幸喜幸齢 生きがい 日記!       

傘寿の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

歯科医

2020年12月09日 | 冬・八十路の青春賦
12月9日(水)5/15℃

歯科医
 2年前から通う歯科の3ヶ月検診で、かつて他の歯科で治療した個所に問題が発生したため回復治療となった。
 
 現在の歯科は40年程前、自分が会社を創業時に近くに開業したので初めて通院し、その後会社の移転や家の引っ越しなどで歯科を転々とし、結局また独り身となって舞い戻った感じの所だ。

 院長は前院長の息子で私の息子より若いが、昔 通院していた頃はまだ高校生ぐらいだったのに、国立大の歯学部で博士号をとり、父親の後を継いだのだから、私と同年配の父親も嬉しいことだろう。

今や歯科医8人に歯科衛生士、技工士はじめスタッフ30余名を抱える立派な歯科医院だが、場所や環境にその昔と余り変わりはなく自分には居心地がいい。

 担当医のその若い院長は時々老父親のゴルフの話をしたり近況を話してくれて当時を思い出すが、自分もあの頃は景気が上向き懐も豊かだったのか、当時の父親から上下金歯を入れてもらい今も鏡を見るとキラリと輝く。

 いつも丁寧に治療してくれて良心的、今日は院長が1時間もかけて昔に他の歯科で治療した故障個所を治療してくれたが、治療代は180円のみ。 余りの安さに受付でのけぞったぐらいだ。

 慣れ親しんだ信頼のおける歯科医をかかりつけ医に持つことは健康寿命を延ばし、その安心感だけでも十分に老後の癒しとなる。

 ところでまた、ついでにハゲとボケ治療のかかりつけ医は無いものかと聞いたら、ハゲはともかくボケはまた恋をすることですなぁー と笑われた。 
短足禿にカバ顔の出腹に色恋はナッシング・・ トホホ!

・その昔金歯を入れた歯科はやる
・跡継ぎの息子歯科医に診てもらう
・かかりつけ医師歯科ありてボケは恋
・信頼は人間性の絆なり 頑爺

南公園の散歩道から
 短足も背高のっぽ秋の暮れ 
  
寒い秋の夕暮れは散歩する人もなく

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

譲り合い

2020年12月08日 | 冬・八十路の青春賦
12月8日(火) 5/15℃ 

譲り合い
 コロナ禍の拡大と大阪府知事の外出自粛要請があり、一応高齢者でもありご迷惑をおかけせぬよう歩き旅を中断して一旦帰阪した。
コロナ禍の状況を見ながらいつもの医師や行政と相談しながら、また再開する予定だが年内は未定状況だ!?

 しかし今日は歯科へ行く為、千里中央へ出るのに久しぶりにバスに乗った。 乗客はほとんどが爺婆さんだが空いていた。

 ところが途中のバス停から10数人が乗り込んだら満席になり立つ人が数人いた。
すると突然1人のオジサンが立ち上がり前の婆さんに席を譲った。
どうやらスマホに夢中だったようで周りを見渡している。

 席を譲られた婆さんは何度も頭を下げつつ、オジサンの持っているバックを自分の膝の上に置けと盛んに言っているが、オジサンは恐縮しながらそれを断っている。

 やがてバスは進み、途中のバス停で十数人が降り前方の席が空いたが、何を思ったか席を譲られた婆さんは立ち上がり前方の席へ移動しつつオジサンにお礼を言ってここへ座りなさいと譲られた席をさかんに指差した。

 オジサンは恐縮しつつもお礼を言い、いくつか席が空いていたがそのまま座らず終点まで立っていたが、お互いに席を譲り譲られお礼を言いながらの小さな出来事が後方で見ていた私には心温かだった。 

 降りてから、そういえば何で自分はあの時に席を立たなかったのかな? と振り返ってみたが、1番後方の長席で1段上がっているので、あの婆さんが上がって来れないと言う判断と、もう一つトラウマ? があった。

 それは数ヶ月前満員の地下鉄で前に立った婆さんに席を譲ったら、お喋り婆さんで降りる駅まで途切れず一人話されそれなりに楽しかったが、「あんた若そうやけどいくつなん? ワテはもう73やからいつ電車満員でも席譲ってくれはんねん」と言っていたが、自分はそれより年上とは言えず口を濁したが、席を譲るより譲られる歳になったんだなぁとガックリ・・ トホホ!

