はい、
可愛いね💕
「オールドルーキー」の亮太郎パパと二人の娘💕
この長女いずみちゃんを演じる稲垣来泉(くるみ)ちゃん
4話の亮太郎の引退試合での演技凄かったね~
剛くんの演技は勿論凄いんだけど、
いずみちゃんの表情、
涙が止めどなく流れる様子、
その涙を亮太郎が「泣かない泣かない」と、
優しくタオルで押さえてあげる所、
二人の自然な演技、もう本当にしか見えない❗️
何回見ても泣いちゃうよ~
稲垣来泉ちゃんは、
言わずと知れた「ちむどんどん」の
暢子の子供時代を演じた子役さんなんだけど、
何と❗️
剛くん主演ドラマ「コウノドリ2」にも、
出てたんやね~❗️
びっくり❗️
「コウノドリ」は2015年10月から12月。
「コウノドリ2」は2017年10月から12月に、
各々放送された、
産婦人科医サクラ先生を剛くんが優しく演じ、
産婦人科の現実を鋭く描いた、毎回、涙涙のドラマだった。
調べてみたら、
来泉ちゃんは2017年の「コウノドリ2」に出演してて、
サクラ先生と直接関わる役柄ではなかったのだが。
私は剛くんのドラマは毎回必ず感想もどきのものを、
このブログに書いてるけど、
2017年の「コウノドリ2」はとても感動して涙涙だったものの、
ほとんど全然書いていないのだ。
何故か?
それは、
ちょうどその頃、肺がんだった母が弱り出して、
緩和病棟に入院することになり、
余命は一週間位でしょうと告げられた頃だったからだ。
「ホスピスの相談室の冬薔薇(ふゆそうび) 母の余命を共に聞きしか」
(亡くなって4年後の2022年2月の母の忌の頃詠んだ)
そして、
ホスピスに入院してからは、
一日中母に寄り添う日々が続いた。
コロナ禍が始まる前で本当によかったと今は思う。
母は余命一週間と言われながらも3か月半も頑張ってくれた。
私の為に頑張ってくれたと今は思う。
本当に楽しい3か月半だった。
痛みも苦しみもなく、穏やかに母はずっと笑っていてくれた。
母は元々優しい穏やかな人で、実は私は怒られた事がない。
いつもにこにこしていて、周りからはよく仏様のような人だと私は言われ続けたのだ。
でもそれでいて実は行動的な人でもあったのだ。
入院中、
母と私は楽しく色々おしゃべりした。
徐々に穏やかに眠る時間が増えたが、一緒に食事をし、朝から夜まで一緒に過ごした。
優しい看護師さん達とも楽しくおしゃべりして、
ちょうどクリスマス会では、主治医の先生が何とトナカイの格好をして、
母を笑わせて下さったり、
ピアノコンサートも毎週あったりとか、
本当に楽しい日々だった。
私は「コウノドリ2」のサクラ先生に支えられて、
毎日母の元へ通ったのだ。
サクラ先生は慈母そのものだった。
本当に楽しい母と私の最後の3か月半だった。
不思議な事に、
「コウノドリ1」の時は父が肺炎で入院していて、
母と私は毎日父の元へと通ったのだ。
その時もサクラ先生に頑張れ!と癒されたのだ。
父も同じ位入院して、翌年2016年1月に亡くなったのだった。
「竜の玉見れば亡き母偲ばるる 父逝きし日の母の落涙」
剛くんのドラマや映画で、
ああ、あの頃はこんな事があったなあと思い出す事も多いのだが、
特に、
「コウノドリ」は、
こんな風に父と母を思い出す事が多い。
「コウノドリ」は、
今もまだ「モーニング」で鈴ノ木ユウさんの漫画は続いていて、
ちょうど今は「新型コロナウイルス編」の現実が鋭く描かれてるそうだ。
「コウノドリ3」を是非ともやって欲しいと思う。
今回、
来泉ちゃんが「コウノドリ」に出演していたということが分かり、
色々と父や母の事を思い出す事になった。
そして、
今も、
父と母はいつも私の近くにいてくれて、
いつも優しく私を見てくれてるなぁと、
改めて感じるのだ。
ずっと父母を感じながら私は生きていけるのだと思う。
お父さんお母さんありがとう
私は幸せだよと
いつも語りかけるのだ。
