一つは拡大解釈が
いくらでもできるということです。
都合の悪いことは
隠そうと思えば
何でも隠せるということです。
戦前のように
国民の知らないうちに
戦争が始まったり、
イラク戦争のように
真実でないことを理由に
戦争が始まっても
あとで間違っていたことが
明らかになることがないことです。
したがって、
だれも
責任を問われないし、
責任を取ろうとせずに
平然としておれるということです。
また、
狙いが
この法案に
反対する運動を
テロと対比させて
「テロに匹敵するもの」と
政府要人が
ブログで非難したように、
合法的な示威活動を
対置させていることでもわかるように、
裏を返せば、
デモ行進などと
テロを等価で
対置して理解しよう(させよう?)
としていることです。
その解釈で行けば、
法案が
国会を通過し立法化すれば、
そのような秘密が暴露され、
そのようなデモが発生すれば、
その法律で弾圧すると
宣言しているようなものです。
テロは
陰に隠れて爆弾などで
大量の人々を抹殺する行為です。
合法的な集団行動が
(たとえ絶叫であっても)
どこでそのように結びつくのでしょう?
逆に、
集団的な示威行動は
歴史的に見れば、
非民主的な古代社会や
封建社会においては
国家の弾圧に対して、
反政府的な運動が
武力闘争に結びついて
発展していくことがあった。
そしてそれは
双方に悲惨で膨大な犠牲者が出た。
そのような可能性を防ぐために
言論の自由によって
平和的・民主主義的に運動が行え、
必要なときには
平和的に政府交代が行えるように
民主的な国民の選挙によって
政府が交代できるようになった。
これらのことを
憲法によって
民主主義を固く守り
暴発を抑え、
憲法によって保証することを
可能にしたということです。
(今日のウクライナの内戦状態は正常な民主主義的手法を
守らず謀略を利用して大衆を暴発させた典型ともいえます。
結果は親兄弟同士が殺し合う恐ろしい状態を生み出しています。)
このことによって
近代的で
進歩的な国家の成立が
現代において
日の目を見たということです。
ツウィッターによる
話題の発言は
人類の苦難に満ちた
国家のあり方の
歴史的発展をみようとしない
暴言としか言いようがありません。
幸い謝罪と訂正があり、
当面は問題はないようです。
しかし
現政権下で
「原発問題の逆行」、
増税や
福祉・教育の後退による
国民生活の悪化、
などを見るとき、
安閑としては居られないようです。
いけない法律とか 困った法律とか いろんなきまりが
あり、弁護士やマスコミやそれなりの人たちが騒ぎ立て
ないと国民も無関心・・・政治家もそしてそれを司る行政
のお役人さんも・・皆さん無責任ですから ・・・
公務員法やそれ以前の公法には手を付けずに・・それを
せずして全部に網をかける・・考えようによっては非常に
危険なことなんですが・・国民の選択した政治家の仕業
後になって、いつも後悔してダメを食らうのは庶民だけ
何がそうしているのか・・その本質の背景から治さない
といつまでも・・・変わらんでしょう。
落ちこぼれ婆さんが、沖縄に来て考えることが多すぎて、落ちこぼれてばかりはいられないと思うのですが。
これからあなた様のブログで学ばせていただきますね。ゆっくりの歩みですが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
今の国内事情の中では
どうしようもないですね。
民主党にそれを期待したのですが
全くダメでしたね。
敗北の総括文さえ公式に
発表していませんね。
そんなに格好いいものは
ありませんが一緒に考えてみましょうね。
いつでも遊びに来てください。