・謙譲の精神ありて日本人
・譲り合う小さな出来事 温かい
・気がつけばシルバーシート席があり
・席譲り若いと自認もうやめた 頑爺

千里南公園の散歩道から 仲良しお喋り

 
野鳥観察の仲間たち


時を告げる南公園の鐘の音


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の追憶

2020年12月07日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
12月7日(月) 3/16℃

母の追憶 
( 以下の話は子供たちやその家族への伝承にて、あえて忘備録として記載しておく 20.12/3)

 今回の江戸西国街道歩き旅で姫路宿を通るのを楽しみにしていたもう一つの理由がある。
それは亡き私の母親が過ごした街で、晩年もう一度訪れたいと言っていたのに私も仕事や生活に追われてとうとうその機会を失い、連れて来れずに深く後悔しているからだ。

 そこで事前に姫路市役所に連絡し、担当部署を紹介してもらい、母の過ごした大正時代の古い地図と資料を用意しておいてもらった。
 そして訪問し事前にメールでやりとりをしていた担当の方にお会いし資料の提供を受けたが、望んだ以上の調査をして頂き、また多くの資料も揃えておいていただき感激した。

と言うのも、祖父が所長をしていたと言う財閥系の紡績会社姫路製糸所は広大な敷地に旧国鉄の貨物引き込み線もあったとかでその場所の特定はできたが、それが現在どのようになっているのかは分からなかった?
 また母は女中さんが2人いたと言うその社宅で幼児期から小学校時代を過ごしたようで、通学したであろう近くの小学校も探索したが、何しろ大正時代で戦前の話でもあり、かつ姫路は戦争時に大空襲にあい、その後の都市開発で相当地図も変化しているようだった。

 しかし結論から言えば、その工場跡地は見つかり大きな住宅団地や商業施設となり、母の通学したであろう小学校はすでに廃校となっていたがモニュメントがあり、そこに大正6年創設との文字があり、祖父の紡績会社も大正6年の開業であり、大正9年生まれの母がここに通った事は間違いなさそうだと確信した。

 祖父母や母らが過ごした姫路の所在地とその様子をしっかりと目に焼き付け、その場で天を仰ぎ母に ここだよね? と確認するとともに、やっと来れたことにお詫びと感謝を持って報告をした。
諸々の想いが交錯し涙があふれた。

 その後一家は松本へ帰り、母は革靴に袴を履いて馬に乗り当時の松本高等女学校に通っていたそうだが、もう1人馬に乗って同じ学校に留学していた旧満州国の皇女(日本名 川島芳子)、かの男装の麗人として歴史的に有名な女性だが、その二人だけだったとか。
 
 父親の急死、戦争、敗戦、戦後の混乱期で母の人生は激変してしまったようだが、生前に私には全く過去の話はしなかったので聞いておきたかった。

(* 人生終盤に母の想い出を辿ることができたが、その古い当時の地図や背景、また用意してくれていた多くの資料から垣間見る当時の生活を後日、家族への伝承としてまとめたいが、生きていれば今年100歳になり、3歳と1歳になる二人の玄孫と会えたのになぁと涙する)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姫路城西御屋敷庭園「好古園」巡り

2020年12月06日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
12月4日(金)5/16℃ 

姫路城西御屋敷庭園「好古園」巡り

 世界遺産 国宝・姫路城に隣接する「好古園」は、姫路藩主の下屋敷があった御屋敷の池泉回遊式の庭園を始め、約1万坪に九つの異なった庭園は見事だ。

残紅葉、老紅葉とか言う人がいたが、私には今が有終の見事な美しさに映った





 
老紅葉 有終の美に我が手見る(頑爺)


  

  


  
 

 



  

ただただ日本の美しい庭園と有終の美を飾る紅葉に心打たれる一日だった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国宝・姫路城巡り

