コスラエの濱崎SVです。
今回は仕事の話ではなく、コスラエでの結婚の様子をお伝えします。
元JOCV森田理絵さん(現荒木理絵さん)とひろしさんの結婚式が2010年2月コスラエでありました。
彼女は私の前任者で、2009年9月までの2年間コスラエの運輸基盤局に赴任し、ごみ処分場において準好気性処分方式(福岡方式)の導入を図った青年海外協力隊員でした。
(彼女の活動についてはこのブログに掲載されていますのでそれを参照してください、合わせて福岡方式も掲載されています)
今回の結婚式については彼女達自身の準備は大変だったでしょうが、こちらコスラエ側の準備も同様に大変そうに見えました。
敬虔なプロテスタント信者が多いこの島では、生活そのものに信仰が深く関わっており、結婚は、生活の中での重要な行事の一つになっています。
そのため今回の挙式には教会始め役所も島民も充分気合いが入っている印象を受けました。
2年間の感謝の気持ちを大好きなコスラエで伝えるために挙式する!
というのが彼女達の望みでしたでしょうから、コスラエの人達は、これを重要な行事としてとらえ、それに十分に応える心構えを私は感じました。
縁もなく、仕事でも何の関わりも無い人が、旅行のついでに!とか、単なる記念に!とかの「軽いノリ」ではこの島での挙式は許されません。
例えば結婚式には政府が指定する健康診断(感染症等侵入防止ため?)が必要になります。
一般の旅行者は短期間の滞在中でこの診断を受けるのはほとんど不可能でしょう。
今回は、短期間でこれをクリアするため、元職場の同僚達は病院への受診の予約、緊急検診のネゴなどあちこち手分けして取り掛かっていました。
彼女が職場のスタッフと苦楽を共にしたからこそこうしたことが出来たのでしょう。

<教会での挙式が終わった後ホットした?ご両人>
披露宴についても、
一番お世話になったホストファミリーと職場のスタッフをパーティに招待したい!
という当初の彼女達の趣旨が、自分の娘としてどうしても披露するというホストファミリーの強い意向で余儀なく変更され、最終的にはコスラエ風のパーティに替わったようです。
私としては、この主宴の変更は、逆にホストファミリーと職場のスタッフが、彼女の2年間の活動に対する感謝の気持ちを伝える機会だとの強い意志と愛情の表れだと感じたものです。
冠婚葬祭の島民行事がそうである様に青空・テント張りの会場には優に百人を超える人たちがお祝いに駆けつけました。

<青空・テントでの披露宴会場―豚三匹を初め家庭料理がワンサカ集まりました>
職場のスタッフも多数駆け付けましたが、その内の一人は「朝から、豚を丸ごと三匹始末して料理したよ!」とこの島最高の歓待料理を造った腕をさし挙げながら得意そうにしていました。
そのおかげで私も出来上がった「豚の丸焼」で腹いっぱいになりました。
余興はこの島の人達がいつも教会で歌う老若男女のアカペラの連続でした。
四部合唱の夫々のパートはスタート時音程が少しずれていますが、ものの20秒も経たない内に自然にハモッてきます。
感動的な合唱に切り替わっていきます。
おじいさんも、おばあさんも子供も若者も誰もかれも、自分のパートを歌いながらお祝いの気持ちを伝えていきます。
あたかも神からの声の贈り物の如くでしょうか。
完全なコスラエ風の歓待風景で、すっかり二人は島民の一人としての扱いでした。

