負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

息のはなし

2016-09-15 06:15:15 | 原発震災避難者


近隣



「 息をひきとる 」のは

まだ ・・・ 早すぎますなぁ~



「 ため息 」 「 もう一息 」 「 息をのむ 」

「 息が切れる 」 「 息巻く 」 「 息の緒 」

「 息が通っている 」 「 息をつく 」 「 息詰まる 」

など ・・・ 単に呼吸以上の

いいイキの通った言葉に出来上がっています


と同時に 「 息 」が「 生き 」だという事情も

・・・ よく伝えています



うまく使えば

「 息苦しく 」なった表現に

「 息を吹きかえ 」させるのも

・・・ 不可能ではありません


ところで ・・・

「 息む 」と書いて「 イキム 」なら

全身に力をこめて頑張るのだが

・・・ 「 やむ 」とも読みます



「 息 」には とかく

停まり 絶える ・・・ 不安がつきまといます



「 息長く 」・・・ ありたいものですなぁ~







腰のはなし 4

2016-09-14 23:18:19 | 原発震災避難者


近隣



まさに ・・・ 土俵に腰を下ろしては困るけど

相撲の取組で

「 腰を入れ 」

「 腰を引き 」

「 腰を振り 」

さらに

「 腰を割り 」

「 腰を捻(ひね)っ 」たりするのが

さまざまに勝負の駆け引きになっています


あげく

使い過ぎて

腰の病気や怪我で泣く力士は多い



「 ギックリ腰 」という厄介なのもあります


腰は ・・・ 彼らには

腕力より大事な

ことと次第で ・・・

まさに命取りになりかねない

・・・ 天与と鍛錬との賜物と言えます







腰のはなし 3

2016-09-14 16:24:11 | 原発震災避難者


近隣



放送を聞いていると

「 腰が高い 」

「 腰が低い 」

と ・・・ 煩雑に謗(そし)ったり 褒(ほ)めたりしている


要するに

闘う姿勢が守れるか 砕けるかの

・・・ 岐(わか)れ目でしょう



面白いといえば ちょっと気を惹(ひ)かれるのは

人間ないし 人物の場合にも

どっちかというと

「 腰の低い 」人が世に容(い)れられ

腰高 いや 頭の高い人の嫌われやすいこと

・・・ 理が有るわけですね







腰のはなし 2

2016-09-14 08:28:14 | 原発震災避難者


近隣



言うまでもなく ・・・

腰は 身体の半分にあり

上半身と下半身に分けています


しかも

身動きの ・・・ 要になっています。



ここが 強いか 粘れるか

または 弱いか 砕けるか

・・・ で

たしかに 体の勝負は左右されます



相撲 レスリング その他

およそ 力技やスポーツ一般に

この理屈は ・・・ 当てはまるでしょう


ことに 古来の相撲には

腰の強弱や 鍛錬の度合いが ・・・ ものを言うこと


相撲放送の解説者らが

口を酸っぱくして 説きに説いており

日本中の人が

もう いっぱし

その辺の ・・・ 通になっていますね







腰のはなし 1

2016-09-14 05:26:43 | 原発震災避難者


近隣



「 腰の物 」といって ・・・ すぐ分かる人は

年齢のいった人か

時代物の好きな人


それは ・・・ 刀


「 腰巾着(こしきんちゃく) 」

「 腰元 」

は ・・・ 歌舞伎の世界



コクではない ・・・

「 コシがある 」という


コクが

どちらかと言うと味わいの感覚なら

「 コシ 」の有る 無しは

・・・ ものの粘りに通じます


つまりは 「 粘り腰 」といったふうな

強度と関係がありそうです


たとえば

そば そうめん うどんの類を品評するのに

「 腰がある 」から ・・・ いいとか

「 ないか 」から ・・・ まずいとか



「 強腰にでる 」 「 弱腰になる 」のが

まさか 麺類の品定めから転じた応用とも思えませんが

そこには ・・・

明らかに通じ合った表現上の根が

認められていいでしょうね







身のはなし 6

2016-09-13 11:04:10 | 原発震災避難者


近隣



「 身ぐるみ剝ぐ 」なんてイヤだが

「 剥がれる 」のも ・・・ 真っ平です


お互いが

剥ぐ 剥がれるのギリギリへ

追い込まれずに済む程度の世であって欲しいものです



「 身代わりに 」に

十字にかかってくださる方も

見つかりようもない末世の悲しさ

「 身を守る 」のに絶対の集団保障も

望み薄になってきました



「 身も蓋もない 」話だが

「 身も世もなくな 」らぬ前に

まず 「 身近な 」ところから

一つ一つ体制の「 身勝手 」をチェックし

先手の勝負をかけざるをえない土壇場へ

もう来ているのだ ・・・ と

「 身にしみ 」て

・・・ 納得し合いたいものです







身のはなし 5

2016-09-13 08:08:33 | 原発震災避難者


近隣



なにかにつけ「 出身 」が問われ

身元調べが横行します


「 肩身が広い 」の 「 狭い 」の

「 身に余る 」のと ・・・

気にしながら暮らす人が

またまた やたら多くなりつつあります



ヌクヌクと いつも「 身銭を切ら 」ずに済む連中と

「 身を切る 」思いで

「 捨て身 」「 死に身になって働い 」ても

報われない者とが

相変わらずある現代日本なのに ・・・


怖いのは

それを一笑して 全く信じない気楽な人が

いわゆる ・・・ 知識人が多いことです







身のはなし 4

2016-09-12 22:20:54 | 原発震災避難者


近隣



