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輪旅 山梨の桃源郷へ!!その1

2009-04-20 22:08:36 | 自転車旅
《輪旅 山梨の桃源郷へ!!その1》

 甲斐の国、山梨といえば武田信玄。その足跡を辿って山梨を訪れてきた。

 新府城跡・・・信玄の後継者、勝頼が最後の砦として城を築くが、信長や家康の攻撃を受け、未完に終る。こののち、勝頼は自害したという。現在の城跡は神社となり、北側に広がる景色は素晴らしかった。

 新府桃源郷・・・噂には聞いていたが、桃の花が一斉に開いた畑は、まさしく桃源郷であった。一面がピンクに染まり、その背景には、雪を被った八ヶ岳や南アルプスが・・・最高のロケーションであったことは云うまでもない。


(新府桃源郷と八ヶ岳)

 県道17号を北上する。適度な田舎道で、サイクリングには持って来い・・・左手には、鳳凰三山や甲斐駒が大きく望まれる。伝統的な山梨の家屋も残っていた。

 花水坂を下り、台ヶ原宿へと向かう。ここは、かつての甲州街道の宿であったとか。歴史的な建物も残り、見応えがある。特にお勧めは名酒「七賢」の山梨銘醸。その建物自体も凄く、伝統の重みがひしひしと伝わってくる。

 日本酒とくれば、次はウィスキー・・・サントリーの白州ディスティラリーは近いが、次回のお楽しみとする。


(山高神代桜)

 日本の三大桜といえば、根尾の淡墨桜、福島の三春滝桜と山梨の山高神代桜とか(Wikipediaでは議論中に!?)樹齢2000年と云われる実相寺の老木は、枯れ死寸前までいったとか・・・その太い幹には、人間には真似の出来ないオーラが漂っていた。背景の甲斐駒がまた素晴らしかった。


(神代桜と甲斐駒ヶ岳)

 次に訪れたのが、萬休院の舞鶴松・・・人出の少なさにいぶかるが、その結果は意外であった。鶴が舞うように枝を広げた松は、何と三年前に松くい虫の被害で枯れ死したという。桜と松、その対比が楽しみだったのだが・・・

 次に訪れたのが、徳島堤(とくしませぎ)。今から300年前に造られたという灌漑用水を訪れてみた。釜無川に架かる穴山橋の上流から取水された水は、甲府盆地の西側の山裾を南に流れていた。ちょっとした高台となる用水路沿いの道は、絶好のサイクリングロードで、正面には富士山が・・・左手には甲府盆地が・・・振り返れば八ヶ岳がという絶好のロケーションであった。

 途中、人だかりにつられてゆくと、桜の大木が田んぼの真ん中にポツンと・・・「王仁塚の桜」というそうだ。最近のブームか、無名な一本桜に人気があるそうで、シニアのカメラマニアが殺到していた。背景の八ヶ岳を入れて撮るのが定番?とか。

 その先に武田八幡神社があった。潜れない?鳥居と門の横を抜け、武田菱の幕が張られた本殿にお参りをした。

 翌日、先ず訪れたのが甲府城跡(舞鶴城)。江戸時代、武田一族の支配下にあった甲斐の国を、徳川義直(徳川御三家、尾張徳川家の始祖)が統治したという。その石垣は立派で、天守台から眺める甲府の町は必見である。

 次に、信玄の居城「躑躅ヶ崎館」に向かう。「人は城 人は石垣 人は堀. なさけは味方 あだは敵なり」信玄は、多大な労役を伴う城造りはせず、質素な館を城にしたという。しかし、それなりの堀はあったが・・・

 信玄といえば、風林火山。武田軍の旗指物(軍旗)に記された「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山 / 疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、動かざること山の如し」はあまりにも有名である。近くにある信玄墓にも寄ってみた。

フォトアルバム
http://album.pentax.jp/166909111/albums/75731/
動画
http://zoome.jp/nosanjin/diary/18/

続きは、その2へ・・・