
遠足
詠み人知らずの三十一文字(みそひともじ)に ・・・
今朝もまた箒(ほうき)とる手の楽しさよ
はかなくなりし人にくらべて
・・・ というのがあります。
「 はかなくなりし 」には
「 儚くなりし 」 ( 死んでしまった ) と
「 掃かなくなりし 」 の二つの意味を含ませています。
箒ときたから ・・・ こう受けたわけです。
死んでしまった人は 箒をとって庭をはくことも もはやできない。
そういう故人たちに比べてみたら
今朝もまた 生きて 目ざめて 庭はきができる楽しさ。
ああ 生きているとは
なんとありがたい うれしいことか ・・・
生きていること自体を よろこびとせよ
・・・ そう教えている歌だと思います。
「 手の楽しさ 」 という表現がいいですね~。
手こそは 人間の特性をあらわすものです。
その手をつかうことこそ ・・・ 生きていることのあかしです。
死ねば この手もなくなるんだゾ~ ・・・ ですよね。
「 箒とる手 」は 一つの例で
鍬をとる手
ペンをもつ手
箸をもつ手
子を抱く手
お尻をふく手
介護する手 ・・・ なんでもよいわけです。
その手に ・・・ 楽しさと感謝を見出します。
明日は知れぬから 今日の感謝 ・・・ といったところでしょうか。