心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

人、社会の軌跡(惰性)とは?-3

2007-03-17 14:59:54 | 哲学

 

 

Ⅲ.社会文化、道徳意識の崩壊

 

 (1)社会的意識の破綻

 

 この中で私が主張したいことは、


この経済状態の悲惨さを見ることではない。

 

 

 この状態が、

この社会に生きる人々に


或る一定の共通の質のダメージを、


言い換えれば人という命に、


心のダメージを与えるのである。

 

 

それまで人間らしい生活、


人として

価値ある生命活動が維持されてきた。

その維持してきたはずのものが


破壊されはじめて来ているのである。

 

 


孕んでいると思うのである。

 

 

多くの人々の


バラエティーに富んだ


人生という軌道が、

 


生きる価値、


魂としての価値、


人たり得る価値が


共通に低下してきているのを見る。

 

 

 それは、


個々部分だけを見ているときは、


それほど問題ではない。

 

それがどちらにしても、


全体として、


一人一人が動物的(退廃的)生活、


動物的(退廃的)文化の次元に

落ちていくことである。

 


資本の法則性の

虜になる時である。

 資本(貨幣、機械、原材料、土地)は

紛れもなく生活の土台である。

 

でも………、

人たる特性、

文化、芸術、優しさ、思いやり、

寛容性は創造しない。

 

むしろ資本は行き詰ると

平気で生活の糧を削り落とす。

首を切る。

そこに人間性などない。

 

(2)倫理、道徳意識の破綻

 

 それは当然、


今まで既成の倫理、道徳として、


規範意識が


人の心の中から

崩壊していくことである。


このことが問題なのである。

 

それは実際のところ、


社会では具体的に


どのように現象しているのだろう?

 

 子供が、幼児・乳児時代は、


母の虐待、虐待殺人、育児放棄


などといった形で現れる。

 

 

子供が、


そのような母親の


責任放棄した育児プロセスの中で


少年時代を迎えると、

 

つまり、


社会の精神的文化水準が


低下した環境の中で


育った子供達は、想像に難くない。

 

 

 子供達は仲間通しの中で、


陰険な虐めや


暴力沙汰が続発し始めるのである。

 

 

 大人達は、


企業社会の中で、


脱落していくという難を避けるために、


少しでも他の人よりも前に行こうとする。

パワハラはいたる所に出現する。

 

 激しい競争が行われる。


限られた数少ない自分の席を


死守するためである。

 

 

            此処に大きな問題を孕んでいる。  

 


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