<お祝の賛歌!老若男女のアカペラです。子供の時から鍛えているためかハーモニはすごい!>
JOCVとして活動した彼女は、赴任中の二年間が全て順調に推移したのではなく、幾度も悪戦苦闘を経たと聞いています。
時には苦労のあまり涙していたとも聞いています。
しかし彼女の活動(Out-Put)が、その結果としてホストファミリーからも職場からも周囲の島民からもこのように受け入れられている事実(Out-Come=成果)を観て、ボランティアとしてはすごく大事な事だなあ~とつくづく感じました。
私も一ボランティアとして活動していますが、その結果が相手に少しでも受け入れられて貰えばいいな~と思ったものです。
とても強く印象に残る南の島でのいい結婚式でした。
今回は仕事の話ではなく、コスラエでの結婚の様子をお伝えします。
元JOCV森田理絵さん(現荒木理絵さん)とひろしさんの結婚式が2010年2月コスラエでありました。
彼女は私の前任者で、2009年9月までの2年間コスラエの運輸基盤局に赴任し、ごみ処分場において準好気性処分方式(福岡方式)の導入を図った青年海外協力隊員でした。
(彼女の活動についてはこのブログに掲載されていますのでそれを参照してください、合わせて福岡方式も掲載されています)
今回の結婚式については彼女達自身の準備は大変だったでしょうが、こちらコスラエ側の準備も同様に大変そうに見えました。
敬虔なプロテスタント信者が多いこの島では、生活そのものに信仰が深く関わっており、結婚は、生活の中での重要な行事の一つになっています。
そのため今回の挙式には教会始め役所も島民も充分気合いが入っている印象を受けました。
2年間の感謝の気持ちを大好きなコスラエで伝えるために挙式する!
というのが彼女達の望みでしたでしょうから、コスラエの人達は、これを重要な行事としてとらえ、それに十分に応える心構えを私は感じました。
縁もなく、仕事でも何の関わりも無い人が、旅行のついでに!とか、単なる記念に!とかの「軽いノリ」ではこの島での挙式は許されません。
例えば結婚式には政府が指定する健康診断(感染症等侵入防止ため?)が必要になります。
一般の旅行者は短期間の滞在中でこの診断を受けるのはほとんど不可能でしょう。
今回は、短期間でこれをクリアするため、元職場の同僚達は病院への受診の予約、緊急検診のネゴなどあちこち手分けして取り掛かっていました。
彼女が職場のスタッフと苦楽を共にしたからこそこうしたことが出来たのでしょう。

<教会での挙式が終わった後ホットした?ご両人>
披露宴についても、
一番お世話になったホストファミリーと職場のスタッフをパーティに招待したい!
という当初の彼女達の趣旨が、自分の娘としてどうしても披露するというホストファミリーの強い意向で余儀なく変更され、最終的にはコスラエ風のパーティに替わったようです。
私としては、この主宴の変更は、逆にホストファミリーと職場のスタッフが、彼女の2年間の活動に対する感謝の気持ちを伝える機会だとの強い意志と愛情の表れだと感じたものです。
冠婚葬祭の島民行事がそうである様に青空・テント張りの会場には優に百人を超える人たちがお祝いに駆けつけました。

<青空・テントでの披露宴会場―豚三匹を初め家庭料理がワンサカ集まりました>
職場のスタッフも多数駆け付けましたが、その内の一人は「朝から、豚を丸ごと三匹始末して料理したよ!」とこの島最高の歓待料理を造った腕をさし挙げながら得意そうにしていました。
そのおかげで私も出来上がった「豚の丸焼」で腹いっぱいになりました。
余興はこの島の人達がいつも教会で歌う老若男女のアカペラの連続でした。
四部合唱の夫々のパートはスタート時音程が少しずれていますが、ものの20秒も経たない内に自然にハモッてきます。
感動的な合唱に切り替わっていきます。
おじいさんも、おばあさんも子供も若者も誰もかれも、自分のパートを歌いながらお祝いの気持ちを伝えていきます。
あたかも神からの声の贈り物の如くでしょうか。
完全なコスラエ風の歓待風景で、すっかり二人は島民の一人としての扱いでした。

<お祝の賛歌!老若男女のアカペラです。子供の時から鍛えているためかハーモニはすごい!>
JOCVとして活動した彼女は、赴任中の二年間が全て順調に推移したのではなく、幾度も悪戦苦闘を経たと聞いています。
時には苦労のあまり涙していたとも聞いています。
しかし彼女の活動(Out-Put)が、その結果としてホストファミリーからも職場からも周囲の島民からもこのように受け入れられている事実(Out-Come=成果)を観て、ボランティアとしてはすごく大事な事だなあ~とつくづく感じました。
私も一ボランティアとして活動していますが、その結果が相手に少しでも受け入れられて貰えばいいな~と思ったものです。
とても強く印象に残る南の島でのいい結婚式でした。