≪峠旅・南飛騨 観音峠から蓮坂峠へ!≫
霊峰御岳の山麓には魅力的なエリアが点在している。東の開田村、南の王滝村、北の高根村、西の小坂町。町村合併で消えたところもあるが、何度訪れても感動できる場所でもある。今回は地図にもあまり記載されていない観音峠と蓮坂峠を4人で訪れてみた。
車を下呂温泉のど真ん中、飛騨川(金山以北を益田川とも言う)の河川敷に停める。先ずは旧の旅館街を抜けて「ふるさとの杜」へと上がる。日曜の朝でもあり、下呂に宿泊したと思われる観光客が朝市に群がっていた。ここには白川郷から移築された合掌作りの民家が数戸建てられていた。
縄文橋の辺りより下呂萩原線の林道に入る。杉林の合間から朝日が指し込む下をひたすら上に上がって行く。下呂の町並みが遥か下に見えるころ、大林の集落に着く。ここは山腹に数戸が建つ隠れ里みたいな場所であった。道を確認するため、民家に声を掛けると、わざわざ主が道まで降りてきて丁寧に教えてくれた。都会では味わえない人情である。
道は更に上部へと上がり、何度も脇道に迷いながら小坂方面の看板を見付ける。幾つものカーブを経て高度を上げると前方に紅葉した稜線が見えて来た。その最奥が峠のようだ。時より道に転がる糞を見付けては熊ではないかと噂をする。多分、それは猿のモノのようだった。
観音峠は標高1200m、昭和62年に農免峰越連絡林道下呂小坂線として完成したという。ここはツバメやヒヨドリ、サシバやハチクマといったワシタカ類が秋になると南方へ渡って行くのが観察出きるそうだ。なかにはアサギマダラという渡りをする蝶を見ることもあるという。
観音像を奉る立派な峠碑を後にして小坂方面への下りに入る。ここより道はダートとなり、砂利の浮石に注意しながら自転車を進める。同行のKさんはロード専門のトライアスリート、不慣れなMTBに四苦八苦しているようで気の毒であった。
小坂側は今も広葉樹林が残り、始まりかけた紅葉が美しい。荒れた路面は徐々に安定してきて走りやすくなる。斜度が緩くなった辺りよりは余裕も出て来て、周りの景色を楽しみながら写真を撮る。林道と平行する大洞川はそれほどの渓谷でもなく、穏やかな流れが眼下に望めた。
峠名の由来となる観音滝は見過ごしてしまったようだ。ここは観光地でもなく、案内の看板もなかった。この道路はかつての小坂営林署の森林鉄道の軌道跡のようで、道の各所で廃レールを活用した構造物を見る事が出来た(菊水橋の手前では石造りの橋台が今も残っていた)。
鹿山の集落に出たところで林道は終わり、完全舗装の道を走って湯屋温泉へ向かう。ここの開湯は室町時代とか、二酸化炭素を含む炭酸泉で、温度は25度前後。別名サイダー泉とも言うらしい。道路端に設えられた湯飲み場で未体験のサイダー泉を味わった。
落合で小坂川に出会い、左折してJR高山線小坂駅へ向かう。ひなびた駅のベンチで昼食を取り、更に益田川の右岸を南下して上呂を目指す。ちなみに中呂という地名もある。
萩原町野上より馬瀬の中切へ越える蓮坂(地図の表記は連坂)峠(900m)へ向かう。この林道は平成7年に完成し、現在、萩原側は舗装されたが馬瀬側は今も酷いダート道であった。
午前中の峠越えで脚のパワーを使い果たしたのか、快調に飛ばすUさんやKさんに徐々に離される。時より自転車を止め、水分補給と脚のストレッチを試みる。何とか元気を取り戻し、先行する二人を追いかける。Hさんは少し後方のようだ。
峠に4人が揃い、今日の峠旅を振りかえって話しに花を咲かせる。かつてこの峠は馬瀬の住人が生活道路として頻繁に通ったという。峠の地蔵さんが二つ、石室の中に奉ってあった。
荒れたダートの下りに注意しながら馬瀬へ下りる。時間はすでに午後3時を回り、タイムオーバーのために当初計画の柿坂峠は諦めた。馬瀬より萩原へ抜ける日和田トンネルを抜け、更に益田川沿いに下って下呂温泉へと戻った。
日本の隅々まで舗装された現代において、ダートの峠道は貴重である。そこを走ることは大変な労力と忍耐力を必要とするが、何か身体の奥に眠っている野生が甦るようで嬉しい。幸い、岐阜県にはまだまだ未舗装の林道が多くあり、今後もワイルドな峠旅を楽しみたいと思っている。
