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輪旅 保津峡から嵯峨野、下鴨神社を訪れる!!

2007-09-09 21:48:33 | Weblog
《輪旅 保津峡から嵯峨野、下鴨神社を訪れる!!》

 これは私の個人的趣味、天皇陵巡りのリポートです。興味のない方はパスされることをお勧めします。

 JR山陰線保津峡駅に降り立つ。鉄橋の上に駅があるというのも珍しいが、直ぐ下が保津峡で眺めが良いのも感動的である。

 自転車を組み立て、小さな谷を遡って水尾を目指す。嵐山から4キロほどしか離れていないのに、そこはまったくの山中で、車一台がやっとの道を辿っていった。

 京都市右京区水尾、人口は160人で、かつては丹波と山城をつなぐ重要な道として賑わったという。ゆずの産地でもあり、今もゆず風呂などが楽しめるという。

 水尾といえば第56代清和天皇の隠居地でもあり、天皇陵もここに設けられた。小川を渡り、15分ほど登ったところに陵墓はあった。

 第56代清和(せいわ)天皇陵:在位は858~876、父は文徳天皇。陵墓名は水尾山陵。清和源氏の祖でもある。

 次に嵯峨野を目指す。トロッコ列車の走る保津川沿いに下ってゆくと六丁峠に出会う。そこを下りたところが嵯峨野。街道に沿って古風な民家が並び、土産物屋街になっていた。

 第52代嵯峨(さが)天皇陵:在位は809~823、父は桓武天皇。陵墓名は嵯峨山上陵。陵墓は嵯峨野の北に位置し、山の中腹にあった。市内の眺めが良いことは言うまでもない。

 大覚寺の北を東に進む。この辺りは田園地帯で、とても京都とは思えない景色が広がっていた。その先に後宇多天皇陵はあった。

 第91代後宇多(ごうだ)天皇陵:在位は1274~1287、父は亀山天皇。陵墓名は蓮華峯寺陵。在位中に元寇があった。

 広沢の池を通って次を目指す。

 第55代文徳(もんとく)天皇陵:在位は850~858、父は仁明天皇。陵墓名は田邑陵。民家のところより階段を上がり、左下にため池を見ながら、その奥に陵墓はあった。

 福王子の交差点を北へ向かう。

 第64代円融(えんゆう)天皇陵:在位は969~984、父は村上天皇。陵墓名は後村上陵。藤原氏の勢力争いに翻弄されたという。

 第62代村上(むらかみ)天皇陵:在位は946~967、父は醍醐天皇。陵墓名は村上陵。平安文化を開花させた天皇といわれる。

 仁和寺の角を曲がって坂を上って行く。かなり上がった山中に陵墓はあった。

 第59代宇多(うだ)天皇陵:在位は887~897、父は光孝天皇。陵墓名は大内山陵。菅原道真の栄華盛衰は宇多天皇とともにあったという。

 次に竜安寺へ向かう。天皇陵は駐車場の奥から入ったところであった。

 第69代後朱雀(ごすざく)天皇陵:在位は1036~1045、父は一条天皇。陵墓名は円乗寺陵。主導権は藤原一族にあったとか。

 第70代後冷泉(ごれいぜい)天皇陵:在位は1045~1068、父は後朱雀天皇。陵墓名は円教寺陵。宇多天皇以来170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇が出現し、栄華を極めた藤原氏の 没落がはじまり、歴史は「武士の時代」へと移行してゆく。

 第71代後三条(ごさんじょう)天皇陵:在位は1068~1072、父は後朱雀天皇。陵墓名は円宗寺陵。荘園整理令の発布などをしたという。

 第66代一条(いちじょう)天皇陵:在位は986~1011、父は円融天皇。陵墓名は円融寺北陵。清少納言や紫式部、和泉式部がこの頃に活躍した。

 第73代堀河(ほりかわ)天皇陵:在位は1086~1107、父は白河天皇。陵墓名は後円教寺陵。天皇は、和歌、音曲、文芸にいそしんだという。

 第78代二条(にじょう)天皇陵:在位は1158~1165、父は後白河天皇。陵墓名は香隆寺陵。1159年、「平治の乱」が勃発した。

 第65代花山(かざん)天皇陵:在位は984~986、父は冷泉天皇。陵墓名は紙屋上陵。在位中は銭貨の流通を図り、荘園の増大を抑制するなど積極的な政治を行った。

 第67代三条(さんじょう)天皇陵:在位は1011~1016、父は冷泉天皇。陵墓名は北山陵。大文字山のすぐ麓にこの陵はある。

 金閣寺前より千本鞍馬口、掘川紫明、下鴨神社へと走る。この道沿いは昔の商店街が残り、本当の京都の風情が残っているように感じた。

 下鴨神社。世界遺産の建物は凄いの一言、京都の真ん中に巨大な自然の森が残っていた。

 出町柳まで下り、そこより東進して京都大学の前へ至る。

 第94代後二条(ごにじょう)天皇陵:在位は1301~1308、父は後宇多天皇。陵墓名は北白河陵。陵墓は京都大学のそばにあった。

 銀閣寺の近く、白川通今出川の手前より旧道らしき道を南下する。

 第68代後一条(ごいちじょう)天皇陵:在位は1016~1036、父は一条天皇。陵墓名は菩提樹院陵。この帝の治世に、刀伊(とい)の入寇や平忠常の乱などが起こっている。

 第57代陽成(ようぜい)天皇陵:在位は876~884、父は清和天皇。陵墓名は神楽岡東陵。のちに武家の棟梁となる清和源氏は実際は陽成源氏との説もある。

 最後は聖護院に立ち寄り、鴨川の河川敷に作られたサイクリングロードを走って京都駅へと戻った。









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