
私たちはウクライナ状態にならないと目が覚めないのか?
戦争には手順があります。
火遊び(各国の要人の訪問、近隣での演習、新式兵器の売買交渉など)が本気になり、
謀略的テロ、演習に見せかけた挑発等が有り、次は本格的な紛争、通常戦争になり、
最後は核戦争です。
核戦争だけ反対では、軍拡賛美者の限定戦争論者(軍需産業の代弁者)を喜ばすだけです。
軍拡は抑止にはなりません!緊張を高め、
「先制攻撃論を最適に導く」ことを忘れてはなりません!
これが大戦争に導くわけです。
今の反動的政治家は一方に荷担し、戦争で闘う人間に「英雄心」を植え付け、煽り、内心はほくそ笑んでいます。
もし戦争になれば戦場は地獄です。
しかし、戦争を起こしたい人々にとっては、
自分の国は戦場にならないからであったり、
軍需産業株はうなぎ登り!でホクホクだからです。
あるいは、自国が戦場になっても欧米などに逃避できる人々です。
ただし、長距離弾道弾を使う核戦争を回避できる間だけです!
従ってある意味では「NPTの課題」はただしい!
つまり、核大国が本気というのは、核戦争が迫り来るときだけで、
他国に要求し、国民に迫り強制する限定された通常戦争までは「火遊び」、
つまり金もうけ、株高騰が目的です。
「闘う兵士」と「戦場の国民」はその餌食になるだけです。
勝っても負けても後には何も得るものはないでしょう!
戦場は瓦礫と焼けただれた廃墟です。
親兄弟、家族、家屋敷など何もかも失うだけです。
現代戦争は勝っても負けても市民にとっては同じことです。
一般国民にとっては、通常戦争でも本気で、回りは修羅場で地獄です。
その代わり「神の子」として祭り上げられます。
弱小国の真面目な政治家の責任は重大!です。
火遊び政治家の戦争に対する英雄心は「茶番劇」です。
若者は「神の子」などと、迂闊にあおられ、その罠にはまってはいけません。
「国民の命を守り、生活を守ること」が「自由と民主主義」の第一条件です。
今、言わなければいつ言うのですか!
始まってからでは手遅れ!
ウクライナを見ればわかるでしょう!
ウクライナはプーチンが始める前から火遊びが始まっていました。
ソビエトの民主化と共にソビエト連邦の解体、ワルシャワ条約機構の解体、
その後、NATO軍事同盟の拡大、ユーゴスラビアの解体と民主化、民族運動の進行、
そしてNATO軍事同盟の介入、民主化後のロシアの孤立化、
そして、マイダン事件以来、親ソ派大統領が失脚したときから
NATO(主演は米軍)の介入は始まっていました。
ロシアとウクライナは同じスラブ民族同士で、
中世時代、モンゴル帝国が占領するまでは「キエフ大公国」がありました。
ここが滅びてから、スラブ民族の移動が始まり、
スラブ系のいくつかの「公国」ができました。
その一つが「モスクワ大公国」で、後のピヨートル大帝が完成したロシア大帝国です。
その間キエフとモスクワの間では様々な軋轢を生みながらも
同民族同士で伝統的な歴史と文化を密接に持ちながら現在に至っています。
ところがです。
今、骨肉の争いなのです。
同様に、知らぬ間に日本の好戦派が米国に代わって代理戦争を始めるでしょう!
プーチンははかりごとに乗って世界中を敵に回した。
そのプーチン進攻の時は「昨日まで国民は平和にカフェで日常を楽しんでいたのが今日は火の海という悪夢」が起きました!
その悪夢がいきなりやってくることは、妄想として決して否定できません。
憲法改正(改悪)をさけぶ「統一教会自民党」は
国と国民を売る政党だから早急に交代が不可欠です。
「統一教会」が占拠する政党に、
国民が身を委ねることは売国と亡国の自殺行為です。