心向くまま徒然徘徊紀

思うままに思い、思うままに徘徊し追憶・追記を重ねていきたい。

戦争とは ③ 親子二代の栄光と悲哀! 

2019-06-11 14:50:54 | 文芸

団塊世代の栄光と悲哀!

戦後我々が被った被害は以上で終わったわけではない。


いわゆる戦後生まれ育った世代は

団塊の世代といわれ、
親とともに様々な大波小波に遭遇した。



赤子の時は親の乳の出が悪く常時栄養失調状態だったそうだ。

物心ついた頃も、食生活は貧しく味噌汁とたくわんだった。

たまに味噌汁の代わりに
だご汁が出た。


ミルクもなく、

「母にあなたたちは赤ちゃんの時は味噌汁で育ったよ!」

よく言われた。


小学生時代は運よく、

小4から転向した学校では給食があった。 

ミルクは脱脂粉乳であったが、

私にとっては最良のたんぱく質源であった。

友人の中には脱脂粉乳が大嫌いの子もいましたがね。

ショッパン(食パン)は二切れ有り、

副食として日替わりでクジラの肉の生姜煮とか、

野菜炒めのようなもの、

日によってはゼンザイ、

とバラエティーに富んでいた。




この団塊の世代は中学くらいになると、

金の卵」といわれみんなもてはやされていた。

これが高度成長時代の始まりだったのだろう。

近所のお兄さんがナショナルに就職できたと

大喜びしていたのを思い出します。



高校、大学の受験競争も学校数は少ないけれども


この世代の人数は歴史に記されているとおりだ。

競争率は毎年記録を更新していた。



優秀な人材も相対的に数多く輩出していたのだろう。

そういう中で40歳代の頃は、

「猛烈社員」と言う名がマスコミを賑わうようになった。



と同時に「過労死」という死者が激増したのもこの世代であった。

若くして
原因不明の死者がでて、それが過労死と命名されたのだ。


このようにしてできあがったのが高度成長社会であった。



戦後焼け野が原かだった我が国が、

世界でアメリカに次いで2番目の

経済力を誇るまでに駆け上ったのだった。


近年のノーベル賞ラッシュも

大概、団塊世代の成果が今実っているのだと思われる。



それがいよいよ定年を迎えるに至った今は

まるで厄介者を扱うように扱われはじめたのだ。



自分たちの長期的福祉政策・年金政策の間違い・見通しの甘さを


「団塊世代の人口が多すぎたから」だ。



と言うように問題をすり替えて、

マスコミの中で宣伝され始めたのだ。


どの世代が戦後の急速な高度成長時代を
担ったかを頬被りし、



子の時代に”金の卵”
ともてはやされ過労死を厭わず


猛烈社員と褒めそやされ、毎日長時間働き続けた。

にもかかわらず、

マイナスの側面だけにメスを入れ始めたのだ。





 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 散歩道の朝花―㉘ | トップ | 葵の華 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

文芸」カテゴリの最新記事