可愛いね💕
「オールドルーキー」の亮太郎パパと二人の娘💕
この長女いずみちゃんを演じる稲垣来泉(くるみ)ちゃん
4話の亮太郎の引退試合での演技凄かったね~
剛くんの演技は勿論凄いんだけど、
いずみちゃんの表情、
涙が止めどなく流れる様子、
その涙を亮太郎が「泣かない泣かない」と、
優しくタオルで押さえてあげる所、
二人の自然な演技、もう本当にしか見えない❗️
何回見ても泣いちゃうよ~
稲垣来泉ちゃんは、
言わずと知れた「ちむどんどん」の
暢子の子供時代を演じた子役さんなんだけど、
何と❗️
剛くん主演ドラマ「コウノドリ2」にも、
出てたんやね~❗️
びっくり❗️
「コウノドリ」は2015年10月から12月。
「コウノドリ2」は2017年10月から12月に、
各々放送された、
産婦人科医サクラ先生を剛くんが優しく演じ、
産婦人科の現実を鋭く描いた、毎回、涙涙のドラマだった。
調べてみたら、
来泉ちゃんは2017年の「コウノドリ2」に出演してて、
サクラ先生と直接関わる役柄ではなかったのだが。
私は剛くんのドラマは毎回必ず感想もどきのものを、
このブログに書いてるけど、
2017年の「コウノドリ2」はとても感動して涙涙だったものの、
ほとんど全然書いていないのだ。
何故か?
それは、
ちょうどその頃、肺がんだった母が弱り出して、
緩和病棟に入院することになり、
余命は一週間位でしょうと告げられた頃だったからだ。
「ホスピスの相談室の冬薔薇(ふゆそうび) 母の余命を共に聞きしか」
(亡くなって4年後の2022年2月の母の忌の頃詠んだ)
そして、
ホスピスに入院してからは、
一日中母に寄り添う日々が続いた。
コロナ禍が始まる前で本当によかったと今は思う。
母は余命一週間と言われながらも3か月半も頑張ってくれた。
私の為に頑張ってくれたと今は思う。
本当に楽しい3か月半だった。
痛みも苦しみもなく、穏やかに母はずっと笑っていてくれた。
母は元々優しい穏やかな人で、実は私は怒られた事がない。
いつもにこにこしていて、周りからはよく仏様のような人だと私は言われ続けたのだ。
でもそれでいて実は行動的な人でもあったのだ。
入院中、
母と私は楽しく色々おしゃべりした。
徐々に穏やかに眠る時間が増えたが、一緒に食事をし、朝から夜まで一緒に過ごした。
優しい看護師さん達とも楽しくおしゃべりして、
ちょうどクリスマス会では、主治医の先生が何とトナカイの格好をして、
母を笑わせて下さったり、
ピアノコンサートも毎週あったりとか、
本当に楽しい日々だった。
私は「コウノドリ2」のサクラ先生に支えられて、
毎日母の元へ通ったのだ。
サクラ先生は慈母そのものだった。
本当に楽しい母と私の最後の3か月半だった。
不思議な事に、
「コウノドリ1」の時は父が肺炎で入院していて、
母と私は毎日父の元へと通ったのだ。
その時もサクラ先生に頑張れ!と癒されたのだ。
父も同じ位入院して、翌年2016年1月に亡くなったのだった。
「竜の玉見れば亡き母偲ばるる 父逝きし日の母の落涙」
剛くんのドラマや映画で、
ああ、あの頃はこんな事があったなあと思い出す事も多いのだが、
特に、
「コウノドリ」は、
こんな風に父と母を思い出す事が多い。
「コウノドリ」は、
今もまだ「モーニング」で鈴ノ木ユウさんの漫画は続いていて、
ちょうど今は「新型コロナウイルス編」の現実が鋭く描かれてるそうだ。
「コウノドリ3」を是非ともやって欲しいと思う。
今回、
来泉ちゃんが「コウノドリ」に出演していたということが分かり、
色々と父や母の事を思い出す事になった。
そして、
今も、
父と母はいつも私の近くにいてくれて、
いつも優しく私を見てくれてるなぁと、
改めて感じるのだ。
ずっと父母を感じながら私は生きていけるのだと思う。
お父さんお母さんありがとう
私は幸せだよと
いつも語りかけるのだ。