初めての京都の夏。覚悟はしていたが、ひどく蒸し暑い。10年以上前のこと、テキサスに越した6月は、アパートメントの共同郵便受けを往復する100m強を歩くだけで、暑さで息ができないと思ったものだ。あの暑さは数週間で慣れたが、今日のように起き抜けから湿度が高く、日中となると溶けるような京都の夏に、慣れる日は来るのだろうか。今日は夏越の祓。抱えていた仕事も昼過ぎに一段落したので、そんな暑さの中、茅の輪くぐりに行った。
上賀茂神社の夏越神事は10時から。これには全然間に合わなかったが、3時過ぎでも結構参拝客がいた。
母親に手を引かれた小さい子も、作法通りにくぐっている。左回り、右回り、左回り。右に見える看板には作法が記されている。「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶといふなり」と、心で唱えながら回るのだそうだ。千歳も伸びなくていいのに。
さきの歌の出典は『拾遺和歌集』というから、夏越の祓は平安時代には行われていた。無病息災・悪疫退散を祈願して。それどころか飛鳥時代、大宝律令(701年)で宮中行事と定められているとのこと。応仁の乱以降江戸時代まで途絶えるが、1691年に復活し、神社などで行われるようになったらしい。この茅の輪は、蘇民将来伝説による。祇園祭で売られる粽に「蘇民将来(之)子孫也」という護符がついているが、それと同じ。蘇民将来伝説(『備後国風土記』逸文)は、裕福な弟でなく貧しい兄(蘇民将来)にもてなされ、「後の世に疫病が起こらば、蘇民将来の子孫と言いて腰に茅の輪をつけたる人は免れなん」とスサノオが感謝したというものだ。祇園祭の粽は、「茅巻き」。
伝説を鑑みれば、「千歳の命」は、子孫が続くように、という意味なのだろう。
20時からは人形(ひとがた)流しがあり、人形や車形が、ならの小川に流される。百人一首にある「風そよぐならの小川の夕暮れは禊ぞ夏のしるしなりける」だ。当時は夕刻に行われていたのだろう。
私が行った時間には、橋殿の横に「京都ホテルオークラご一行・しばし京都人ご一行」用のテントが張られ、夜間の行事の準備がされていた。
6月晦日の夏越の祓と12月晦日の年越の祓は、ともに半年間の罪や穢れを取り除く行事であった。それだけでなく、6月のこの日は、平安時代、氷室に貯えていた天然の氷雪を天皇に献上させ、宮中で暑気払いをする日でもあったという。
京都には氷室跡がいくつか残り、「氷室町」などの地名もある。
京都市歴史資料館HP:http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ki049.html
夏に氷など、口にすることはおろか見ることもできなかったであろう庶民は、氷になぞらえた三角形の菓子を作り、それを食べて暑気払いをした。これが京都の6月の和菓子、「みな月」だ。
豆餅で有名な出町・ふたばへ、みな月を買いに行った。昔からある小豆、珍しい白小豆、大粒の緑豆が乗った抹茶味、黒砂糖味の4種類、カウンターに並んでいる。もう夕方だったので、黒砂糖は片手で数えるほどしか残っていない。お隣の西利まで行列が続き、最後尾の人まで、商品が残っているかなと、ちらっと思った。
上品な甘さという言葉がぴったりだろう。自分で作ったら、砂糖は2割増かな。2つ食べたら多いかと思ったが、甘みが控えめだったし、3つは食べられる。抹茶が濃くて好みの味だった。
店名の入ったプラスチックバッグは最近では珍しいほど厚手のもので、もっと薄くしたら経費節減になるのに・・・・・・と老婆心ながらそう思う。
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