7月23日(木)25/29℃
江戸・西国街道歩き旅(3)
芥川宿から郡山宿へ
午前10時、出足は遅いが前日まで歩いた高槻の芥川宿を経て、西国街道3番宿の郡山宿(茨木)へ向かう。
歩き始めてまもなく雨脚が強くなったが、折り畳み傘を出して進む 芥川宿の辺りはまだ昔の面影が残る
途中小雨となったものの人だかりが? 何かと思ったら小さなお菓子屋さんの店頭に並ぶ人だったが、すごい繁盛店にコロナ禍も吹っ飛びそうだ!?
芥川橋を渡り「嶋上郡衙跡」(しまがみぐんがあと)へ向かう。
ここは奈良から平安時代の郡役所跡 発掘調査から庁院や寺、役人が住む村があったとか、広い草むらが広がり、説明がなければ見落すところだった
史跡・今城塚古墳(いましろ大王の杜)に着く 埴輪群を見る 6世紀前半に築かれたという古墳周辺には埴輪壺が並ぶ 9haの広い古墳公園を回り発掘された190点の復元埴輪を楽しむ
(*高槻市立今城塚古代歴史館は工事中)
西国街道を西へ
藍野病院や藍野大学施設の西側にある 「太田茶臼山古墳(継体天皇陵)」 5世紀中頃に築造された三島最大の前方後円墳とか
西国街道沿いにある、茨城市東芝町の東芝工場跡に建築中の巨大なデータセンター 昔人もビックリだ!
西国街道沿いには昔の面影が残る
耳原古墳を探したが、工事中なのか周囲はガードされ遠くからしか望めなかったが、田んぼ道を迷った
次いで「白井河原合戦跡」へ 織田信長上洛後、摂津の支配をめぐり高槻軍と池田軍が激しくぶつかり、大きな合戦があったのがこの地
茨木市へ入る 中河原は交通の要衝だったという表示板 茨木城主・中川清秀の生誕地
西国街道で現存する江戸宿場・郡山宿本陣を訪ねる 江戸時代の大名宿で国の史跡指定 椿の本陣ともいわれ。現存する宿帳には忠臣蔵で有名な赤穂藩主・浅野内匠頭の記録もある
(*コロナ禍の影響で拝観は暫く中止と)
春日神社を経て茨木市豊川に着く
大阪モノレール豊川駅から、つい先日歩いた万博記念公園駅を経て帰路へ 横から見る太陽の塔を遠くから見るとゴジラの出現かと!?
今日は雨が降ったりやんだり、傘の出し入れも忙しかったがそんなに日焼けもせず 6時間足らずの楽しい歩き旅だった。
今日も誰一人とて話す人もなくマスクをしてただ黙々と一人歩いたが、東京・大阪始めコロナ禍の感染者数が拡大し、大阪通天閣も黄色の警戒色に染まったようだ。
もしこれが赤色になり外出自粛要請がでれば、いくら歩き旅でもいいのか悪いのか判断しかねる!?
今日もゆっくりと<19.6km 2.7万歩>程の歩き旅だった。
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