御手洗潔シリーズの22冊目である『溺れる人魚』(2006、文庫は2011年発行)、は表題作の他『人魚兵器』、『耳の光る児』、『海と毒薬』を収録した短編集です。この中で「本格ミステリー」と言えるのは表題作のみですが、その語り口は典型的なパターンからは外れており、最初は何が謎なのか謎で、本来の事件、すなわちミュンヘン五輪で4つの金メダルを獲得した稀代の女性スウィマーがリスボンの自宅でピストル自殺を遂げ、そのほぼ同時刻、2キロ離れた自宅で彼女を無理に外科手術したリスボン大学名誉教授リカルド・コスタが射殺され、2つの命を奪ったのは同じピストルから発射された銃弾だと判明した、というミステリーに到達するまでに女性スウィマーの病状や精神外科手術の恐怖、術後の彼女の廃人ぶりなどにかなりのページ数が費やされるので、これが実は「本格ミステリー」であることに気づくのに時間がかかります。作者の自作解説を読むと、「ロボトミー殺人事件」の当事者で、チングレクトミー手術を施された桜庭章司に着想を得て、精神外科手術の問題点を作品を通して世に問うことに主眼が置かれているようです。『溺れる人魚』の語り手は御手洗潔の知り合いらしいジャーナリストのハインリッヒ。
『人魚兵器』と『耳の光る児』は、『名車交遊録』の上下二冊の完全版を作るにあたって、原書房から刊行の条件として書き下した短編だそうです。『人魚兵器』ではこのため、ハインリッヒがスウェーデンのマルメ市からオーレスンド大橋を通ってデンマークのコペンハーゲン市に向けてポルシェの356をかっ飛ばしていきます。作者の自作解説によると、ポルシェには強制収容所のガス室を連想させるような特有の毒気があるのだそうで、その連想から話はベルリンのテンペルホフ空港の下に広がる巨大地下施設で行われたナチスによる生体実験・キメラ(人魚)製造実験に繋がっていきます。御手洗潔(作中では「キヨシ」)がひょんなことから目にしたこの地下施設でベルリン陥落時の対ナチソ連軍によって火災の後に撮影された写真に写っていた奇妙な生き物の正体を探りにクルスク、ベルリン、ワルシャワを訪ねて得た情報をハインリッヒが聞いて読者に語ります。
作中に登場する「ベルリン地下協会(Berliner Unterwelten e.V.)」は実在しており、現在ではちょっとした博物館みたいになっているようです。常設展示の他、企画展示会もあり、また地下施設のガイド付きツアーも提供しています。興味はあるのですが、本当に行きたいのかというとちょっと疑問が…。
『耳の光る児』は、紫外線を当てると耳が緑色に光る子供がクリミアやタタルスタンやウズベキスタンなどの4か所に1人ずつ生まれたというミステリーを解く話で、その過程で母親たちの背後にかつての大モンゴル帝国の栄光が浮かび上がってきます。
「広大なユーラシア大陸にモンゴルだけが作り出せた秩序、これによって欧州の商人が北京まで安全裏に来られたこと。異教徒に示す、モンゴルだけの寛容さ。降伏した民への寛大さ。異民族への差別感の少なさ。シベリア鉄道が現れる以前に、最も早い情報伝達の手段を構築し得た俯瞰力。北の高地の都、北京まで、大小の船を直接海から引き込んだ脅威の土木力。各種の先進科学兵器を作り出した科学技術力。
ロシアも欧州も、この偉大な帝国の先進の戦争技術に歯が立たず、小躯のアジア人にひれ伏すほかはなかった。その強さは世界各地の若者の憧れになり、現在のアメリカ合衆国にも似た、「強さと自由」という抽象概念を、国の結束理由として掲げた。現在のロシアの広大な国土は実はモンゴルの領土であった。モンゴルなしには、現在の大国ロシアはない。」(自作解説より)
こうしたモンゴル帝国の一般的な残忍なイメージとは違う史実を説明したいという動機から『耳の光る児』が書かれたらしいです。確かに歴史の興味深い片鱗に触れることができました。
最後の『海と毒薬』は石岡和己が御手洗潔に宛てた手紙で、『異邦の騎士』事件で受けたトラウマを20年の時を経て克服できたことを当時行き着けていた喫茶店などを巡ることで確認できた旨の報告と、この『異邦の騎士』に救われたという読者の女性からの手紙の紹介が主な内容です。
それぞれに味わいがありますが、「御手洗潔シリーズ」と言っていいのかもう分らない感じがしないでもないです。御手洗の魅力の一つであったエキセントリックな傍若無人さは見る影もないですね。