負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

古希 ( こき ) ・・・ 真意

2014-05-23 23:01:45 | 原発震災避難者


回顧



昔から 七十歳を ・・・ 「 古希 」 といいます。


古希とは ・・・ 古来稀 ( まれ ) という意味です。


これは 生きている人が

古来稀という意味ではありません。


ナニ今どき ・・・

軒並み七十歳くらいまでは生きていますから

・・・決して古来稀ではありません。



この古希ということの真意については

江戸時代の川柳に

「 七十にして立つ隠居古来稀 」 ・・・ というのがあります。


・・・ これなのですね。

これは 少なくとも男にとっては

身に答える事実であることは ・・・ 間違いありません。







いかに生きるか ・・・ いかに死ぬか

2014-05-23 20:00:58 | 原発震災避難者


回顧



人間 いかに生きるか ・・・ というテーマの裏側には

いかに死ぬか ・・・ という問題がかくされています。


「 死 」 という冷厳な事実を

だれもが将来に迎えるのは ・・・ いうまでもないことです。


「 生 」 をむさぼることに狂奔し バランス感覚を失うことで

私たちは 自分の進む方向を誤らないよう

・・・ 心がけたいものです。







交わりの世界 ・・・ ② 視点

2014-05-23 16:58:55 | 原発震災避難者


回顧



いうまでもなく

人はそれぞれ ・・・ 自分の視点で生きています。


視点は その人の生き方のパターンでつくられます。


自分の視点のみが正しくて

他の視点の存在を認められない人は ・・・ 孤独です。


同じ視点のものどうしが出会い

人間関係を形成することもありますが

偏った性格の世界となり ・・・ 排他性を帯びるものです。


そこからは ・・・ 健全な人間的成長は望めません。


ゆたかな交わりの世界を育てるには

多くの異なった視点とも共感しうる幅の広さ

あるいは 柔軟さがなければなりません。


だからといって

あちらの視点 こちらの視点と ・・・ フラフラするようでは

自らの主体性がなくなります。


しっかりした自分の 「 眼 」 をもちながらも

さまざまな視点と交流し

レーダーの性能を高めていかなければなりません。


しかし 日本人の一般的傾向として

同じムラ同士のものが肩を寄せあい

意識を閉じてしまうことがありますね。







交わりの世界 ・・・ ① 広げる

2014-05-23 13:58:13 | 原発震災避難者


回顧



人生がゆたかであるかどうかは ・・・

その人の交わりの世界が

どのていどのスケールかにかかっていると思います。


交わりの世界の貧しい人は

視点が それだけ狭く ・・・ 偏ってしまいます。

その人の意識が閉鎖的だから

そうなってしまうとも考えられますね。


「 類は友を呼ぶ 」 といわれるように
 
人は 無意識裡に交際の輪を広げていくと ・・・

よくもわるくも自分の波長に似たものと

交わりの世界をつくりあげる傾向をもっています。


よく じぶんのまわりにどうしてくだらない人がくるのだろう

と嘆く人がいますが ・・・

これなどは 自分で自分の首をしめることばです。


人は 自分のていどの人間関係しかつくれません。

それだけに うかつに生きていると

偏った世界のなかで お山の大将になる危険性がつねにあります。

それだけ 生きかたのレーダーが狂いやすくなるのです。


交わりの世界を広げるということは

たくさんの人の視点とつきあう ・・・ ことを意味します。







素直な心 ・・・ ② 心得ちがい

2014-05-23 05:56:47 | 原発震災避難者


回顧



問題となるのは

一般には 「 素直 」 に対する誤った捉えかたがあるということです。


たとえば かって 次のような相談を受けたことがあります。



私は 小さいときから

親や家族の者から ・・・ 素直な娘だといわれて育ってきました。

また 親戚の人からも そのように誉められ

私自身 他の姉妹とくらべると

素直だと思っていました。

年頃になって結婚し

いまも 当時とそれほど変わっていないと思うのですが ・・・

身体のこと 夫のこと 子供のことで ・・・ 大変悩んでいます。



・・・ お話を聞けば聞くほど 気の毒な身の上でした。


しかし この方は 根本的なところで

大きな心得ちがいをしておられると思わずにはおれなかったのです。


それはたしかに 人からもそう見られ

自分でもそう思うほどに 素直にふるまってきたかに受けとれるのですが ・・・

はたして 本心からそうしてきたのかどうかということです。


なぜなら 世間的に素直だといわれている人は

多くの場合 気が小さいために ・・・ 自己主張に乏しく

心の中では不満に思いながらも つい断ることができず

従順になってしまうというのが ・・・ 偽らざる姿のようであるからです。


ですから 人から無理をいわれたり イヤなことをされても

・・・ 形の上では受けいれます。

自分で完全に消化してしまえるならよいのですが

・・・ それは 例外的なケースといってよいでしょう。


結局 自分の 「 我 」 を押し殺す度合いが多いわけですから

ストレス過剰の ・・・ まったく窮屈で 不自然な人生を歩むことになります。


あの人は 人格者であるとか

円満な人柄の持ち主である ・・・ などといわれる方のなかには

むしろ こうした傾向の人が多い ・・・ といっても過言ではありませんね。


そしてたいていが身体をやられています。



これはむしろ ・・・ 自然に背いた生きかたなのです。