仕事はしたくない、したくない心だから何も出来ない。簡単な事でも何倍もの時間がかかる。料理などは全く出来ない、出来なくても当たり前の心、 コンビニに行けば困らないが毎回行くのが面倒だから、冷凍食品を冷蔵庫に詰めておく、親の前では子供と旦那を盾に使う、何もしないことではない、考えは出来ている、こどもを遠くの幼稚園に入れ、中学校卒業まで車で送り迎えの計算。
親の迎えのない子供は先生の言うことを良く聞いて帰り、そして帰って親に話す。だが、授業さえ終われば其処に親がいるから真剣に聞く必要がない、子供の出来ることを親がやってしまう。子供が出来ない手作りの物を与えたり、子供と外で遊ぶなど、しんどいことはしたくない。 それでいて専業主婦の名を使う。現在ニートと呼ばれる人は80万人という、この人達の言い分は、、
国が悪い、政治が悪い、働く気持ちは有るが自分にあった仕事がない。人には迷惑掛けてないから良いでわないか等と言っている。確かに親のすねをかじっているものも多い現状、それはそれで何も言わない、そんな人に仕上たのはその親だからだ。人に迷惑を掛けてない?、そんなことはない、働いて税金を納めその税金で道路や公共施設を作り管理している。それを分け隔てなく利用している。
また車で道を走っていても相手がよけて道を譲ってくれることも有ろう、そんなことは当たり前の気持ちが迷惑を掛けてないと言う言葉になる。それに自分に合った仕事?そんなものない。面白くなくても嫌なことがあっても一生懸命仕事に精を出している人は大勢いる。
大学を出て三キロ仕事などはやる気がない、住職や神主など修行のいるものはしたくない、国が悪い政治が悪いなどと言う、政治が悪ければ良くすればいい若いエネルギーで80万人の力は大きく動く力になるはず。徳島県の人口でさえ80万だから、、私が大変なことになると思うのは先に書いた、専業主婦を名乗る人だ。
自分のことだけならいい、其処いる子供の将来まで潰していることに気づいてほしい。厳しくても自分で生きていける人間に育てるのが親の義務だと思う。それには男子なら働くことを教え、女子なら料理を教えておこう、人間生きていくためには食べなければならないからだ。食糧難が来るのもそう遠い事ではないと思うから。