 夢ノートの実現
私はこのまま老いて死を待つのか? 人生最後に自分らしく自分を生きてみたいと74歳で諸々のしがらみを捨て、自分の責務をすべて終えた時、何も持たず家をでた。人生最後は自分の幸せの為に自由な生活を選択したのです。
自分の選んだ住処は、緑豊かな都市近郊の便利な街の古い団地。それまでの大きな家、一見豊かな生活から狭くても自分の為の小さな居場所を定めた。次にそれまで書いていた「夢ノート」を実行。その為に初めてPCやスマホ等の現代ツールを教えて貰い My Blog を開設。
75歳 「ひ孫訪ねて120万歩」大坂城から江戸城へ 一人東海道57次歩き旅へ出発 38日間 916km 125万歩で完歩 ひ孫達を抱くことができ、自分に自信を持つ。
75歳〜 同時に自然学校、文学学校、川柳倶楽部、絵画、同好会、各種講座、大学EXT等に入学・入会し多くの友と交る。またボランティア活動や地域コミュニティ活動を始める。
76歳 「箕面の森の小さなできごと」「みのおの森の小さな物語」(V2刊)を出版。自分の20余年、居場所が無い中で心の拠りどころであり、憩いの場所であった箕面の森、その3千余回歩いた<箕面国定公園の散策日記から>そのエッセーと物語です。*各出版本は地域図書館にも収蔵されています。
77歳 日本列島縦断歴史街道歩き旅へ 東海道57次で自信を得て、鹿児島薩摩藩・鶴丸城跡から北海道松前藩・松前城まで延161日間、4162㎞ 602万歩で一人歩き完歩。 学生時代の夢を実現!
78歳 「喜寿の青春賦 街道歩き4000㎞」を出版(澪標刊)多くの賛同を得る。*出版本は何れも地域図書館に収蔵されています。
80歳 これも青春時代の一つの遣り残しを実行。それまでのローカル列車旅をまとめ「JR青春18切符で巡る25日間 日本一周ローカル列車の旅」「JR大阪環状線19駅ひと駅巡り探索記」(澪標刊)を出版。
狂い咲きと揶揄され既に6年目、6年前までの濡れ落ち葉、金魚の糞、萎れた菜葉と言われるまま、気力も生きがいもなく、居場所もなく孤立し、自分のお金もなく、友もなく、自由の束縛の中で老い先はただ死を待つだけの状態から、全てを捨てて脱出したことでリセットし、自分らしく人生を全うする道筋ができた。
現在、夢ノートの65%以上を達成 その人生大転換の喜びは今迄にない生き甲斐と幸せをもたらしてくれた 😂
80歳からは残された夢ノートを実現する為に更に夢が広がる。
モットーは「健康第一」何をするにしても心身の健康があっての事。80代は歩け歩けと、早め早めに予防と受診を心掛けます。
自分は今日死んでも全く悔いはなく、子供達家族や親しい友人らも「人生最後に悔いなく心置きなく生きた。そんな生き方に安心し、自分たちも励まされ心の癒しになる」と言ってくれるので有難いこと❣️
山あり谷ありのまさかの人生だったが、最後に長い人生を共に歩いてくれた愛する家族、関わった人々全てにそれらがあったから今日の自分があると、皆様に感謝でいっぱいです🙏😂💐
またMy BlogなどのSNSや本の出版等により、更に多くの方々との交わりができて感謝です。齢と共に人との交わりは生き甲斐です。
最後に私の友人の著作で贈ってくれた本の題名が「行動なくして得るものなし」まさにそのとおりだと思う。4000㎞、602万歩の私の歩き旅も短い足一歩70㎝からでしたからね🤣
人生最幸は自分らしく自分を生きる事で締め括る
75歳の後期高齢者から 私は幸喜幸齢者 とし、その名の通り現在は感謝と幸せな日々を過ごす😂
”75歳からは狂い咲け” (7)を終わります🤗
Facebook・X・mail、また当ブログコメント等からご意見を頂きました。ありがとうございました。
*写真は全て千里南公園の散歩道から