2020年12月05日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
く12月3日(木)5/16℃ 
国宝・姫路城巡り

 江戸・西国街道歩き旅で姫路宿に昨日到着後、今日は休養日として姫路城を歩く。

世界遺産でもある国宝の姫路城は「平成の大修理」をほぼ終え、まさに別名 白鷺城の名に相応しい荘厳な姿を現した




故郷の信州松本には母の実家の近くに 国宝・松本城があり、こちらは別名 烏城と言われて黒い壁でよく白い白鷺城と比較されるが、どちらも時代を感じる木造の構造に先人の知恵と技術に驚くばかりだ




急な階段を上り六層階までは迷路のようで昔のお姫様はどのようにしてこの階段を上り下りしたのかなと思う  結構上り下りが大変だ!





日本はもとより世界でも類を見ない木造建築でかつその美的完成度にはただ驚くばかりだ


団体さんがフーフー言いながら6層階まで上がってきたが、それぞれに「ここはエレベーターがないんかいな?」と真面目な顔で呟いていたの聞こえ、何を勘違いしてのん? と思ったが比喩とすれば面白かった

昔の築城の設計と技術にただ見とれるばかりだ  姫路城の築城歴史や当時の日本人同士が戦う時代背景を知るのも面白そうで後の課題とする

 

  




次いで隣の「姫路城西御屋敷跡庭園・好古園」を訪ねる。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸・西国街道歩き旅 11日目

2020年12月04日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
12月2日(水)6/16℃ 

江戸・西国街道歩き旅(11)
加古川宿ー姫路宿

 今日は加古川宿から姫路宿へ向かう。
旧街道の石碑には西国街道播磨 加古郡加古川の文字がある
寺家町商店街の西外れにある加古川宿陣屋跡を訪ねたが簡単な表示板があっただけだった
 

加古川の旧渡し場を見る 橋のなかった昔は渡し場から小船で対岸へ渡った
  

 

宝殿の街から江戸西国街道を進む
 

 

高砂市に入る
 

旧魚橋警察留置所跡地と印南郡魚橋警察跡地

私の好きな田舎道を歩く
 

 

阿弥陀町から街道沿いの神社、仏閣を巡りつつ曽根の街へ入る
 

別所町の六騎塚を訪ねる 寂れていて歴史板が残る
 

阿弥陀宿から江戸西国街道を御着宿の街へ向かう 
 

御着には神社仏閣が多く見られる
 

御着宿跡には簡単な看板のみが残る
 

御着城へ着く
 

黒田官兵衛と御着城の由緒を見る
 

市川橋を渡り京口門跡、総社を経て姫路の街へ入る
 

 

夕暮れの姫路城(白鷺城)到着する 夕陽に映える姫路城が美しい

 

もうすぐ閉館の姫路市立美術館へ 中には入らず夕暮れの前庭を散策 落葉が美しい・・
 

 

マンホール蓋もシラサギ模様でお洒落だ
 

 今日は駅前に宿を取り、明日は街道歩き旅は一休みにして国宝・姫路城と周辺を散策することにしたので楽しみだ。 

 今日も熱い湯船の中でゆっくりと両足を労わったが、このご馳走が足も体も1番喜んでくれるようだ😂😭👌🤣

(*江戸西国街道歩き旅も 京都東寺・羅城門を起点に姫路宿まで延べ11日間、約245㎞、33.7万歩ほどだが、コロナ禍もあり終着の九州・大里までいつ着くのか分からなくなったが、まあゆっくりノンビリのドン亀歩きで老春旅を楽しんでいくよ)  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸・西国街道歩き旅 10日目

2020年12月03日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
11月30日(月)5/15℃

江戸・西国街道歩き旅(10)
明石宿ー加古川宿

今日は昨日歩いた明石城前からスタートだ。 
今日から内陸に入るので海は見えないが、昔の街道筋を歩く事になる
 
 
明石城の近くに歴代の明石藩家老が住んだという屋敷跡があり歴史を想う


明石川の川辺には粋な歌碑が並ぶ

江戸西国街道を進む 街道筋はそれなりの家屋と狭い街道が続く

西明石に入るが、タコの産地らしく面白い置物が迎えてくれる 明石のタコの入ったたこ焼き風・タマゴ焼きはだし汁で食べることで有名だ
  

大きな蓮池が各所に見られる
 

大久保宿の旧本陣は特に表示はないが、それらしき宿場の雰囲気を残す
 

江戸街道は道幅が決められていて何処も狭いが、昔の大名行列はこれで通れたのかな? 

