現在は衣替えと言ってもしっくりこないが、江戸時代は陰暦四月一日に夏衣とした。初袷は綿入れなどを脱いで袷を初めて着ることを言う。前書には「小児の行く末を祝して」とあり去年の袷を着せてみると、すっかり裄丈が短くなっている。ずいぶん成長したからである。(てんつるてんは)着物の丈が短くて手足が出ているさま。俗語によって喜んでいる親のさまが、現れているもの。
ある小学校で先生が「雪が解けたらどうなりますが」と問いかけた。ほとんどの子が水になりますと答えるなかで一人の少女が「春が来て暖かくなり、お花がいっばい咲きます」とにこやかな顔で答えた、、。独創性に満ちた豊かな感性を感じる。
知性は言うまでもなく知識の多寡ではなくて、人それぞれの持つ知識と常識が組み合わさり融合されて身に付くものと考える。そして、それは学校で知識を授かる通り一編の教育だけでは身に付かない。知識を基に創造力を養い精神の働きを高める努力が必要になる。
最近の道徳観念の喪失や人を思いやることえの無関心さ、また、他人を裏切り踏みにじっても平然と生活できる浅ましさなどは知性が葬りさられた現象ではなかろうか。お金を儲けるすべにはたけていても人の心を知らない、
いわいる知性をおろそかにしている今の社会は、物は満たされても成熱した社会とは思えない幼稚さを残している。人々が寄り添って生きる社会では知性が常に光彩を放っていなければならないと思う。 地方新聞より