《廃線の旅 紀州・有田鉄道へ!!》
有田鉄道は、沿線で穫れた木材や蜜柑(有田みかん)などの農産品を、積出港である湯浅
港まで運搬する目的で、1913年2月に設立された。しかし、時代の流れで2003年に廃線となった。
フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/447848/
先ずはJR紀勢本線藤並駅へ・・・観光案内の女性に状況を尋ねてみるが、廃線跡のことは知らないという。駅舎は跡形も無く、新たに歩道(サイクリングロード?)としてカラー舗装がされていた。
田殿口駅を目指す・・・踏切があったと思われる場所を過ぎると赤い橋梁が草むらの中に残っていた。リベットの跡が懐かしい。大昔、鉄骨の建物を組み上げる時、赤く熱したリベットを建物の上にいる作業員へ放り投げ、上で受け取ってからリベットを両側から叩いて固定する。そんな風景を昭和40年頃はどこでも見ることができた。
郊外に出るとミカン畑が広がった。いうまでも無く、有田ミカンの産地だ。有田川の対岸の山も七割がミカン畑となり、壮観であった。
田殿口駅・・・緩くカーブした先にプラットホームが残っていた。ここよりは真っ直ぐに金谷町へ線路が延びていたようだ。
小さな川を越える・・・当然、橋の下を覗き込んで見る。やはり昔の橋梁がその下にあった。石で組まれた橋脚も味わいがある。この橋をゴーという音とともに鉄道が走っていたかと思うとなぜか嬉しくなる。
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(橋梁)
下津野駅・・・何とプラットホームが新築に・・・意味があるのだろうか。歴史とか思い出とか、何を見て懐かしく思うものがあるのだろうか。
御霊駅・・・駅舎らしきものが残っていたが、これも今一、壁に直接書かれた駅名だけが本物だろうか。
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(始発?終着?金屋口駅)
動輪の残されたミニ公園?を過ぎると終着の金屋口駅・・・現在は鉄道公園となり、ジーゼルの気動車が動態保存されているらしい。車両のことは詳しくないが、何両かが保存されていた。そのうちの一つ、レールバスは、私の田舎の樽見鉄道より御輿入れしたという。
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(金屋口駅構内)
金屋町の玄関口、有田鉄道の本社のある金屋口駅はとても風情があった。今にも女子高校生が自転車で駆けつけ、改札口からホームを走って出発しようとしているジーゼルに乗り込む・・・そんなシーンが思い浮かんだ。
現実・・・かつて賑わいのあった駅前は寂れ、地元のスーパーもシャターを閉めていた。酒屋さん、雑貨屋さん、床屋さん・・・いろんな店が繁盛し、多くの人たちが行きかったのであろう。
ローカル私鉄の廃線・・・そんなのは全国に五万?とある。廃線になってから訪れても意味が無いかも・・・しかし、何か大切なものをどんどん捨てているようで「何か違うんじゃないのか」とも感じてしまう。
ノスタルジー・・・そんな言葉も死語となり、消え去っていくのが寂しくもある。
有田鉄道は、沿線で穫れた木材や蜜柑(有田みかん)などの農産品を、積出港である湯浅
港まで運搬する目的で、1913年2月に設立された。しかし、時代の流れで2003年に廃線となった。
フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/447848/
先ずはJR紀勢本線藤並駅へ・・・観光案内の女性に状況を尋ねてみるが、廃線跡のことは知らないという。駅舎は跡形も無く、新たに歩道(サイクリングロード?)としてカラー舗装がされていた。
田殿口駅を目指す・・・踏切があったと思われる場所を過ぎると赤い橋梁が草むらの中に残っていた。リベットの跡が懐かしい。大昔、鉄骨の建物を組み上げる時、赤く熱したリベットを建物の上にいる作業員へ放り投げ、上で受け取ってからリベットを両側から叩いて固定する。そんな風景を昭和40年頃はどこでも見ることができた。
郊外に出るとミカン畑が広がった。いうまでも無く、有田ミカンの産地だ。有田川の対岸の山も七割がミカン畑となり、壮観であった。
田殿口駅・・・緩くカーブした先にプラットホームが残っていた。ここよりは真っ直ぐに金谷町へ線路が延びていたようだ。
小さな川を越える・・・当然、橋の下を覗き込んで見る。やはり昔の橋梁がその下にあった。石で組まれた橋脚も味わいがある。この橋をゴーという音とともに鉄道が走っていたかと思うとなぜか嬉しくなる。
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(橋梁)
下津野駅・・・何とプラットホームが新築に・・・意味があるのだろうか。歴史とか思い出とか、何を見て懐かしく思うものがあるのだろうか。
御霊駅・・・駅舎らしきものが残っていたが、これも今一、壁に直接書かれた駅名だけが本物だろうか。
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(始発?終着?金屋口駅)
動輪の残されたミニ公園?を過ぎると終着の金屋口駅・・・現在は鉄道公園となり、ジーゼルの気動車が動態保存されているらしい。車両のことは詳しくないが、何両かが保存されていた。そのうちの一つ、レールバスは、私の田舎の樽見鉄道より御輿入れしたという。
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(金屋口駅構内)
金屋町の玄関口、有田鉄道の本社のある金屋口駅はとても風情があった。今にも女子高校生が自転車で駆けつけ、改札口からホームを走って出発しようとしているジーゼルに乗り込む・・・そんなシーンが思い浮かんだ。
現実・・・かつて賑わいのあった駅前は寂れ、地元のスーパーもシャターを閉めていた。酒屋さん、雑貨屋さん、床屋さん・・・いろんな店が繁盛し、多くの人たちが行きかったのであろう。
ローカル私鉄の廃線・・・そんなのは全国に五万?とある。廃線になってから訪れても意味が無いかも・・・しかし、何か大切なものをどんどん捨てているようで「何か違うんじゃないのか」とも感じてしまう。
ノスタルジー・・・そんな言葉も死語となり、消え去っていくのが寂しくもある。
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