「 身分 」という

厄介な「 身の程 」への分別があります


いろんな「 身勝手 」が

この分別の濫用から生まれてきます


「 身の上 」が

即ち 「 身上(しんじょう) 」「 身代 」の差になり

「 身の毛のよだつ 」生き地獄を

人間同士で実演しはじめます



「 身の者 」「 身内 」への「 身びいき 」が

複雑な「 コネ 」の世の中を形作って行きます







身のはなし 3

2016-09-12 17:54:50 | 原発震災避難者


近隣



「 身だしなみ 」 「 身づくろい 」

「 身じたく 」 「 身を入れる 」

「 身を以て・・・する 」

「 (相手の)身になる 」

「 身持ちをよくする 」

「 身につける 」 「 身を粉にする 」

「 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ 」

などと 思いつくまま拾ってみて

「 この身 」一つが ・・・

なかなか目に見え

手に触れているだけの「 からだ 」ではないと

・・・ 分かってきますね







身のはなし 2

2016-09-12 09:16:21 | 原発震災避難者


身辺



「 生身(なまみ)なンですからね! 」と

「 身にこたえる 」痛みに

顔をしかめる時があります


この「 生身 」感覚が

「 相身互い 」に もっと徹底するといいですね


かなりのトラブルが

未然に防げるでしょう



「 身にしみ 」 「 骨身にこたえる 」体験が

 互いに重なり合って来れば

そのために起きる争いより

避けられる争いの方が多いのだ

・・・ と思いたい


勇気から

用心から

情愛から

たとえ 臆病からであってもいい



時に「 身を引く 」という配慮や

「 身を慎しむ 」という思慮を

・・・ 働かせたいものですね


「 身構え 」

「 心掛け 」とは

本来 そういう気働きであっていいのではないでしょうか







身のはなし 1

2016-09-12 06:23:09 | 原発震災避難者


身辺



「 からだが元手 」という時の「 からだ 」には

「 こころ 」の働きも含まれています



「 命 」があり

「 生きとし生ける 」といわれる状態は

まともに「 からだが動い 」ている安心と切り離せません


その「 からだ 」は

漢字では 普通「 身 」と書き表しています


「 心身 」と対に考えています

「 身命 」ともいいますね



同じ「 からだ 」でも

「 肉体 」に比べ「 身体 」は

より多く広く 深い意味に関わっているように見えます







自立した老いを生きる 2

2016-09-11 18:14:51 | 原発震災避難者


身辺



老人福祉を充実することは

もちろん 必要です


しかし それだけでは

サービスに依存する人格を作るばかりで

誇り高い老人はつくれません



肝心なのは

老いても 自分自身の人生を楽しみ

・・・ 自立することです


そのためには

まず 生活習慣病(成人病)についての冷静な認識をもち

自分のからだは自分で管理していく能力を ・・・ 身につけたい


それに加えて

精神に老化を自覚的に見つめつつ

死ぬ ・・・ その日まで

常に社会参加をする姿勢

学ぶ姿勢を ・・・ 持ち続けたい


このようにして

自立することが ・・・ すなわち 健康なのです







自立した老いを生きる 1

2016-09-11 10:56:41 | 原発震災避難者


身辺



高齢化社会というのは

本来なら 長寿者の多い

いわば おめでたい社会なのに

思い浮かべる老人像は

たえず体の不調を訴え

病院へ通う以外に行くべき場所もなく

自分の時間も楽しめない

孤独な姿ばかり ・・・



人生の裏表を知り尽くして

生き生きと自適する長老というイメージからは

ほど遠く ・・・

高齢化社会という言葉じたい

老いて 活動が停滞してしまった社会

・・・ という印象を受けてしまいます



競争社会では

第一線を退くことを意味する“老い”は

敗北とみなされてしまうのです







老・病・死のはなし 4

2016-09-10 19:54:35 | 原発震災避難者


遠足



「 死に急ぐなよ 」

「 死んで花実が咲くものか 」

まだ「 死に体 」じゃない

「 犬死するな 」とは ・・・

生きるに苦労の少ない人の

気楽な励ましのようにも思えます


励まし合って ・・・ 生き延びるしかありません



よく生き抜いてしか

「 死にざま 」は ・・・ 飾りようがありません



私なども 頻繁に

「 余命 」ということを考えます


「 必死に 」に

「 死に花を咲かす 」より

サッパリした「 死にぎわ 」を迎えたいものです







老・病・死のはなし 3

2016-09-10 16:59:16 | 原発震災避難者


遠足



病気に関わる言葉は ・・・

「 盲点 」 「 盲目的 」

「 盲愛 」 「 文盲 」

など すっかり日常化しています


「 脚気(かっけ) 」は どうでしょう


「 頭痛の種 」 「 つんぼ桟敷 」や

「 オシになる 」 「 腫(は)れものに触る 」

「 腹を痛める 」 「 胸を痛める 」

「 気に病む 」など ・・・

いろいろありますねぇ~



最近のものでは

「 五月病 」 「 ほとんどビョーキ 」

というのが面白い


特にアトのは

批評語として

「 面白い 」なみに ・・・ 使えます


「 あれはアイツの病気さ 」

「 悪いビョーキだよ 」

といった半畳*も

近代以後の愉快な発明かに思われますね



*他人の言動に対して まぜかえし・からかいの言葉を発すること