昨日は、
5年前の剛くんの記事を書いた。
今だにキュンキュンしてる自分、
変わらないなあ
と苦笑してしまう気持ちもありながら……
あの頃は父も母も元気だったんだなあと懐かしく思う気持ちもある。
数日前、
実家がなくなったばかり、
というか、人手に渡ったばかりなので、
もう訪れることができなくなり、
寂しくてたまらなく、父母を思う気持ちが大きくなっている。
5年前は、
両親は元気だったものの、
父は可愛い認知症だった。このブログでは一切触れなかったんだなあ。
私がいる時は大丈夫だったけど、
父の徘徊が大変だった。
散歩が大好きなのでよくでかけてたが、ある時から家に帰る事が出来なくなった。
GPSをつけたり、門で出入りがあると大きな音でチャイムを鳴らしたり、色々と対策はしたが、
夜中に出ていく事もあり、
警察のお世話になる事もしょっちゅう。
GPSを忍ばせた靴は履かずに、バスや電車に乗って、遠くまで行ってしまう事もあった。
警察の連携のおかげで、何とか見つける事ができ、遠くの駅の駐在所まで車で迎えに行った。車の後ろ座席で眠る父を見て、ほっとして泣きながら運転して帰った。
私は大好きだった仕事もこの頃辞めた。
職場に連絡があり、駆けつける事もあり、迷惑を掛ける事になったから。
私は、
両親のどちらもに辛い思いをさせたくなかった。
明るく楽しく暮らして欲しいという思いで一杯だった。
色々な大変な事もあったけど、
父と母の笑顔が可愛くて大好きだった。
可愛い笑顔をずっと見ていたくて、色々な所に出掛けたり、
週末は弟も夫も一緒に遠出したり。
父はいつもニコニコとしてて、知らない人ともすぐ仲良くなる。
だから、デイサービスやショートステイも喜んで出掛けて行き、喜んで帰って来た。
でも
父は2015年の秋、
風邪をこじらせて肺炎にかかり、私と母は毎日病院通いをしたが、
治癒の祈りも空しく、
三ヶ月の入院を経て、90歳で
2016年1月逝ってしまった。
本当に残念だった。もっと長生きして欲しかった。
その後は実家で母と二人暮らしをした。
母は既に肺がんで骨転移もしていたが、痛みもなく元気だった。
でも徐々に腰骨の転移の痛みが出て来たが、
テープを一日に一回張り変える方法でコントロールできたので、
亡くなるまで痛みが全くなく、それは本当によかったと思う。
実家で母と二人で暮らした二年間は、
本当に幸せだった。
母は人にもよく言われるのだが、
優しく、人の悪口は聞いた事がなく、いつもニコニコと穏やかで、
実は私は母に叱られた事が一度もないのです。
よく母の友達や他の人にも、仏様のような人だわと言われた。
両親とも自慢の両親です。
母もデイサービスやショートステイは大好きで、
スタッフさんのお手伝いも大好きで、スタッフさんにも、いいお母さんですねとよく言われた。
母は2017年の10月、
急に身体が弱り、食事もあまり取れなくなり、
私の自宅近くの緩和ケアの病院に入院した。
その時は一週間しかもたないと言われショックだったが、
私がアイスクリームを食べさせた所、全部食べきり、それから元気を取り戻し、
食事を完食するようになり、
私はほとんどの時間を母の個室で、一緒に楽しく過ごす事ができた。
最後の日の前日まで、
私が食べさせる食事を一杯食べてくれた。
眠る事が増えていったけど、一杯話せて、一杯笑えて、
最後まで幸せな時間だった。
2018年2月、母も90歳、
穏やかな眠りのような最後だった。
でも、
もっと長生きして欲しかったと今でも思う。
5年前の剛くんの記事を書いた。
今だにキュンキュンしてる自分、
変わらないなあ
と苦笑してしまう気持ちもありながら……
あの頃は父も母も元気だったんだなあと懐かしく思う気持ちもある。
数日前、
実家がなくなったばかり、
というか、人手に渡ったばかりなので、
もう訪れることができなくなり、
寂しくてたまらなく、父母を思う気持ちが大きくなっている。
5年前は、
両親は元気だったものの、
父は可愛い認知症だった。このブログでは一切触れなかったんだなあ。
私がいる時は大丈夫だったけど、
父の徘徊が大変だった。
散歩が大好きなのでよくでかけてたが、ある時から家に帰る事が出来なくなった。
GPSをつけたり、門で出入りがあると大きな音でチャイムを鳴らしたり、色々と対策はしたが、
夜中に出ていく事もあり、
警察のお世話になる事もしょっちゅう。
GPSを忍ばせた靴は履かずに、バスや電車に乗って、遠くまで行ってしまう事もあった。
警察の連携のおかげで、何とか見つける事ができ、遠くの駅の駐在所まで車で迎えに行った。車の後ろ座席で眠る父を見て、ほっとして泣きながら運転して帰った。
私は大好きだった仕事もこの頃辞めた。
職場に連絡があり、駆けつける事もあり、迷惑を掛ける事になったから。
私は、
両親のどちらもに辛い思いをさせたくなかった。
明るく楽しく暮らして欲しいという思いで一杯だった。
色々な大変な事もあったけど、
父と母の笑顔が可愛くて大好きだった。
可愛い笑顔をずっと見ていたくて、色々な所に出掛けたり、
週末は弟も夫も一緒に遠出したり。
父はいつもニコニコとしてて、知らない人ともすぐ仲良くなる。
だから、デイサービスやショートステイも喜んで出掛けて行き、喜んで帰って来た。
でも
父は2015年の秋、
風邪をこじらせて肺炎にかかり、私と母は毎日病院通いをしたが、
治癒の祈りも空しく、
三ヶ月の入院を経て、90歳で
2016年1月逝ってしまった。
本当に残念だった。もっと長生きして欲しかった。
その後は実家で母と二人暮らしをした。
母は既に肺がんで骨転移もしていたが、痛みもなく元気だった。
でも徐々に腰骨の転移の痛みが出て来たが、
テープを一日に一回張り変える方法でコントロールできたので、
亡くなるまで痛みが全くなく、それは本当によかったと思う。
実家で母と二人で暮らした二年間は、
本当に幸せだった。
母は人にもよく言われるのだが、
優しく、人の悪口は聞いた事がなく、いつもニコニコと穏やかで、
実は私は母に叱られた事が一度もないのです。
よく母の友達や他の人にも、仏様のような人だわと言われた。
両親とも自慢の両親です。
母もデイサービスやショートステイは大好きで、
スタッフさんのお手伝いも大好きで、スタッフさんにも、いいお母さんですねとよく言われた。
母は2017年の10月、
急に身体が弱り、食事もあまり取れなくなり、
私の自宅近くの緩和ケアの病院に入院した。
その時は一週間しかもたないと言われショックだったが、
私がアイスクリームを食べさせた所、全部食べきり、それから元気を取り戻し、
食事を完食するようになり、
私はほとんどの時間を母の個室で、一緒に楽しく過ごす事ができた。
最後の日の前日まで、
私が食べさせる食事を一杯食べてくれた。
眠る事が増えていったけど、一杯話せて、一杯笑えて、
最後まで幸せな時間だった。
2018年2月、母も90歳、
穏やかな眠りのような最後だった。
でも、
もっと長生きして欲しかったと今でも思う。