大久保宿はお祭りが大好き村のようだ
   

街道筋には江戸期の神社・仏閣も多くあるが、その歴史探索や由緒説明は後日とする 
(野口神社 八幡神社 長松寺から住吉神社、清水神社などなど・・)




歩いていると面白いこともある
一緒に写真撮ろうよ・・ とゴリラから誘われたり!?
置物かと思ったら横を向き犬だとわかりビックリ! 
ちょうど飼い主が来たので笑ってしばしお喋りを楽しんだ なんでもここがお気に入りで家に入れると鳴くのでここがいいのだとか・・
  

街道は和坂(蟹が坂)から十輪寺、西明石から蓮池、大久保宿本陣から更に街道沿いの金ケ崎神社、正覚寺、清水五輪塔、土山宿から平岡、魚住町から懐かしいような田舎の道や家並みを経て加古川へ入る 
 




これは池だが土手に秋を感じる

江戸西国街道は西へ進むにつれて旧山陽道と呼称されるようだ 
加古川宿が近い
 
加古川宿に到着  今日はここまでとする  

疲れた両足と共に熱い風呂につかりながら体を癒すひと時がいい  何とも言えない達成感と充実感に歩けることの幸福感と感謝でいっぱいの涙・・・

次は一つの区切りの姫路宿へ向かう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸・西国街道歩き旅 9日目

2020年12月01日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
11月29日(日)8/15℃

江戸・西国街道歩き旅(9)
須磨ー明石宿 

今日は気持ちのいい須磨の海岸からスタートだ。
須磨浦公園沿いを歩き、先ず源平一の谷合戦の古戦場、戦いの浜碑から平敦盛の塚を見ながらその昔を想う

須磨浦からの眺望を眺めながら、青春のいろんな思い出が残る浜辺を塩屋へ向かう

 

歴史は私的になるが、45年も前の若い頃 仕事の撮影ロケでよく訪れた塩屋、ジェームス山の外人住宅を訪れ、更に古くなった建物や取り壊してモニュメントだけが残る建物跡を時代を偲びながら歩く
 

 

海岸沿いの西国街道へ戻り、海神社から海辺へ
 

 

明石海峡大橋が見えてきた 若い二人・・ いいねー   海辺のアウトレットモールも賑やかで楽しそうだ

 
海辺の旧鐘紡の武藤山治邸を見る
 

次いで孫文記念館・移情閣を見る
 

海辺の舞子ホテル 海岸のこれ何だ?
 

明石海峡大橋の下を通る
 

海峡袂にある江戸明石藩・舞子台場跡と砲台跡を見る
 

リサイクル資源で船体を作り、自然の力を動力源にして太平洋横断をした堀江謙一氏のヨット  当時のニュースが懐かしい
 

大蔵海岸を歩く 秋の浜風が気持ちいい
 

マンホール蓋はいつしか明石デザインに代わっている
 

明石と言えば日本標準時子午線通過地の標柱だ  郵便局前の子午線 交番まで子午線交番とは面白い
  

明石城前に到着 今日はここまでとする
  

これは公民館 剣道大会が開催中だった
 
 
両足とも今のところ疲れながらも快調のようだが・・ 
誰一人と話もせず、店にも入らずバナナと水で昼食を簡単に済ませ、マスクで息苦しくなると時々外して深呼吸して水を飲みながらと、かかりつけ医に兵庫県庁の各アドバイスを守りながら歩く。
一日25㎞を超えるこれからがきつそうだが、まあマイペースで楽しんで歩くよ。

明日は江戸・西国街道を明石宿から加古川宿へ向かう。 (11/29)

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする