都七福神まいり、6か所目は革堂行顔寺へ。開祖行円上人が自ら射て死に至らしめた鹿を悼んで、その鹿革の衣をいつも着用していたことから「皮聖(かわひじり)」と呼ばれ、皮聖のお堂であるから「革堂(かわどう→かうどう→こうどう)」となったのだとか。
寿老神【不老長寿】 革堂(行願寺)|日本最古 都七福神まいり
菊の御紋の幕のある本堂に参拝して御朱印をいただき、ほかのお堂も参拝する。
このお堂前に幟が立っており、寿老神をおまつりするのはここだとわかる。寿老神堂である。
寺の住所は、「寺町通竹屋町上ル行願寺門前町」 である。1004年創建当時は一条通小川にあったのを「度々の災火により寺地を転々とし、宝永五年(1708)の大火の後、当地に移され(上記HP)」たというから、1591年からの秀吉による都市改造とは関係がないのかもしれない。「行顔寺門前」の町名は、現在地の近くに移転したこともある名残とも考えられる(「門前」ではなく寺名が町名となるのが自然。つまり、大きな寺なら、所在地に寺の名を冠して「〇〇寺町」とし、門前には「〇〇寺門前町」となることが多い)。
地図によれば、現在地よりも50メートルほど東に「西革堂町」が見える。また、河原町今出川のすぐ西には「革堂内町」も。
一方、もとあった一条通小川には、現在の小川通を挟んで「革堂町」が、その西に「革堂仲ノ町」、さらに西に「革堂西町」がある。
町名が被らないよう苦心した跡がうかがわれる。
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