今宵の月食
睦月晦日は一月二度目の満月の
月食ショーにくぎ付けになりました(*^_^*)
「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」
なにやら聞き慣れない名ですが・・・
三年ぶりの月食だそうです
↓ここから下へ
前回は何処でみたのだったろうか・・・?
友人たちと晩秋の木曾駒千畳敷に遊び
麓の宿の露天風呂から仰いだ時も
今宵のような赤い月食だった記憶があるけれど。。。
そんな月食も終わりまた満月にもどっています
あと数十分後にはスーパー・ブルームーンにもどりますね。
睦月晦日は一月二度目の満月の
月食ショーにくぎ付けになりました(*^_^*)
「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」
なにやら聞き慣れない名ですが・・・
三年ぶりの月食だそうです
↓ここから下へ
前回は何処でみたのだったろうか・・・?
友人たちと晩秋の木曾駒千畳敷に遊び
麓の宿の露天風呂から仰いだ時も
今宵のような赤い月食だった記憶があるけれど。。。
そんな月食も終わりまた満月にもどっています
あと数十分後にはスーパー・ブルームーンにもどりますね。
清見寺へはもともとは長い石段を上って行ったようですが
明治の東海道線開通により総門と山門の間の
総門
山門
境内を電車が走る・・・と言うお寺でもあります。
静かなお寺の風情は開発の名のもとに大きく様変わりしてしまい
埋め立てにより浜までの様子も写真でしか
知ることができなくなってしまいました。
そんな清見寺さんの境内のお花などを見てみます。
咸臨丸碑 碑文は「食人食者死人之事(人の食を食む者は人の事に死す)」
高山樗牛文学碑「清見寺鐘声文」
大正天皇お手植えの百日紅
臥龍梅(家康公来遊の砌、清見関の梅を取らせて接樹したものと言う)
仏殿前の大蘇鉄
蝋梅
枝垂れ梅
このほか方丈裏手には国指定の名勝清見寺庭園や
仏殿左斜面の五百羅漢石像など 見どころがたくさんです
清見寺に行きたいと思ったのはかれこれ二十数年前のことです。
当時、私はある結社で短歌を勉強しておりました。
その結社の創刊者である方を先師とお呼びしておりましたが
その弟子である私の師が歌会の折などに よく先師のお歌を引き合いに出されては
歌の詠み方を説いて下さっていました。
その先師は万葉学者森本治吉であり、
歌集の最初の頁の旅の一連が清見寺で詠まれたものだったのです。
幾度もいくども読み返し、暗誦し 歌の流れの素晴らしさに浸りつつも
自己の内面を曝け出して詠む歌人の業のようなものをも感じていました。
そして
いつの日か清見寺ヘ行ってみたいと願うようになっていました。
しかし結社の内側ではさまざまな人間が歌を競うのではなく
ねたみや陰湿ないじめなどで常にごたごたが・・・
歌詠みとはこんなものなのかと思うような醜い面が多々あり
それらを身をもって味わうことになったり、
また良く解らない言葉遊びのような歌が増えて来ていて
私の頭ではそんな世界については行かれないと感じ
次第に短歌から離れてしまいました。
それでも清見寺のことや先師の清見寺の歌の一連は忘れられず
胸にくすぶり続けていたのでした。
そんなことがあっての今回の清見寺詣ででありました。
鐘楼
森本治吉短歌
清見寺さんよりのお借り画像
私の写真よりこの絵を見ながらの短歌鑑賞がより味わい深くなると思います。