八幡の藪知らず
横溝正史の『迷路荘の惨劇』で初めて「八幡の藪知らず」という表現に出会い、その由来が、私が育った土地・千葉県市川市にある禁足の森「不知八幡森(しらずやわたのもり)」だということに驚いたので、帰省したこの機会に行ってみることにしました。
不知森神社の鳥居は国道14号線に面しており、かなり最近に奉納されたもののようです。
鳥居から左側へ数歩行ったところに由来を説明する案内板があります。
八幡二丁目の歩道橋の上から見下ろすことができるのですが、18メートル四方の狭い範囲に鬱蒼と生い茂る竹藪その他雑木は道路と駐輪場と住宅に囲まれ、神秘性も何も感じられるようなものではないですね。
江戸時代にはすでにこの程度の広さだったようです。ここに入ってはいけない理由については諸説あるようですが、中でも万治年間(1657~61)に水戸黄門が藪に入り神の怒りに触れたという話が後に錦絵となって全国的に有名になったのだとか。
「中凹みである」という記述があることから、藪知らずが八幡宮の行事「放生会」に使われた放生池の跡地である可能性もあり、中世の千葉氏の内紛による荒廃で行事が廃れ、放生池には「入ってはならぬ」ということのみが伝えられたため、いろいろと憶測が飛び交うようになったとも考えられるとか。
入ってはいけない禁足地なのに中央が凹んでいるとどうして分かるのかちょっと不思議です。空地ならともかく鬱蒼とした竹藪ではいくら小さな土地とはいえ普通外からは見えないんじゃないかと…
葛飾八幡宮
不知八幡森は葛飾八幡宮の御神宝の一つであり、八幡宮は国道14号線を挟んで斜め向かい側にある参道から入れます。1月3日はもうそれほど人出はないかと思いましたが、参道の半分くらいに及ぶ参拝客の行列ができていたのでちょっと意外でした。
この葛飾八幡宮には地元とはいえ(いえ、地元だからこそ?)まともに入ったこともなく、どういう由緒のものなのか知らなかったのですが、「平安の昔寛平年間(889~898)、宇多天皇の勅願により下総国総鎮守八幡宮としてご鎮座」とあるように随分と伝統ある神社だったのですね。いくら市川に居た当時全く神社仏閣の類に興味がなかったとはいえ己の無知加減に少々呆れました。
この時期のお清めはこの茅のアーチをくぐることなのだそうで、手水舎は閉鎖され、水がありませんでした。
境内には複数の社があり、それぞれの祭神と神徳が記された案内板が立っています。
子宮がんや関節リウマチ、さらに軽症の憩室炎らしい症状(精密検査は帰国後)とここのところ病気づいているので、病気平癒のご神徳を持つ建速須左之男命(たけはやすさのおのみこと)を祀る八坂社にお参りして来ました。まあ、気休めですが。建速須左之男命は天照大神の乱暴者の弟・スサノオのことですが、病気平癒や厄徐開運のご神徳があるとされているとは知りませんでした。
木花開耶姫や宗像三女神(湍津姫、田霧姫、市杵嶋姫)など記紀に由来する神々の他、菅原道真も祀られていました。スサノオや宗像三女神は八幡信仰(応神天皇(誉田別命)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている)と縁が深いですが、木花開耶姫はちょっとそこから外れています。菅原道真に至っては八幡信仰とは全く無関係ですね。神仏習合がなくても神社にはいろいろな神様が祀られていてなんとなく節操がないような感じがしてしまうのは私だけでしょうか。
コーヒーハウス Poem
葛飾八幡宮で気まぐれに運勢占いを引き、その後本八幡駅前のパティオというデパート内の本屋に寄り、本を三冊ばかり購入して、すぐ近くのビル2階にあるコーヒーハウスPoemに入ってみました。ここではコーヒー100種類あるのだとか。
注文したコスタリカ・フレンチローストが来るまでずいぶん時間がかかりましたが、本格的な味わいの薫り高いコーヒーで待った甲斐はありましたね。
コーヒーは美味しかったですが、隣の席に座っていた中年女性二人組のおしゃべりがうるさくてあんまり落ち着いて読書するということはできませんでしたので、コーヒーを飲んだ後は早々に退散しました。