《輪旅 稲倉峠・保福寺峠・三才山峠・武石峠を訪れる!!》
信州の自転車旅の楽しみといえば峠越え・・・四つの峠を訪れて来ました。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=3e9329a1aab215c3f0fd0016a5276d22
奈良時代の官道、東山道・・・平城京の都より65くらいあった地方の国へ赴任する国守が通った道でもあり、大宰府へ赴く防人も通ったはずです。現在の松本から上田へ越える街道・・・稲倉(しなぐら)峠から保福寺峠へと向かいました。
保福寺峠・・・日本アルプスの命名者、明治24年8月、英国人のウォルター・ウェストンがこの峠を上田側から越え、峠から眺めた飛騨山脈を見て日本アルプスと名付けたという。ここより折り返して「林道蝶ヶ原線」へ向かう。ほとんどが未舗装の荒れた道で、ところどころ岩盤がむき出しになっていて苦労をさせられます。三才山峠付近・・・はるか下に国道254号の三才山トンネルへ向かうトラックが豆粒のように見下ろせました。更に上って武石峠へ・・・。
武石峠の標高は1835m、美ヶ原林道は冬季閉鎖になっているようで、貸切状態で美鈴湖までの豪快なダウンヒルを楽しむことが出来ました。ただし、冷え込みは真冬のようでしたが・・・
画像はこちらから・・・
http://gallery.nikon-image.com/110885861/albums/2182262/
奈良時代の官道、東山道が通っていたという稲倉(しなぐら)の集落より走り始める。道祖神と並んで古い道標が今も残っていた。先ずは稲倉峠へ・・・気温は低いものの天気は快晴で気持ちがよい。九十九折の道をぐんぐんと上がっていった。峠・・・当然、当時の面影はない。
四賀村の錦部に下り立ち、右折して下条良本豊科線へ入る。この道は二度ほど走っており、安心して保福寺峠を目指した。集落を過ぎ、静かな山の中を黙々と走って行くと、前方に軽トラが・・・なんとその荷台にはイノシシの死骸が・・・今日の朝、撃ったと猟師が言っていた。その凄まじい光景に尻込みし、この先の道中に不安がよぎった。
(東山道・保福寺峠にて)
保福寺峠・・・ウェストンの碑の前で休憩を取り、腹ごしらえをする。晴れていれば北アルプスが望めるはずであるが、厚い雪雲が覆っていた。ここも東山道・・・いつかは東山道を辿って陸奥の国まで行ってみたいと思う。
(三才山峠付近の烏帽子岩)
蝶ヶ原林道へ入る。行き成りのダートで、気が引き締まる。あまりクルマは入らないようで、路面は荒れている。MTBのサスペンションに助けられ、快適に先へ進む。幾つかのカーブを過ぎると左の眼下に国道が・・・大きなトレーラーも小さく見える。国道254号の三才山トンネルを抜け、丸子町へ向かう道のようだ。
三才山峠を過ぎ、更に進むと右手に烏帽子岩が見えてくる。その形は観音像のようにも見え、気持ち心が落ち着いた。武石峠はまだまだ先のようだ。
(美ヶ原林道・渋池にて)
美ヶ原公園西内線と合流するが、この道は閉鎖されていた。ここよりは舗装路になるが、まだまだ上りのようだ。泣きたくなるような道であった。美ヶ原公園沖線に出会うが、ここは武石峠ではなさそうだ。地図の表記が間違っている・・・更に上がって美ヶ原林道との出会いに着く。ここには立派な峠の碑があった。
最後、ザックに入っている全ての衣料を着込み、ダウンヒルへと入る。道は二車線幅で、クルマは全く来ない。思う存分、自転車を飛ばした。(この林道は11月26日で冬季閉鎖になっていた)
渋池、美鈴湖と立ち寄り、無事に稲倉のデポ地へと戻った。
信州の自転車旅の楽しみといえば峠越え・・・四つの峠を訪れて来ました。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=3e9329a1aab215c3f0fd0016a5276d22
奈良時代の官道、東山道・・・平城京の都より65くらいあった地方の国へ赴任する国守が通った道でもあり、大宰府へ赴く防人も通ったはずです。現在の松本から上田へ越える街道・・・稲倉(しなぐら)峠から保福寺峠へと向かいました。
保福寺峠・・・日本アルプスの命名者、明治24年8月、英国人のウォルター・ウェストンがこの峠を上田側から越え、峠から眺めた飛騨山脈を見て日本アルプスと名付けたという。ここより折り返して「林道蝶ヶ原線」へ向かう。ほとんどが未舗装の荒れた道で、ところどころ岩盤がむき出しになっていて苦労をさせられます。三才山峠付近・・・はるか下に国道254号の三才山トンネルへ向かうトラックが豆粒のように見下ろせました。更に上って武石峠へ・・・。
武石峠の標高は1835m、美ヶ原林道は冬季閉鎖になっているようで、貸切状態で美鈴湖までの豪快なダウンヒルを楽しむことが出来ました。ただし、冷え込みは真冬のようでしたが・・・
画像はこちらから・・・
http://gallery.nikon-image.com/110885861/albums/2182262/
奈良時代の官道、東山道が通っていたという稲倉(しなぐら)の集落より走り始める。道祖神と並んで古い道標が今も残っていた。先ずは稲倉峠へ・・・気温は低いものの天気は快晴で気持ちがよい。九十九折の道をぐんぐんと上がっていった。峠・・・当然、当時の面影はない。
四賀村の錦部に下り立ち、右折して下条良本豊科線へ入る。この道は二度ほど走っており、安心して保福寺峠を目指した。集落を過ぎ、静かな山の中を黙々と走って行くと、前方に軽トラが・・・なんとその荷台にはイノシシの死骸が・・・今日の朝、撃ったと猟師が言っていた。その凄まじい光景に尻込みし、この先の道中に不安がよぎった。
(東山道・保福寺峠にて)
保福寺峠・・・ウェストンの碑の前で休憩を取り、腹ごしらえをする。晴れていれば北アルプスが望めるはずであるが、厚い雪雲が覆っていた。ここも東山道・・・いつかは東山道を辿って陸奥の国まで行ってみたいと思う。
(三才山峠付近の烏帽子岩)
蝶ヶ原林道へ入る。行き成りのダートで、気が引き締まる。あまりクルマは入らないようで、路面は荒れている。MTBのサスペンションに助けられ、快適に先へ進む。幾つかのカーブを過ぎると左の眼下に国道が・・・大きなトレーラーも小さく見える。国道254号の三才山トンネルを抜け、丸子町へ向かう道のようだ。
三才山峠を過ぎ、更に進むと右手に烏帽子岩が見えてくる。その形は観音像のようにも見え、気持ち心が落ち着いた。武石峠はまだまだ先のようだ。
(美ヶ原林道・渋池にて)
美ヶ原公園西内線と合流するが、この道は閉鎖されていた。ここよりは舗装路になるが、まだまだ上りのようだ。泣きたくなるような道であった。美ヶ原公園沖線に出会うが、ここは武石峠ではなさそうだ。地図の表記が間違っている・・・更に上がって美ヶ原林道との出会いに着く。ここには立派な峠の碑があった。
最後、ザックに入っている全ての衣料を着込み、ダウンヒルへと入る。道は二車線幅で、クルマは全く来ない。思う存分、自転車を飛ばした。(この林道は11月26日で冬季閉鎖になっていた)
渋池、美鈴湖と立ち寄り、無事に稲倉のデポ地へと戻った。