負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

笑顔よし ・・・ 1.人の花

2014-05-11 20:16:59 | 原発震災避難者


回顧



笑顔よし人の花とや誰も好く


心は 眼に見えない内面の存在ですが

内面にのみこもっているわけではなく

形のうえにもあらわれるものです。

すなわち 表情に出るのです。


感情を表にださないのが達人である ともいわれますが

しかし

笑顔だけは大いにつくったほうがよい ・・・ と思います。


笑うことは 人だけの特権であるし

「 拳 ( こぶし ) は笑顔にあたらず 」 ともいいます。


それにしても

この句の 「 人の花 」 は ・・・ うまい表現ですね ~。







雨洗風磨 ・・・ 困難・困苦

2014-05-11 17:15:36 | 原発震災避難者


回顧



中国の文字すなわち漢字は 表意文字であるため

視覚的な美しさがあり かつ 意味が視覚的にとらえられる

・・・ そういう特長をもっています。


また

文字であると同時に 英語などにおける単語でもあります。

だから

字数のわりにたくさんの内容を表現することができます。


漢詩でいちばん短いのは 五言絶句 ( 二十字 ) でしょうが

内容からいうと 日本の短歌より長い。

だから

短歌や俳句をつくった日本人の感覚からいうと

これでも ・・・ ウットウシイぐらいです。


しかし 数個の漢字のみの羅列は 美しいし

日本人の簡潔ごのみにも合うといえます。


雨洗風磨 ・・・ 「 ウセン・フウマ 」 と読んでも

「 雨は洗い 風は磨く 」 でもよいでしょうね。


誰のコトバか知りませんが ・・・ 意味はいうまでもありますまい。

「 雨の日も 風の日も ・・・ 」 というように

「 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 」 とあるように

雨と風は

不愉快なこと 困難や困苦の象徴としてつかわれています。


そういう雨風によって

自分が洗われまた磨かれるというのでしょう。



・・・ 含蓄ある言葉ですね。







さらさらと水のごとく

2014-05-11 13:09:22 | 原発震災避難者


回顧



苦から逃げるのも ことさらこれを求めるのも

ともに ・・・ 自然にそむいています。


与えられた難局に

逃げ腰になるのでなく また ことさら力むこともなく
 
淡々とこれにあたって処理していく

それが ・・・ 理想であるような気がします。


はなはだむずかしいことで

私など とても実行できていませんが

そうありうるように ・・・ 努力はしているつもりです。



岩もあり木もありされどさらさらと

たださらさらと水はながるる


私は この歌がとても好きです。

愛唱歌のひとつとして しばしば口のなかで言ってみます。

困難に出あうとこれを口ずさんで 心を無にしようとするのです。


自然物でもって すべてを語った象徴的な表現と

淡々と流れるような調べがよい ・・・ と思います。


明治以降の作らしいですが くわしいことはわかりません。


岩があっても木があっても 水は逃げず また力まず

自然にさらさらと流れるだけで

そして 岩をも木をもこえていきます。


その無心さ 自然さ ・・・ 

人もこういうように ・・・ 岩木をこえてゆきたいと思います。



そう言えば かの 『 老子 』 も

「 人は水のようであれ 」 ・・・ と教えています。







感謝無限 ・・・ 平々凡々たる毎日

2014-05-11 10:08:35 | 原発震災避難者


回顧



平々凡々たる毎日がつまらなくて

「 なにか変わったことはないか ? 」

「 オモシロイことはないか ? 」

・・・ などと言ったり 空想したりする人がいます。


しかし ここで考えなおしてみれば

平穏無事であることほどありがたいことはありません。


その価値がわからなくてオモシロイことのみ求めるのは

感謝知らず ・・・ というものでしょうね。


日々の衣食住にこと欠かないだけでも

感謝無限

・・・ というべきほどにありがたい現実なのです。







本末転倒 ・・・ 心とすがた

2014-05-11 07:06:40 | 原発震災避難者


回顧



形こそ深山(みやま)がくれの朽木(くちき)なれ

心は花になさばなりなむ     ( 兼芸法師 )


古今和歌集に出ている歌で

詞書 ( ことばがき ) に

「 女どもの見て笑いければよめる 」 とあります。


・・・ 私の姿こそは
 
深山の奥に隠れている朽木のように 見るかげもなく醜いものだが

ご婦人がた そんなにお笑いめさるな。

心は花のように美しくしようと思えば

できないことはないでしょうからネ ・・・ 。



人はとかく他人を 表面的な姿 形で評価しようとします。

大切なのは中味である精神面なのに

そのほうはよく見ようとはせず

また読みとる眼力もとぼしいものです。


自分自身に関しても

表面的なものだけを飾り

内面の修養ということを怠りがちになります。



いつの時代においても 人とはそういうものでしょうが

物質主義 拝金主義の今の世において

・・・ そういう性向は 極まった感がありますね。