”8月6日”
被爆国の民として、地球から核廃絶を!と全世界に訴えていく日
また、5年前に、父が書いた自叙伝を読んでから、
私にとって、特別な日となった日でもある

「8月6日早朝、私は事務官の佐古氏とともに
呉の施設本部に向かうべく宿舎を出た、、
途中、佐古氏が二人で行かなくてもいいのではないかと言ったので、
私は広島経由で宇部に向かった。
運命の8時15分は岩国あたりだったと思う。
佐古氏は夕方になっても、夜になっても、帰ってこない、、、、」
と、63年前のあの日をこんなふうに、
そして後に、命運のあった自分の人生だと、父は書いている
この佐古氏の一言が無ければ、父は広島駅で、原爆に、、、
そして、私という人間も、我が家族もこの世に存在しなかったことになる
”生、命”について考えてしまう日になった
この世に、生まれなくてはならない何かがあったはず、、、、、と
被爆国の民として、地球から核廃絶を!と全世界に訴えていく日
また、5年前に、父が書いた自叙伝を読んでから、
私にとって、特別な日となった日でもある

「8月6日早朝、私は事務官の佐古氏とともに
呉の施設本部に向かうべく宿舎を出た、、
途中、佐古氏が二人で行かなくてもいいのではないかと言ったので、
私は広島経由で宇部に向かった。
運命の8時15分は岩国あたりだったと思う。
佐古氏は夕方になっても、夜になっても、帰ってこない、、、、」
と、63年前のあの日をこんなふうに、
そして後に、命運のあった自分の人生だと、父は書いている
この佐古氏の一言が無ければ、父は広島駅で、原爆に、、、
そして、私という人間も、我が家族もこの世に存在しなかったことになる
”生、命”について考えてしまう日になった
この世に、生まれなくてはならない何かがあったはず、、、、、と