防衛問題を語る場合には、内紛・内乱・戦争が何故起こるのか?
その根源から問い直して、防衛問題を検討して見る必要があります。
その上で、外交、防衛、平和を再考する事が不可欠です。
資本主義強欲競争の根源には必ず覇権国家の覇権争いがあります。
そしてその核心部分にハイテクを必須とした軍需関連産業の市場争いが隠然と存在します。
更にそれは連動して、技術上の経済制裁が伴います。
これは常に国家間の緊張を強いています。
集団安全保障条約を結べば、直ぐに束になった「制裁」・「村八分」が起こり、
それを受けた側はその国家としての存立をも左右します。
安全保障とは、ある場合には単なる言葉上の美辞麗句であり、集団的な国家的・軍事的圧力で
まるで「村八分」するかのように政治的軍事的圧力を掛け、
自国の利権、利益、有る場合は世界の戦略的覇権争いの手段で有ったりもします。
他方の国家にとっては自国を守る為に軍事的・政治的専制支配を
嫌でも敷かざるを得なく成る場合もあります。
また、大国のエゴがまかり通るようになれば、必ず「一か八かの戦争」に突入するでしょう!
大国は軍事的に圧倒していますので、力で相手を抑圧できます。
ただ、自国の兵士を海外に動員することが壁になります。
その為、マスコミを飴と鞭で丸め込み、大衆を洗脳することが不可欠です。
なぜなら、自分達は安全でも兵士は死地に向かうし、戦死すれば家族も路頭に迷います。
兵士と家族には何の利益ももたらしません。
その為、支配層は靖国や自由の女神を利用し、愛国心を鼓舞、洗脳し
死の淵にある「戦士」を神に祭り上げます。
その上で、敵対国、ライバル国、「専制」国に挑発、言いがかり、嘘の情報をまき散らし、
それでもうまくいかなければ経済的、政治的制裁が簡単に出来てしまうからです。
これらの大国の戦争政策を平和、友好、外交にシフトを移していくことが、
弱小国はおろか人類の平和と幸せにとっては掛け替えのない不可欠条件です。
それは明日直ぐに戦争が無くなることを意味しませんが、
これをやり切らない限り、戦争のエスカレーション、激化の果てに、人類は必ず、滅亡に向かいます。
それだけ、世界を一瞬にして消してしまう程の核兵器が世界には現に備わっているからです。