霊峰御岳の山麓には魅力的なエリアが点在している。東の開田村、南の王滝村、北の高根村、西の小坂町。町村合併で消えたところもあるが、何度訪れても感動できる場所でもある。今回は地図にもあまり記載されていない観音峠と蓮坂峠を4人で訪れてみた。
車を下呂温泉のど真ん中、飛騨川(金山以北を益田川とも言う)の河川敷に停める。先ずは旧の旅館街を抜けて「ふるさとの杜」へと上がる。日曜の朝でもあり、下呂に宿泊したと思われる観光客が朝市に群がっていた。ここには白川郷から移築された合掌作りの民家が数戸建てられていた。
縄文橋の辺りより下呂萩原線の林道に入る。杉林の合間から朝日が指し込む下をひたすら上に上がって行く。下呂の町並みが遥か下に見えるころ、大林の集落に着く。ここは山腹に数戸が建つ隠れ里みたいな場所であった。道を確認するため、民家に声を掛けると、わざわざ主が道まで降りてきて丁寧に教えてくれた。都会では味わえない人情である。
道は更に上部へと上がり、何度も脇道に迷いながら小坂方面の看板を見付ける。幾つものカーブを経て高度を上げると前方に紅葉した稜線が見えて来た。その最奥が峠のようだ。時より道に転がる糞を見付けては熊ではないかと噂をする。多分、それは猿のモノのようだった。
観音峠は標高1200m、昭和62年に農免峰越連絡林道下呂小坂線として完成したという。ここはツバメやヒヨドリ、サシバやハチクマといったワシタカ類が秋になると南方へ渡って行くのが観察出きるそうだ。なかにはアサギマダラという渡りをする蝶を見ることもあるという。
観音像を奉る立派な峠碑を後にして小坂方面への下りに入る。ここより道はダートとなり、砂利の浮石に注意しながら自転車を進める。同行のKさんはロード専門のトライアスリート、不慣れなMTBに四苦八苦しているようで気の毒であった。
小坂側は今も広葉樹林が残り、始まりかけた紅葉が美しい。荒れた路面は徐々に安定してきて走りやすくなる。斜度が緩くなった辺りよりは余裕も出て来て、周りの景色を楽しみながら写真を撮る。林道と平行する大洞川はそれほどの渓谷でもなく、穏やかな流れが眼下に望めた。
峠名の由来となる観音滝は見過ごしてしまったようだ。ここは観光地でもなく、案内の看板もなかった。この道路はかつての小坂営林署の森林鉄道の軌道跡のようで、道の各所で廃レールを活用した構造物を見る事が出来た(菊水橋の手前では石造りの橋台が今も残っていた)。
鹿山の集落に出たところで林道は終わり、完全舗装の道を走って湯屋温泉へ向かう。ここの開湯は室町時代とか、二酸化炭素を含む炭酸泉で、温度は25度前後。別名サイダー泉とも言うらしい。道路端に設えられた湯飲み場で未体験のサイダー泉を味わった。
落合で小坂川に出会い、左折してJR高山線小坂駅へ向かう。ひなびた駅のベンチで昼食を取り、更に益田川の右岸を南下して上呂を目指す。ちなみに中呂という地名もある。
萩原町野上より馬瀬の中切へ越える蓮坂(地図の表記は連坂)峠(900m)へ向かう。この林道は平成7年に完成し、現在、萩原側は舗装されたが馬瀬側は今も酷いダート道であった。
午前中の峠越えで脚のパワーを使い果たしたのか、快調に飛ばすUさんやKさんに徐々に離される。時より自転車を止め、水分補給と脚のストレッチを試みる。何とか元気を取り戻し、先行する二人を追いかける。Hさんは少し後方のようだ。
峠に4人が揃い、今日の峠旅を振りかえって話しに花を咲かせる。かつてこの峠は馬瀬の住人が生活道路として頻繁に通ったという。峠の地蔵さんが二つ、石室の中に奉ってあった。
荒れたダートの下りに注意しながら馬瀬へ下りる。時間はすでに午後3時を回り、タイムオーバーのために当初計画の柿坂峠は諦めた。馬瀬より萩原へ抜ける日和田トンネルを抜け、更に益田川沿いに下って下呂温泉へと戻った。
日本の隅々まで舗装された現代において、ダートの峠道は貴重である。そこを走ることは大変な労力と忍耐力を必要とするが、何か身体の奥に眠っている野生が甦るようで嬉しい。幸い、岐阜県にはまだまだ未舗装の林道が多くあり、今後もワイルドな峠旅を楽しみたいと思っている。