徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

大腸カメラ騒動

2019年01月08日 | 健康

12月に主治医のところへ行ったついでに、お腹の調子が悪いこと(左側の下腹部の痛み)を相談し、なにか心配しなければいけないことなのか聞いてみると、取り敢えず血液検査をして見ることになり、その結果、軽い炎症があることが分かり、「憩室炎」の可能性があるので、消化のいいものを食べて水分を多くとることと消化器内科で大腸カメラの検査をやってもらうことを勧められ、紹介状をもらいました。年内に消化器内科の予約は取れないだろうと思っていたのですが、12月21日の早朝にキャンセルが出たために空きがあり、急遽事前面談へ。7時15分という普段ならせいぜい起き出すくらいの時間ですよ。

その事前面談で一通りの説明を受け、検査の日時を決めました。その検査が今日、1月8日、13:30だったわけです。FBの友達などに聞いたところによると、ドイツのやり方は日本とはだいぶ違うようです。

検査の準備は事前面談の時に説明を受けた指示書に従ってすべて自宅で行います。その指示は以下の通りでした。

検査5日前からサラダやコーンなどの食物繊維の多いものを避け、ジャガイモ・麺・米・パンなどの炭水化物や肉を中心に食べるようにする。

検査前日。軽い朝食。昼はコンソメスープなど具のない透明なスープのみ。以降絶食。18時に下剤「Moviprep」を水1ℓに溶かして服用。それとは別に1ℓ水分をとる。

検査当日。検査5時間前(朝8:30)にもう一度下剤「Moviprep」を服用し、それとは別に1ℓ水分をとる。

朝食にお茶やコーヒーは飲んでいい。水分摂取は検査3時間前までで、それ以降は水分も摂ってはいけない。

排泄物が黄色っぽい透明な液体であり、固形物が一切ない状態であることを確認する。そうでない場合は予約時間の30分前にクリニックに来院し、相応の措置をとる。

普段野菜や果物を大量に食べる私には検査の5日前から苦行でした。検査前日からの絶食も辛かったですが、それよりも下剤による腹痛の方が辛かったですね。

こうして時間通りに(13:30ちょっと前)クリニックに行くと、ほとんど待つことなく検査室へ連れていかれ、ズボンと下着を脱いで紙のダボっとしたパンツに履き替え、診察台に寝かされ、血圧計を装着され、後はドクターが来るのを待つばかりとなったのですが、ドクターはなかなか来なくて、看護師さんと世間話をして待ちました。

ドクターが来てから左を下に、彼の方にお尻を向けて横になり、眠剤を打たれました。寝ていたので検査の様子などは当然全く分かりませんでした。眠剤を打たない選択肢もありましたが、検査が不快であると聞いていたので寝る方を選択しました。

目覚めてから看護師さんに休憩室に連れていかれ、回復したら受付に来るように言われました。時計を見ると14:15になっていました。

着替えて受付のところに行くとしばらく待合室で待っているように言われ、数分間待機。

その後ドクターと所見について話しました。結論を言うと憩室炎(Divertikulitis)ではありませんでした。憩室(Divertikel)も一つもできていないとのことで、12月にあった炎症は感染症か何かだろうとのことでした。腸はまったくクリーンで、2mm程度のポリープを1つ取り除いたとのことです。

14:30にはクリニックを出て、ダンナに迎えに来てもらって、パンを買って帰宅しました。帰宅後まずはスープでお腹を温めてからパンを食べ、久々のセロリをかじり、続いてケーキを食べ、コーヒーを飲んで、欲しいものを飲み食いできる幸せを噛み締めました(笑)

「お腹が空いた~」「お腹痛~い」と大騒ぎした大腸カメラ体験でしたが、「何もない」ことが分かってよかったです。


書評:住野よる著、『君の膵臓をたべたい』(双葉社)

2019年01月08日 | 書評ー小説:作者サ・タ・ナ行

『君の膵臓をたべたい』(2015)は年末年始に日本に帰省中に本屋で見かけたので、同著者の『また、同じ夢を見ていた』と一緒に買いました。文庫も出ているとは知らず平積みになっていた単行本で買ってしまい、ちょっと後悔していますが、感動的な作品なのでまあ良しとしましょう。

病院の待合室で偶然拾った「共病文庫」がきっかけで高校生の「僕」はクラスメイトの山内咲良と「仲良し」になります。その「共病文庫」は膵臓を患い余命わずかの彼女の秘密の日記帳でした。家族以外で唯一彼女の秘密を知ることとなった「僕」は以来彼女に振り回されることになります。読書が好きで、他人と関わることのなかった「僕」は明るく奔放な彼女の「死ぬまでにやりたいこと」に付き合ううちに彼女との会話や彼女と過ごす時間を楽しいと思うようになり、彼女の存在をかけがえのないものと感じるようになります。

小説の大半は僕と彼女の行動ややり取りで占められ、二人のおかしな会話を楽しむことができます。

そして唐突に来る終わりは、予想されていた形とは違い、現実の容赦なさが「僕」に突き付けられ、改めて生とは何かについて考えさせられます。葬式には行かなかったけれど、彼女から借りた本を読み終えて、それを返しに行った時に彼女の残した「共病文庫」を見せてもらい、「僕」の自己完結の壁は決壊し、ため込んでいた感情がすべて溢れ出してしまいます。こうしたかけがえのない体験を通じて「僕」は生まれ変わったかのように他人との関りを大切にするようになります。

泣き所は咲良が何を考え思っていたかが分かる「共病文庫」と遺書の部分ですね。「僕」と彼女は恋人にはならなかったけれど、深いところで気持ちが通じ合っていたことが分かるシーンです。

会話の中で特徴的なのは、名前ではなく【根暗そうなクラスメイト】くんとか【仲良し】くんなどと呼ばれていることです。最後の方で「僕」の名前が志賀春樹(小説家?!)であることが明かされますが、名前が伏せられていたことに意味があるのかどうかはいまいち分かりません。「僕」が咲良を決して名前で呼ばず「君」としか言わなかったことと関係があるのかと思われます。呼ぶ名前に意味が付与されることを恐れた、ということでしょうか。「春樹」でも「咲良」でもなく、「友達」でも「恋人」でもなく、「君の膵臓をたべたい」という言葉に象徴されるような名前の付かない絶対的な一人称「僕」と二人称「君」の絆を描いたということかもしれません。

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